イミテーション・ゴールド。@睡れる月
2005年3月27日 タカラヅカ 「きぬぎぬ」って、言ってなかった……っ!!
のっけからすみません、わたし的に、かなりショックだったので。
「きぬぎぬ」は、「後朝」です。愛の一夜のあとの、朝の別れ。
『睡れる月』、3回目観てきました。
1回目に観たとき、二宮が「きぬぎぬの云々」って歌ってるよーに聞こえたんですよ、わたし。
2回目に観たときは、ソレが聞こえなくて。
? ってことになっていて、今日3回目、集中して歌詞を拾いまくったんですが。
言ってません!!
言ってないよーっ。
なによなによ、わたしの空耳?
てゆーか、願望?
がっくり。
えー、『睡れる月』はほぼ全編好きなんですが、ひとつどーしてももどかしいことが。
二宮の描き方が、薄いっ!!
もっともっと、この子のことを時間かけて描いてよー。いい子なんだからさー。
初見で勝手に「きぬぎぬ」という言葉を聞いた気になっていたわたしは、宴の夜、中納言と二宮は契っていたと思い込んで観ていたんですよ。
仲間が増えたぞめでてえな、と「ぴょぴょんがぴょん」と宴会をしている吉野のみなさま方。
我らがヒーロー中納言様@コムちゃんも、ほろ酔い気分で夜の中。
思い起こすのは、なつかしい恋人、大君@まーちゃんのこと。
酒が見せた夢なのか、はたまた愛の奇跡か、亡くなったはずの大君が、中納言の前に現れた。
愛し合うふたりの、美しいデュエットダンス(和モノですが)。
だがやはり幻だから、大君は中納言に背を向け、中納言はひとり夜の中へ去る。
残ったのは大君ひとり。
彼女の切ないソロ。
おや。てっきり幻の大君だと思っていたけど、ここで視点移動があるということは、この子は幻じゃなく、生きている女の子だわ。つーと、中納言を人知れず想っている二宮@まーちゃん2役の方か。
兄の影武者として、身代わりとして、男として生きなければならない過酷な運命を背負う少女・二宮。
宴の夜、女性の装いで恋する男の前にやってきたのか。けなげだねえ。
日本語ならではの美しい歌詞を聴いていると……今、きぬぎぬって言った?!
ちょっと待て、オスカルとフェルゼンみたいに、ただ舞踏会で1曲ダンスをしただけじゃないの? ヤッてたのかよ、おめーら。うろたえ。
……わたしの耳には、聞こえたんですってぱ。「きぬぎぬ」って。
だから、びっくりしたのよ。
愛の一夜にしては、中納言と二宮のダンスがあまりにあっさりしていたから。
虹人と照葉姫@天の鼓ぐらいのことはやってもらわないと、契ってるってわからないぢゃないのっ!!
もっと熱烈にからんでよーっ。ラヴシーン見せてよーっ。
いや、今思うとみんな、わたしの空耳と願望だったわけですけどね。
でもさあ、わたしゃずっと、「そう」だと思って観ていたわけで。
はっきり言って、中納言と二宮が、あの夜結ばれていた方が、萌えです。
中納言は、亡くなった大君を愛している。大君の死から何年か経ったらしいが、彼女との約束の地で、いつか彼女が転生してくれることを願いながらまったりと暮らしている。
二宮は、男として生きなければならない。彼女が女性であることは、秘密。中納言を愛しているが、もちろん想いを伝えることはできない。たとえ伝えたところで、亡き恋人を想い続ける彼に、受け止めてもらえるはずもない。
そんな、絶望の中にいる男と少女が、たった一度結ばれた。
宴の夜。聖と邪、幻と現が混ざり合う夜。
男にとって、現れた女性は亡くなったはずの恋人。夢かもしれないと思いつつもかき抱き。
少女にとって、「女性である」自分は「仮の姿」、あってはならない姿。今このいっときだけ、朝には消えなければならない存在。
叶うはずないふたりの想いが、からだを通してひとつになった。
…………萌えるんですけど。
決して愛されることのない男のために、着たことのない華やかな着物に袖を通し、紅を引く二宮の気持ちを思うと。
兄の「身代わり」として生きてきた少女の、最初で最後の恋が、女として生きられる最初で最後の一夜が、死んだ恋人の「身代わり」として抱かれることだと思うと。
それでもなお、恋ゆえに装い、男の前に立ったのかと思うと。
ものごっつー、萌えるんですけど。泣けるんですけど。
だもんで、わたしの耳と脳は、「きぬぎぬ」という言葉を創りだしていたよーですよ。はい。
ただ軽くダンスしてはいおしまい、と、他の女の名を呼ばれながら抱かれるのでは、切なさがチガウじゃないですかっ。「身代わり」として生きてきた二宮だからこそ、そのたったひとつの恋までもが「身代わり」である方が、よりかなしいぢゃないですかっ。
つーことで、わたし的には、あの夜ふたりがヤッちゃてる方がいいです。
まあ、わたし願望はともかくとしても。
二宮の描き方、もったいなさすぎるよ。
せっかく「男装の少女」で、「主人公を愛している」、「主人公の死んだ恋人に似ている」のよ。
もっと盛り上げなきゃ嘘でしょー?
二宮が女だとわかるところ、なんであんなに省略しました!!って感じの描き方なの?
ふつー、1シーンつかうよねえ? 戦闘のどたばたのなかで、「そーなんですよ!」で終わらせるなんて、あんまりだ。
二宮と中納言で、どーんと盛り上げてくれよ。
中納言に、二宮を愛せと言ってるわけじゃないよ。
彼は一途に大君を想っていていいんだ。
ただ、二宮への接し方で、彼の「生き方」がわかるんだからさ。
「わたしが大君の生まれ変わりならよかったのに」
と言う少女に向かって、
「兄の身代わりでなく、自分自身として生きなければ」
と返す、中納言なのだから。
ずっとずっと、「身代わり」として、自分自身を殺してきた少女に。
「身代わり」でいいから愛が欲しかったと言う少女に。「身代わり」でいいから、愛する人を救いたかったと言う少女に。
誰かの代わりではなく、彼女自身の価値を肯定する。
恋人にはなれなくても、二宮の魂は救われた。
彼女は、生まれてはじめて誰かのイミテーションではなく、彼女自身を肯定されたんだ。
それも、生まれてはじめて愛した男に。
いや、そういう男だからこそ、恋したのだろうけれど。
過酷な運命に翻弄された少女が、死の間際に魂の解放を得る。
……そーゆーことっしょ?
だからこそ、ふたりのシーンはきちんと描いてほしかったのよ。
式部卿宮@かっしーと重子@ルーシーの愛もなければ色気もないラヴシーン描いてる場合じゃないでしょ。ましてや、式部卿宮少年を義教様@ヒロさんが手込めにするシーンなんて、描いてる場合じゃないでしょ。
主人公とヒロインのラヴシーンを描こうよ。
そんなにがんばって兄弟ホモを盛り上げなくても、腐女子は勝手に萌えるから!
のっけからすみません、わたし的に、かなりショックだったので。
「きぬぎぬ」は、「後朝」です。愛の一夜のあとの、朝の別れ。
『睡れる月』、3回目観てきました。
1回目に観たとき、二宮が「きぬぎぬの云々」って歌ってるよーに聞こえたんですよ、わたし。
2回目に観たときは、ソレが聞こえなくて。
? ってことになっていて、今日3回目、集中して歌詞を拾いまくったんですが。
言ってません!!
言ってないよーっ。
なによなによ、わたしの空耳?
てゆーか、願望?
がっくり。
えー、『睡れる月』はほぼ全編好きなんですが、ひとつどーしてももどかしいことが。
二宮の描き方が、薄いっ!!
もっともっと、この子のことを時間かけて描いてよー。いい子なんだからさー。
初見で勝手に「きぬぎぬ」という言葉を聞いた気になっていたわたしは、宴の夜、中納言と二宮は契っていたと思い込んで観ていたんですよ。
仲間が増えたぞめでてえな、と「ぴょぴょんがぴょん」と宴会をしている吉野のみなさま方。
我らがヒーロー中納言様@コムちゃんも、ほろ酔い気分で夜の中。
思い起こすのは、なつかしい恋人、大君@まーちゃんのこと。
酒が見せた夢なのか、はたまた愛の奇跡か、亡くなったはずの大君が、中納言の前に現れた。
愛し合うふたりの、美しいデュエットダンス(和モノですが)。
だがやはり幻だから、大君は中納言に背を向け、中納言はひとり夜の中へ去る。
残ったのは大君ひとり。
彼女の切ないソロ。
おや。てっきり幻の大君だと思っていたけど、ここで視点移動があるということは、この子は幻じゃなく、生きている女の子だわ。つーと、中納言を人知れず想っている二宮@まーちゃん2役の方か。
兄の影武者として、身代わりとして、男として生きなければならない過酷な運命を背負う少女・二宮。
宴の夜、女性の装いで恋する男の前にやってきたのか。けなげだねえ。
日本語ならではの美しい歌詞を聴いていると……今、きぬぎぬって言った?!
ちょっと待て、オスカルとフェルゼンみたいに、ただ舞踏会で1曲ダンスをしただけじゃないの? ヤッてたのかよ、おめーら。うろたえ。
……わたしの耳には、聞こえたんですってぱ。「きぬぎぬ」って。
だから、びっくりしたのよ。
愛の一夜にしては、中納言と二宮のダンスがあまりにあっさりしていたから。
虹人と照葉姫@天の鼓ぐらいのことはやってもらわないと、契ってるってわからないぢゃないのっ!!
もっと熱烈にからんでよーっ。ラヴシーン見せてよーっ。
いや、今思うとみんな、わたしの空耳と願望だったわけですけどね。
でもさあ、わたしゃずっと、「そう」だと思って観ていたわけで。
はっきり言って、中納言と二宮が、あの夜結ばれていた方が、萌えです。
中納言は、亡くなった大君を愛している。大君の死から何年か経ったらしいが、彼女との約束の地で、いつか彼女が転生してくれることを願いながらまったりと暮らしている。
二宮は、男として生きなければならない。彼女が女性であることは、秘密。中納言を愛しているが、もちろん想いを伝えることはできない。たとえ伝えたところで、亡き恋人を想い続ける彼に、受け止めてもらえるはずもない。
そんな、絶望の中にいる男と少女が、たった一度結ばれた。
宴の夜。聖と邪、幻と現が混ざり合う夜。
男にとって、現れた女性は亡くなったはずの恋人。夢かもしれないと思いつつもかき抱き。
少女にとって、「女性である」自分は「仮の姿」、あってはならない姿。今このいっときだけ、朝には消えなければならない存在。
叶うはずないふたりの想いが、からだを通してひとつになった。
…………萌えるんですけど。
決して愛されることのない男のために、着たことのない華やかな着物に袖を通し、紅を引く二宮の気持ちを思うと。
兄の「身代わり」として生きてきた少女の、最初で最後の恋が、女として生きられる最初で最後の一夜が、死んだ恋人の「身代わり」として抱かれることだと思うと。
それでもなお、恋ゆえに装い、男の前に立ったのかと思うと。
ものごっつー、萌えるんですけど。泣けるんですけど。
だもんで、わたしの耳と脳は、「きぬぎぬ」という言葉を創りだしていたよーですよ。はい。
ただ軽くダンスしてはいおしまい、と、他の女の名を呼ばれながら抱かれるのでは、切なさがチガウじゃないですかっ。「身代わり」として生きてきた二宮だからこそ、そのたったひとつの恋までもが「身代わり」である方が、よりかなしいぢゃないですかっ。
つーことで、わたし的には、あの夜ふたりがヤッちゃてる方がいいです。
まあ、わたし願望はともかくとしても。
二宮の描き方、もったいなさすぎるよ。
せっかく「男装の少女」で、「主人公を愛している」、「主人公の死んだ恋人に似ている」のよ。
もっと盛り上げなきゃ嘘でしょー?
二宮が女だとわかるところ、なんであんなに省略しました!!って感じの描き方なの?
ふつー、1シーンつかうよねえ? 戦闘のどたばたのなかで、「そーなんですよ!」で終わらせるなんて、あんまりだ。
二宮と中納言で、どーんと盛り上げてくれよ。
中納言に、二宮を愛せと言ってるわけじゃないよ。
彼は一途に大君を想っていていいんだ。
ただ、二宮への接し方で、彼の「生き方」がわかるんだからさ。
「わたしが大君の生まれ変わりならよかったのに」
と言う少女に向かって、
「兄の身代わりでなく、自分自身として生きなければ」
と返す、中納言なのだから。
ずっとずっと、「身代わり」として、自分自身を殺してきた少女に。
「身代わり」でいいから愛が欲しかったと言う少女に。「身代わり」でいいから、愛する人を救いたかったと言う少女に。
誰かの代わりではなく、彼女自身の価値を肯定する。
恋人にはなれなくても、二宮の魂は救われた。
彼女は、生まれてはじめて誰かのイミテーションではなく、彼女自身を肯定されたんだ。
それも、生まれてはじめて愛した男に。
いや、そういう男だからこそ、恋したのだろうけれど。
過酷な運命に翻弄された少女が、死の間際に魂の解放を得る。
……そーゆーことっしょ?
だからこそ、ふたりのシーンはきちんと描いてほしかったのよ。
式部卿宮@かっしーと重子@ルーシーの愛もなければ色気もないラヴシーン描いてる場合じゃないでしょ。ましてや、式部卿宮少年を義教様@ヒロさんが手込めにするシーンなんて、描いてる場合じゃないでしょ。
主人公とヒロインのラヴシーンを描こうよ。
そんなにがんばって兄弟ホモを盛り上げなくても、腐女子は勝手に萌えるから!
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