美しくあれ。@エリザベート
2005年2月8日 タカラヅカ ゆうひくんが好きだ。
風花舞サヨナラバウ公演『LAST STEP』で一目惚れして以来。
ゆうひくんの好きなところはいろいろあるけれど、なんといっても「一目惚れ」、つまり外見が好きなんだよな。
美しいから。
そのことを、再確認させられたのが、今回の『エリザベート』。
ごちゃごちゃ言う気はない。
美しいから、それでいい。
わたしは美しいものを見たいのだから。
悲劇の皇太子ルドルフを演じる第一条件は、「美しいこと」だと思っている。
史実がどうだったとか、他の舞台ではどうだったとかは関係ない。
タカラヅカ版のルドルフは、美しくなくてはならない。そーでなければ、存在意義が崩壊する。ヅカでやる意味がない。
多少歌がアレでも演技がありゃりゃでも、なにをさておき美しくなければならないんだ。
それが、タカラヅカ版『エリザベート』における、ルドルフの意味だと思っている。
BL……ボーイズラブ的な自己愛によって。
BLにおいて、多くの場合、読者は受に感情移入する。受は男性でありながら受け身で、愛を精神的・肉体的に受ける者、つまり女性の特質を持つ。
つまり、読者の女性にとって、受とは自分自身でありながらも、恋愛可能な「異性」である。
この距離感がいいんだと思う。
自分自身を愛しながら、同時に「理想の恋人」を愛す。女でありながら男である。
「受の**ちゃんが好き」と思うのは、ほんとーに第三者としてその「**ちゃん」を好きなんだよ。それでありながら、その**ちゃんの物語を読んでいるときは、「**ちゃん」と読者自身がシンクロする。
BLの醍醐味さね。
そして、タカラヅカ版のルドルフ。
彼はこのBLの受と同じ位置にあると思う。
観客との距離感と同一化において。
物語において主人公は視点であり、観客自身である。だもんでいろいろ不満があったり、理解できるところやできないところがでてくる。『エリザベート』は女が主人公、女(観客)はヒロインに厳しいので、「あたしならあんなことしない!」とか思ったりもする。
ルドルフはヒロインの息子であり、ヒロインのもうひとつの姿である。
ヒロインに対しては厳しく批判的だったりする観客も、ルドルフには視線が優しくなる。
何故か。
彼が、「異性」だからだ。
ストレートに「観客自身」となるヒロインの位置とはちがい、ルドルフは「ヒロインの息子」というワンクッションがある。
観客自身の姿だけど、観客自身ではない。
同じだけど、同じじゃない。
BLの受と同じ。もうひとりのわたしだけど、わたしが恋愛してもいい「異性」である。
自己愛と恋愛が、ひとりの人物でまかなえる存在。
だからこそBLの受は美しくなければならないし(かわいい、でもいいが、とにかく美的価値が必要)、ルドルフは美しくなければならない。
観客の自己愛を満たすために。
四の五理由をつけず、とにかく「かわいそう」と思わせるためには、美しさが必要なのよ。
それが自己愛の一種なんだってことは気づかせず、無責任に「第三者として」眺めさせるためにも。
美しいことが、第一条件。
そーゆー意味で、わたしはひたすら、今回のルドルフに期待していた。
「美しさ」ってのは個人感覚だから、趣味によって変動する価値観なのよね。人間ひとりずつチガウわけだから。
わたしにとっては、ゆうひくんのビジュアルはとてつもなく好みで、そんな彼が「美しくなくてはならない」ルドルフ役をやるというので、心からよろこんだ。
学年的にはありえないから。ルドルフっちゅーのはふつー、もっと若い、青い男の子が演じるべき役だから。
学年がどうあれ、実年齢がどうあれ、ゆうひくんの持ち味はルドルフに合っている。
なによりまず「美しく」、「陰」の魅力を持ち、「破滅」していく「色気」がある。
ゆうひくんの持つ得難い魅力のひとつに、「ゆっくりと壊れていく、アンティーク硝子のお城のよーな色気」がある、と思う。
暗い輝きを放つどこか歪んだ美しい城。はかなく鋭利で、鈍い華美さがあって、それがゆっくりと、壊れていく。闇を含んだ黄昏の色気。
それはべつに、彼が努力で得たものじゃないでしょう。持って生まれたんだよね。それを美しく見せるための努力はしているし、技術も得たのだろうけど、根本は「天分」、持ち味ってやつ。
きらきらした太陽オーラはないけれど、物憂い月の魅力を持つ男。
その持ち味まんまで勝負できる役、ルドルフ。
ただひたすらに。
その美しさを堪能しました。
ええ、そのために取った最前列ですからっ。
トートとルドルフの「闇が広がる」は銀橋の下手からセンターまでしかないんすから! 下手最前列は必須ポイントですよ!!
目の前にルドルフ殿下がいて、くらくらでしたともっ。
意外にガタイがよくて「男」としても素敵なトート閣下が、軍服の殿下を翻弄しちゃうわけですよ。抱きしめちゃうわけですよ。
最後のキスも、したまんまセリ下がりじゃなくて、カオ上げやがるし。トート閣下鬼畜。愛がないわっ(誉め言葉)。
「あの位置から、そこまで見えたんですか」
と、チェリさんにいわれちゃったけど、ええ、なにがなんでも見ますわよ、そのために来たんだからあたしゃ(笑)。
誰より先に観たかった、月組『エリザベート』。
あさこシシィを見たかったのよ。さえトートを見たかったのよ。
そして。
ゆーひルドルフを見たかったの。
きっとこれからどんどんよくなっていくんだと思うよ。
ひとりずつが。
そして組全体が。
初日はなにしろ、握り拳なだけで、クオリティは論外だから(笑)。
そしてルドルフも。
これからどんどん、色気をぶっちぎっていってくれることでしょう。
「ゆうひちゃん、ちゃんとトートのこと愛してましたね」
と、チェリさんは笑って言うし。
ははは。
「人を愛する演技ができない」我らがゆーひくん。誰も愛せないまま、とまどった瞳をしているところも好きよ。
トート閣下にはいちおー愛情が見える(爆裂的に愛してはいない・笑)ので、今後に期待。
美しく、エロく、退廃的に。
わたしを一目惚れさせた「不機嫌な女神」に乾杯。
風花舞サヨナラバウ公演『LAST STEP』で一目惚れして以来。
ゆうひくんの好きなところはいろいろあるけれど、なんといっても「一目惚れ」、つまり外見が好きなんだよな。
美しいから。
そのことを、再確認させられたのが、今回の『エリザベート』。
ごちゃごちゃ言う気はない。
美しいから、それでいい。
わたしは美しいものを見たいのだから。
悲劇の皇太子ルドルフを演じる第一条件は、「美しいこと」だと思っている。
史実がどうだったとか、他の舞台ではどうだったとかは関係ない。
タカラヅカ版のルドルフは、美しくなくてはならない。そーでなければ、存在意義が崩壊する。ヅカでやる意味がない。
多少歌がアレでも演技がありゃりゃでも、なにをさておき美しくなければならないんだ。
それが、タカラヅカ版『エリザベート』における、ルドルフの意味だと思っている。
BL……ボーイズラブ的な自己愛によって。
BLにおいて、多くの場合、読者は受に感情移入する。受は男性でありながら受け身で、愛を精神的・肉体的に受ける者、つまり女性の特質を持つ。
つまり、読者の女性にとって、受とは自分自身でありながらも、恋愛可能な「異性」である。
この距離感がいいんだと思う。
自分自身を愛しながら、同時に「理想の恋人」を愛す。女でありながら男である。
「受の**ちゃんが好き」と思うのは、ほんとーに第三者としてその「**ちゃん」を好きなんだよ。それでありながら、その**ちゃんの物語を読んでいるときは、「**ちゃん」と読者自身がシンクロする。
BLの醍醐味さね。
そして、タカラヅカ版のルドルフ。
彼はこのBLの受と同じ位置にあると思う。
観客との距離感と同一化において。
物語において主人公は視点であり、観客自身である。だもんでいろいろ不満があったり、理解できるところやできないところがでてくる。『エリザベート』は女が主人公、女(観客)はヒロインに厳しいので、「あたしならあんなことしない!」とか思ったりもする。
ルドルフはヒロインの息子であり、ヒロインのもうひとつの姿である。
ヒロインに対しては厳しく批判的だったりする観客も、ルドルフには視線が優しくなる。
何故か。
彼が、「異性」だからだ。
ストレートに「観客自身」となるヒロインの位置とはちがい、ルドルフは「ヒロインの息子」というワンクッションがある。
観客自身の姿だけど、観客自身ではない。
同じだけど、同じじゃない。
BLの受と同じ。もうひとりのわたしだけど、わたしが恋愛してもいい「異性」である。
自己愛と恋愛が、ひとりの人物でまかなえる存在。
だからこそBLの受は美しくなければならないし(かわいい、でもいいが、とにかく美的価値が必要)、ルドルフは美しくなければならない。
観客の自己愛を満たすために。
四の五理由をつけず、とにかく「かわいそう」と思わせるためには、美しさが必要なのよ。
それが自己愛の一種なんだってことは気づかせず、無責任に「第三者として」眺めさせるためにも。
美しいことが、第一条件。
そーゆー意味で、わたしはひたすら、今回のルドルフに期待していた。
「美しさ」ってのは個人感覚だから、趣味によって変動する価値観なのよね。人間ひとりずつチガウわけだから。
わたしにとっては、ゆうひくんのビジュアルはとてつもなく好みで、そんな彼が「美しくなくてはならない」ルドルフ役をやるというので、心からよろこんだ。
学年的にはありえないから。ルドルフっちゅーのはふつー、もっと若い、青い男の子が演じるべき役だから。
学年がどうあれ、実年齢がどうあれ、ゆうひくんの持ち味はルドルフに合っている。
なによりまず「美しく」、「陰」の魅力を持ち、「破滅」していく「色気」がある。
ゆうひくんの持つ得難い魅力のひとつに、「ゆっくりと壊れていく、アンティーク硝子のお城のよーな色気」がある、と思う。
暗い輝きを放つどこか歪んだ美しい城。はかなく鋭利で、鈍い華美さがあって、それがゆっくりと、壊れていく。闇を含んだ黄昏の色気。
それはべつに、彼が努力で得たものじゃないでしょう。持って生まれたんだよね。それを美しく見せるための努力はしているし、技術も得たのだろうけど、根本は「天分」、持ち味ってやつ。
きらきらした太陽オーラはないけれど、物憂い月の魅力を持つ男。
その持ち味まんまで勝負できる役、ルドルフ。
ただひたすらに。
その美しさを堪能しました。
ええ、そのために取った最前列ですからっ。
トートとルドルフの「闇が広がる」は銀橋の下手からセンターまでしかないんすから! 下手最前列は必須ポイントですよ!!
目の前にルドルフ殿下がいて、くらくらでしたともっ。
意外にガタイがよくて「男」としても素敵なトート閣下が、軍服の殿下を翻弄しちゃうわけですよ。抱きしめちゃうわけですよ。
最後のキスも、したまんまセリ下がりじゃなくて、カオ上げやがるし。トート閣下鬼畜。愛がないわっ(誉め言葉)。
「あの位置から、そこまで見えたんですか」
と、チェリさんにいわれちゃったけど、ええ、なにがなんでも見ますわよ、そのために来たんだからあたしゃ(笑)。
誰より先に観たかった、月組『エリザベート』。
あさこシシィを見たかったのよ。さえトートを見たかったのよ。
そして。
ゆーひルドルフを見たかったの。
きっとこれからどんどんよくなっていくんだと思うよ。
ひとりずつが。
そして組全体が。
初日はなにしろ、握り拳なだけで、クオリティは論外だから(笑)。
そしてルドルフも。
これからどんどん、色気をぶっちぎっていってくれることでしょう。
「ゆうひちゃん、ちゃんとトートのこと愛してましたね」
と、チェリさんは笑って言うし。
ははは。
「人を愛する演技ができない」我らがゆーひくん。誰も愛せないまま、とまどった瞳をしているところも好きよ。
トート閣下にはいちおー愛情が見える(爆裂的に愛してはいない・笑)ので、今後に期待。
美しく、エロく、退廃的に。
わたしを一目惚れさせた「不機嫌な女神」に乾杯。
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