汚れ続ける魂の詩。−腐女子注意報−@新選組!
2005年2月24日 テレビ 他のことを書く予定だったんだが、メールをもらったので機嫌良く大河ドラマ『新選組!』の芹沢鴨の話いきます。腐女子語りONLY。
えー、前に書いたけど、わたしの基本姿勢は「近藤×芹沢」で、そのうえで「近藤×土方」「芹沢×沖田(リバに成長)」、斉藤はどこにからめてもヨシ、でした。
わたしは『新撰組!』をすばらしいドラマだと思っているけど、なかでも秀逸だと思ったのは「芹沢鴨」の描き方だった。オギーが『凍てついた明日』であのクライド・バロウを描いたくらい、すごいことだと思っている。
破滅していく男、芹沢鴨。
彼は近藤勇に出会うべきではなかった。近藤に出会わなければ、彼は破滅しなかったかもしれない。
えー、私感なんで、そこんとこヨロシク。
わたしの目に映っていた「芹沢鴨」という男の話な。
それまで芹沢は「ヒーロー」だった。
彼には才能と実力があり、それは自他に認めることだった。仲間たちは彼を尊敬し、彼の元に集ったし、彼自身も己れの能力に誇りと自信を持っていた。
この乱世に、ヒーローとして立てる男だと。
そーやって崇拝者たちを引き連れて上京してきて。
彼は、現実を知る。
彼は、彼自身が信じていたほどの天才ではなかった、ということを。
彼は田舎の秀才に過ぎず、都会ではまったく通用しなかったんだ。
だけど、あとには引けない。彼には面子がある。引き連れてきたシンパたちの手前、逃げ帰ることもできない。
足りない能力を誤魔化すために尊大に振る舞い、大物ぶる。
実際のところ、芹沢が天才でなかったというだけのことで、京で出会った他の連中もつまらない者たちが大半だ。そんな凡才の間でなら、彼はいくらでも取り繕うことができた。大物ぶって天才のふりをしていることができた。
本来なら、そこそこの働きをして、ほどほどのところでもったいつけて帰郷すればよかったんだ。自分の器を知ってしまったのだから。俺は天下を取れるような男ではない、と。
しかし。
芹沢は、近藤と出会ってしまった。
近藤こそが、「本物」だった。
芹沢が求めていたものが、自分以外の男の姿をして、目の前に現れた。
自分より年下で、純朴で、嘘や建前をまとわないナチュラルさで。
威張らない、命令しない、他人より上に立とうとしない。それでも自然と下に人が集まってくる、感情のままに怒り笑う、少年のような男。
なにもかも芹沢と反対……しかしそれこそが、芹沢の求めた「ヒーロー」。彼がなるはずだったもの。
だから芹沢は、帰れない。どこにも行けない。近藤から離れられない。
最初のうちは、自分が近藤以下の器しか持たない人間であると認めたくなくて、突っかかり続ける。
だがやがて、真実が容赦なく突きつけられていく。なまじ芹沢は世慣れた大人であり、さらに頭も良かったから。……バカなら、よかったのに。自分の「限界」に気づかず、他人の器にも気づかない、鈍感な愚者ならよかったのに。
俺は、近藤以下の男だ。
そう気づいてしまったから、拒絶と反発に揺れる。
近藤は「器の大きさ」ゆえの素直さで、年長の芹沢に敬愛の目を向ける。他人に好意をよせることを「敗北」だとは思わない。
それこそがまた、芹沢を傷つけ、苛立たせる。芹沢は攻撃的に、近藤と敵対する。
だが反発はやがて、あきらめに変わる。
どうしたところで、現実は変わらないから。
近藤にかなわない。自分は小物でしかない。その事実は変わらないから。
芹沢は怠惰で自堕落な生活に身を任す。
なにかに憑かれたように、なにかに急き立てられるように、身を落としていく。汚れていく。
近藤になれない、自分程度でしかない人生なら、そこに価値なんかない。
芹沢はただ汚れるためだけに汚れ、破滅するために破滅へ向かう。
彼に残されたただひとつの矜持、己れで選んだ最期は、近藤の手で殺されること。
という。
男が本気で惚れ込んで描く男、ってのはどうしてこうエロいんだろう。
フェロモンしたたり落ちてますよ、芹沢鴨@佐藤浩市!!
近藤勇@香取慎吾の淡泊さと、見事なコントラストだ(笑)。
てゆーか、はっきりいってこいつら、両想いだったと思うのね。
近藤は芹沢を愛していたよ。愛しているからこそ、すれちがって傷ついてたじゃん。理解したい、救いたいのになにもできず、悪い方へばかり転がっていくことを苦悩していたじゃん。
でもそれを、芹沢が認めなかったから。
近藤に愛されるとは思ってないし、愛されていることを知ったら、かえって屈辱に逆上しそうだし。
なんて救われない。
絶望的なカップル(カップルかいっ)。
実際芹沢と近藤のすれちがいや駆け引きぶりは、歯車のずれはじめたカップルみたいだったよ、いちいち(笑)。
近藤に、土方という正妻がいたのも、まずかったなー。土方がいなければ、あるいは芹沢は、「大物」ゆえに世事にうとい近藤を支える道を選ぶことができたかもしれない。
近藤が芹沢に惹かれていくのを、横でじっと見ている土方のじれじれっぷりも、愉快だった。土方もまた「天才を愛した秀才」でしかないので、近藤の自発意志には口出しできないんだよねー。(公認幼なじみ夫婦でありながら、土方の片思いっぷりが大変ツボです)
それから、もうひとりの「青い」天才、沖田総司。芹沢は沖田をかわいがるし、沖田も芹沢になつく。
このふたりが愉快なのは、ふたりで向き合っていても、「お互いを見ていない」ところだろう。ふたりの間には「近藤」という大きな影がある。
芹沢が沖田をかわいがり、また追いつめたのは、すべて近藤ゆえだろー。
芹沢にとっての沖田は、「近藤の身代わり」でしかない。
沖田を汚すことで、近藤を汚したかったんだ。
と、よーやく腐女子語りらしくなってきたところで、文字数ないので続く〜〜。
えー、前に書いたけど、わたしの基本姿勢は「近藤×芹沢」で、そのうえで「近藤×土方」「芹沢×沖田(リバに成長)」、斉藤はどこにからめてもヨシ、でした。
わたしは『新撰組!』をすばらしいドラマだと思っているけど、なかでも秀逸だと思ったのは「芹沢鴨」の描き方だった。オギーが『凍てついた明日』であのクライド・バロウを描いたくらい、すごいことだと思っている。
破滅していく男、芹沢鴨。
彼は近藤勇に出会うべきではなかった。近藤に出会わなければ、彼は破滅しなかったかもしれない。
えー、私感なんで、そこんとこヨロシク。
わたしの目に映っていた「芹沢鴨」という男の話な。
それまで芹沢は「ヒーロー」だった。
彼には才能と実力があり、それは自他に認めることだった。仲間たちは彼を尊敬し、彼の元に集ったし、彼自身も己れの能力に誇りと自信を持っていた。
この乱世に、ヒーローとして立てる男だと。
そーやって崇拝者たちを引き連れて上京してきて。
彼は、現実を知る。
彼は、彼自身が信じていたほどの天才ではなかった、ということを。
彼は田舎の秀才に過ぎず、都会ではまったく通用しなかったんだ。
だけど、あとには引けない。彼には面子がある。引き連れてきたシンパたちの手前、逃げ帰ることもできない。
足りない能力を誤魔化すために尊大に振る舞い、大物ぶる。
実際のところ、芹沢が天才でなかったというだけのことで、京で出会った他の連中もつまらない者たちが大半だ。そんな凡才の間でなら、彼はいくらでも取り繕うことができた。大物ぶって天才のふりをしていることができた。
本来なら、そこそこの働きをして、ほどほどのところでもったいつけて帰郷すればよかったんだ。自分の器を知ってしまったのだから。俺は天下を取れるような男ではない、と。
しかし。
芹沢は、近藤と出会ってしまった。
近藤こそが、「本物」だった。
芹沢が求めていたものが、自分以外の男の姿をして、目の前に現れた。
自分より年下で、純朴で、嘘や建前をまとわないナチュラルさで。
威張らない、命令しない、他人より上に立とうとしない。それでも自然と下に人が集まってくる、感情のままに怒り笑う、少年のような男。
なにもかも芹沢と反対……しかしそれこそが、芹沢の求めた「ヒーロー」。彼がなるはずだったもの。
だから芹沢は、帰れない。どこにも行けない。近藤から離れられない。
最初のうちは、自分が近藤以下の器しか持たない人間であると認めたくなくて、突っかかり続ける。
だがやがて、真実が容赦なく突きつけられていく。なまじ芹沢は世慣れた大人であり、さらに頭も良かったから。……バカなら、よかったのに。自分の「限界」に気づかず、他人の器にも気づかない、鈍感な愚者ならよかったのに。
俺は、近藤以下の男だ。
そう気づいてしまったから、拒絶と反発に揺れる。
近藤は「器の大きさ」ゆえの素直さで、年長の芹沢に敬愛の目を向ける。他人に好意をよせることを「敗北」だとは思わない。
それこそがまた、芹沢を傷つけ、苛立たせる。芹沢は攻撃的に、近藤と敵対する。
だが反発はやがて、あきらめに変わる。
どうしたところで、現実は変わらないから。
近藤にかなわない。自分は小物でしかない。その事実は変わらないから。
芹沢は怠惰で自堕落な生活に身を任す。
なにかに憑かれたように、なにかに急き立てられるように、身を落としていく。汚れていく。
近藤になれない、自分程度でしかない人生なら、そこに価値なんかない。
芹沢はただ汚れるためだけに汚れ、破滅するために破滅へ向かう。
彼に残されたただひとつの矜持、己れで選んだ最期は、近藤の手で殺されること。
という。
男が本気で惚れ込んで描く男、ってのはどうしてこうエロいんだろう。
フェロモンしたたり落ちてますよ、芹沢鴨@佐藤浩市!!
近藤勇@香取慎吾の淡泊さと、見事なコントラストだ(笑)。
てゆーか、はっきりいってこいつら、両想いだったと思うのね。
近藤は芹沢を愛していたよ。愛しているからこそ、すれちがって傷ついてたじゃん。理解したい、救いたいのになにもできず、悪い方へばかり転がっていくことを苦悩していたじゃん。
でもそれを、芹沢が認めなかったから。
近藤に愛されるとは思ってないし、愛されていることを知ったら、かえって屈辱に逆上しそうだし。
なんて救われない。
絶望的なカップル(カップルかいっ)。
実際芹沢と近藤のすれちがいや駆け引きぶりは、歯車のずれはじめたカップルみたいだったよ、いちいち(笑)。
近藤に、土方という正妻がいたのも、まずかったなー。土方がいなければ、あるいは芹沢は、「大物」ゆえに世事にうとい近藤を支える道を選ぶことができたかもしれない。
近藤が芹沢に惹かれていくのを、横でじっと見ている土方のじれじれっぷりも、愉快だった。土方もまた「天才を愛した秀才」でしかないので、近藤の自発意志には口出しできないんだよねー。(公認幼なじみ夫婦でありながら、土方の片思いっぷりが大変ツボです)
それから、もうひとりの「青い」天才、沖田総司。芹沢は沖田をかわいがるし、沖田も芹沢になつく。
このふたりが愉快なのは、ふたりで向き合っていても、「お互いを見ていない」ところだろう。ふたりの間には「近藤」という大きな影がある。
芹沢が沖田をかわいがり、また追いつめたのは、すべて近藤ゆえだろー。
芹沢にとっての沖田は、「近藤の身代わり」でしかない。
沖田を汚すことで、近藤を汚したかったんだ。
と、よーやく腐女子語りらしくなってきたところで、文字数ないので続く〜〜。
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