うろたえるほど、大泣きしました。

 花組バウホール公演『くらわんか』、愛音羽麗主演。

 らんとむバージョンを観に行き、あまりにおもしろかったので、是が非でもみわっちバージョンも観たくなった。

 なまけもので嘘つきでろくでなしの「あんけらそ(阿呆の最上級、という意味らしい)」八五郎と、彼を取り巻く人々の物語。
 みんなとびきりバカで、ろくでもない連中ばかり。やることなすこと非生産的。ありえねーくらい、のーみそにシワのない人々が、怒鳴り合いながらも笑って生きている物語。

 なにしろらんとむバージョン観て、八五郎の鬼畜ぶりに心が奮えたから!!
 盗賊一味の親分ですかい?
 下町のアイドルですかい?
 登場人物全員「八五郎LOVE」、常識も法律も関係ない、八五郎さえいればそれでヨシ! な世界観。
 ここまで愛され切っていて、その愛をいいことに傍若無人な最悪男、他にいたか?
 ……谷正純作品の主人公って大抵そうなんだけど。主人公は登場人物すべてから愛されて、彼のためにみんなばったばった死んでいく話をえんえん書き続けていたよねえ。全世界から愛されている、そのくせ「孤独な」ヒーローを書くのが谷のライフワーク。
 主人公マンセーがお約束の谷正純。
 にしても、コレは愉快だ、八五郎。素敵に専制君主、世界の中心。こんなに鬼畜なのに、さわやかに二枚目ぶってるところが、じつにいい。

 らんとむは総攻の王様キャラになっていたけど、みわっちならその持ち味からして、同じキャラを演じても総受の女王様キャラになってるんじゃないかしらっ。
 わくわくっ。

 ……期待したほど、受受してはいませんでしたよ。八五郎ってのが攻度高いキャラだからさ。ちっ。 ちっ、てアンタ……。

 でもらんとむ八五郎のよーな総攻鬼畜には見えませんでした。
 あんなふーな「強い」男の持ち味はないから。

 みわっち八五郎に感じたのは、「愛らしさ」だ。

 
 みわっちだから、というわけではないのかもしれない。
 なにしろわたしは、この作品を見るのが2回目だ。キャスティングはちがうけど、顔の区別もつかないよーな下級生ばかりの芝居、同じ演目だということの方が強い。
 わたしはもともと「笑い」の才能が欠如しており、笑いのツボが大変狭い。逆ツボも多く持ち合わせている。
 わざとらしいバカや低脳さ、ひとを傷つけたり騙したりして笑いを取るのは逆ツボ。ひとがひどいめに遭う姿を笑うことはできない。
 だから最初に観たときはあちこち引いてもいた。八五郎とその子分たちの低脳ぶりと、悪辣さに。
 常識で考えてありえないバカさは、「笑いを取ることだけが目的」で、底が見えて嫌だし、真面目に生きている商人たちから食べ物を騙し取るなど、「人を傷つけて笑いを取る」ことに生理的に許せないものを感じていた。
 なにしろ、どんな話で、どんなふーに展開するのか知らないからね。
 うわ、ひどいことするなあ。そしてそのひどいことを、笑うんだ……「善いこと」なんだ……ひでえ……。
 と、あちこちで素に戻り、「仕方ないか、八五郎は鬼畜なんだし」と、笑うことで納得していた。総攻の鬼畜男は、気に入った美少年を力尽くでモノにしたり金でしばったりといろいろひどいことしても、お約束だもんな。現実にそんな奴いたら許せないけど、BLはファンタジーだからアリよね。……そんなハートさ。

 だけど、今回は観るのが2回目。
 そーゆー話だとわかったうえで観ている。

 だから気にならなかった。
 最初に観たときに「ひどい。真面目に働いているふつうの人を騙して、笑うなんて! 人として許せない!」てな逆鱗に触れた部分も、「そーゆー世界観」だとファンタジー・フィルター発動、許容OK。

 すると。
 うろたえるほど、大泣きしました。

 みわっちだからかどうかは、わからない。
 らんとむでも、2回目に観たら同じようにハマっていたかもしれない。
 わたしに必要だったのは、「そーゆー世界観」だという認識だったわけだから。

 泣いた。

 『くらわんか』の世界すべて、登場人物すべて、彼らの性格、生き方、人生哲学すべてが、愛しくて愛しくて。

 2幕後半はノンストップでだだ泣きしてましたよ。

 八五郎が、好きだ。

 この男が愛されているのがわかる。
 どんなに怠け者でバカな「あんけらそ」であったとしても、この男がたくさんの人から愛され、世界の中心にいるのかがわかる。

 救いだからだ。

 このややこしい人間社会で。
 過酷で汚くてつらい「生きる」という現実で。

 いろんなものに足を取られて泥の中で倒れてもがくことすらあきらめたくなる、そんな毎日のなかで。

 八五郎は、救いだ。
 一条の光だ。

 彼は、「怒らない」の。
 どれほどとんでもないことになっても、なにが起こっても。罵られても、叱られても。
 この世のすべてに、笑って応える。
 愛しくてしょうがない、そんなふうに。

 いいこともわるいことも。
 この世の森羅万象すべてを、愛している。

 その度量の広さで受け止め、濾過してくれる。

 彼がよくあるタイプの善人なら、こんなに心を揺さぶらなかった。
 彼は彼が気持ちいいように勝手に生きているだけなの。ナチュラルなのよ。
 ひとを救おうとか世界を救おうとかぜんぜん考えず、自分の目線で生きている。そりゃ作中で人助けもするけどソレ、あくまでも自分のためだし。気の向くままやっているだけだし。
 わがままで自分勝手な小悪党なのに。

 彼は、ひとを救うんだ。

 善人でないからこその、説得力で。

 彼が小悪党でよかったよ。
 善人だったらとてもそばには寄れない。自分の卑小さや猥雑さが恥ずかしくて。
 こんちくしょうな「あんけらそ」だから、気軽に笑って隣にいて、怒鳴りつけたりできるんだ。
 彼のいるところは、とても居心地がいいんだ。
 なにもかも赦し、愛してしまう彼は、わたしの卑小さも猥雑さも、きっと笑って認めてくれるだろう。
 足元を見て丸まった背中を、明るくどやしつけてくれるだろう。

 なくしてしまった愛しいモノに、思いがけず再会できた。
 そんな感じだ。

 八五郎が愛しくてならない。
 この男が好きだ。

 そして、彼が彼として存在する、この「世界」が好きだ。

 攻とか受とか、腐女子ハートぶっ飛ばして(笑)、惹きつけられた。
 わーん、たのしかった。
 心がふるえて、動いて、だからこそあったかくなって、しあわせでしあわせで、泣きすぎて頭が痛くなったよ(笑)。

 いい男だ、八五郎。
 愛らしくて、かっこよくて……。

 はっ。
 これはやはり、魅惑のみわっちにオトされちゃったのかしら、わたしっ?!


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