愛したことに、後悔はない。けど。
2005年3月31日 タカラヅカ わたしは猫を飼っている。
我が家の猫は、コレで4匹目。他にもわらわらいた時期はあるが、それらは勘定に入れず、生涯看取ったものだけで、4匹目だ。
なんで4匹目かというともちろん、猫は死ぬからだ。
猫は死ぬ。
寿命は人間よりはるかに短い。
3匹目の猫のことは、最高にかわいがっていたので、死んだときは泣いた。
いや、死ぬのだとわかったときに、最大級に泣いた。
腕の中から命が消えていくことを、憤り、嘆いた。
他の猫たちもそうだ。
別れるときは、泣いた。
この腕の中に抱きしめられる、あたたかくやわらかいものが死ぬことは、何故にこんなにもかなしいのか。
身近な人間の死とはまた別の、そしてそれと同じくらいの悲しみと喪失感がある。
それでも、猫を飼い続けてきた。
どれほど哀しくてもつらくても、わたしは猫が好きだ。
猫を愛し、抱きしめて生きる。
地面に這いつくばって泣いても、それくらい別れがかなしかろーがつらかろーが、猫と過ごす日々の方が重要なんだ。
出会わないより、愛さないより、ずっといいんだ。
星組集合日。
今日もまた、別れの発表があった。
覚悟していた檀ちゃんとはちがい、恵斗くんとせんどーさんの退団はショックだった。
てゆーか、気がついたらだーだー泣いてた。
去年の9月2日でさえ、泣かなかったのにな。←あのときは喪失感で人間やめてました。
泣きながら、ちとこわくなったよ。
わたしこれからも、こんなにこんなにつらいのか? って。
好きな人が退団するたび、こんなに泣くのか? って。
こわくなって……でもだからって、好きになったことに後悔はなくて。
ああだから、そーゆーことなんだなぁ。
猫と同じだ。
失うときはこの世が終わるくらいつらいことがわかっていて、それでも、失うことがわかっているものを、愛さずにはいられないんだ。
その悦びを、知ってしまったから。
どれほど痛みが激しいとわかっていても、愛の方が大切だ。
未来をこわがるより、今を愛したいんだ。
恵斗くんとせんどーさんの、好きだったシーンがアタマの中でランダムに再生されて、泣けてこまるよ。
知らなかった、そんなに彼らを好きだったのか。いや、もともと好きだと公言していたけど、ここまで動揺するのか、わたし。
てゆーか。
彼らを失うことは、わたしのなかの『ドルチェ・ヴィータ!』が、欠けていくことなの。
ケロがいた、あの美しい世界がまた、遠くなっていく。
そこにつながっているから、いっそう痛いのかもしれない。
これからも、やっぱりこんなに痛いのか。つらいのか。
恵斗くんとせんどーさんでコレだぞ? しいちゃんや、ワタさん、トウコちゃんのときは、どーなるんだわたし。
こわい。もー、プリミティヴにこわいぞ。
それでも、出会えてよかった。
『ドルチェ・ヴィータ!』を、ケロを、タカラヅカを知らないより、ずっといい。
恵斗くんもせんどーさんも、出会えたことの方がうれしい。
別れを聞いた今は、思い出すだけで痛みと共に泣けてくるよーな、そんな思い出があることがうれしい。
でも、かなしい……。
そして、友会で星楽がはずれたことも、さらにかなしい。
わーん。
我が家の猫は、コレで4匹目。他にもわらわらいた時期はあるが、それらは勘定に入れず、生涯看取ったものだけで、4匹目だ。
なんで4匹目かというともちろん、猫は死ぬからだ。
猫は死ぬ。
寿命は人間よりはるかに短い。
3匹目の猫のことは、最高にかわいがっていたので、死んだときは泣いた。
いや、死ぬのだとわかったときに、最大級に泣いた。
腕の中から命が消えていくことを、憤り、嘆いた。
他の猫たちもそうだ。
別れるときは、泣いた。
この腕の中に抱きしめられる、あたたかくやわらかいものが死ぬことは、何故にこんなにもかなしいのか。
身近な人間の死とはまた別の、そしてそれと同じくらいの悲しみと喪失感がある。
それでも、猫を飼い続けてきた。
どれほど哀しくてもつらくても、わたしは猫が好きだ。
猫を愛し、抱きしめて生きる。
地面に這いつくばって泣いても、それくらい別れがかなしかろーがつらかろーが、猫と過ごす日々の方が重要なんだ。
出会わないより、愛さないより、ずっといいんだ。
星組集合日。
今日もまた、別れの発表があった。
覚悟していた檀ちゃんとはちがい、恵斗くんとせんどーさんの退団はショックだった。
てゆーか、気がついたらだーだー泣いてた。
去年の9月2日でさえ、泣かなかったのにな。←あのときは喪失感で人間やめてました。
泣きながら、ちとこわくなったよ。
わたしこれからも、こんなにこんなにつらいのか? って。
好きな人が退団するたび、こんなに泣くのか? って。
こわくなって……でもだからって、好きになったことに後悔はなくて。
ああだから、そーゆーことなんだなぁ。
猫と同じだ。
失うときはこの世が終わるくらいつらいことがわかっていて、それでも、失うことがわかっているものを、愛さずにはいられないんだ。
その悦びを、知ってしまったから。
どれほど痛みが激しいとわかっていても、愛の方が大切だ。
未来をこわがるより、今を愛したいんだ。
恵斗くんとせんどーさんの、好きだったシーンがアタマの中でランダムに再生されて、泣けてこまるよ。
知らなかった、そんなに彼らを好きだったのか。いや、もともと好きだと公言していたけど、ここまで動揺するのか、わたし。
てゆーか。
彼らを失うことは、わたしのなかの『ドルチェ・ヴィータ!』が、欠けていくことなの。
ケロがいた、あの美しい世界がまた、遠くなっていく。
そこにつながっているから、いっそう痛いのかもしれない。
これからも、やっぱりこんなに痛いのか。つらいのか。
恵斗くんとせんどーさんでコレだぞ? しいちゃんや、ワタさん、トウコちゃんのときは、どーなるんだわたし。
こわい。もー、プリミティヴにこわいぞ。
それでも、出会えてよかった。
『ドルチェ・ヴィータ!』を、ケロを、タカラヅカを知らないより、ずっといい。
恵斗くんもせんどーさんも、出会えたことの方がうれしい。
別れを聞いた今は、思い出すだけで痛みと共に泣けてくるよーな、そんな思い出があることがうれしい。
でも、かなしい……。
そして、友会で星楽がはずれたことも、さらにかなしい。
わーん。
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