わたしは猫を飼っている。

 我が家の猫は、コレで4匹目。他にもわらわらいた時期はあるが、それらは勘定に入れず、生涯看取ったものだけで、4匹目だ。

 なんで4匹目かというともちろん、猫は死ぬからだ。

 猫は死ぬ。
 寿命は人間よりはるかに短い。

 3匹目の猫のことは、最高にかわいがっていたので、死んだときは泣いた。
 いや、死ぬのだとわかったときに、最大級に泣いた。
 腕の中から命が消えていくことを、憤り、嘆いた。

 他の猫たちもそうだ。
 別れるときは、泣いた。

 この腕の中に抱きしめられる、あたたかくやわらかいものが死ぬことは、何故にこんなにもかなしいのか。
 身近な人間の死とはまた別の、そしてそれと同じくらいの悲しみと喪失感がある。

 
 それでも、猫を飼い続けてきた。

 どれほど哀しくてもつらくても、わたしは猫が好きだ。
 猫を愛し、抱きしめて生きる。

 
 地面に這いつくばって泣いても、それくらい別れがかなしかろーがつらかろーが、猫と過ごす日々の方が重要なんだ。

 出会わないより、愛さないより、ずっといいんだ。

 
 星組集合日。
 今日もまた、別れの発表があった。

 覚悟していた檀ちゃんとはちがい、恵斗くんとせんどーさんの退団はショックだった。
 てゆーか、気がついたらだーだー泣いてた。

 去年の9月2日でさえ、泣かなかったのにな。←あのときは喪失感で人間やめてました。

 泣きながら、ちとこわくなったよ。

 わたしこれからも、こんなにこんなにつらいのか? って。
 好きな人が退団するたび、こんなに泣くのか? って。

 こわくなって……でもだからって、好きになったことに後悔はなくて。

 ああだから、そーゆーことなんだなぁ。

 猫と同じだ。

 失うときはこの世が終わるくらいつらいことがわかっていて、それでも、失うことがわかっているものを、愛さずにはいられないんだ。

 その悦びを、知ってしまったから。

 どれほど痛みが激しいとわかっていても、愛の方が大切だ。

 未来をこわがるより、今を愛したいんだ。

 
 恵斗くんとせんどーさんの、好きだったシーンがアタマの中でランダムに再生されて、泣けてこまるよ。
 知らなかった、そんなに彼らを好きだったのか。いや、もともと好きだと公言していたけど、ここまで動揺するのか、わたし。

 てゆーか。

 彼らを失うことは、わたしのなかの『ドルチェ・ヴィータ!』が、欠けていくことなの。

 ケロがいた、あの美しい世界がまた、遠くなっていく。

 そこにつながっているから、いっそう痛いのかもしれない。

 
 これからも、やっぱりこんなに痛いのか。つらいのか。
 恵斗くんとせんどーさんでコレだぞ? しいちゃんや、ワタさん、トウコちゃんのときは、どーなるんだわたし。

 こわい。もー、プリミティヴにこわいぞ。

 
 それでも、出会えてよかった。
 『ドルチェ・ヴィータ!』を、ケロを、タカラヅカを知らないより、ずっといい。

 恵斗くんもせんどーさんも、出会えたことの方がうれしい。
 別れを聞いた今は、思い出すだけで痛みと共に泣けてくるよーな、そんな思い出があることがうれしい。

 
 でも、かなしい……。
 そして、友会で星楽がはずれたことも、さらにかなしい。
 わーん。


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