わたしは、じじい好きです。
 ガキとじじいなら、断然じじいにときめきます。

 それは、わたしがじーちゃん子だということに端を発している気がします。

 わたしは祖父母と一緒に暮らしていたので、生まれたときから身近にじじいがいたのですよ。

 でもって、うちのおじーちゃん。

 みんなが認める美老人だったのですよ!!

 渋い系のじーさまじゃございません。
 「かわいい系」です。
 近所でも病院でも、アイドルさ。
「かわいいおじいちゃん!!」
 って。
 見知らぬ人に声を掛けられるほどの、かわいらしさ。

 外見の話です。

 うちのじーちゃんは、無口で偏屈だったので、性格はまったくかわいくなかった。
 だから純然たる「外見」のみで、世間様から「かわいい!」と評判。

 そもそもうちのじーちゃんは昔から、顔以外に取り柄のない人だった。
 金もないし、甲斐性もない。堪え性のない、ひねくれ者。無口で温厚だが、そりゃつまり、非社交的な暗い奴だったわけだな。
 ただ、顔だけはよかった。

 以前、古いモノクロ写真を見てわたしは素で言ったことがある。

「この女の人、誰?」

 写真に写っているのは、黒いスーツを着た知的な眼鏡美人。女教師、って風情。

「なに言ってるの、それ、おじーちゃんの若いころでしょうが」

 はいー?
 ここここれ、おじーちゃん?! てかコレ男かよっ?!
 確かにパンツスーツ着てるけどっ。華奢な美人さんにしか見えませんぞ?!

 わたしが生まれたときから、おじーちゃんはすでに「おじーちゃん」だったので、若いころなんぞ想像したこともなかったけど。
 彼はほんとーに、美形だったよーです。

 「ぼくのおじいちゃんのかお」という単語でイメージ検索してください。
 同名の絵本の表紙を見ることができます。
 この俳優さんが、うちのおじーちゃんにそっくり!(笑) 
 わたしはこの俳優さんを存じ上げないのですが、この絵本を書店で見かけたときは、衝動買いしましたね。「うわっ、うちのじーちゃんだ!」と。
 ただし、うちのじーちゃんはこの人よりもはるかにアゴが出ています(笑)。

 絵本購入当時、まだ存命だった祖父に「似てるでしょ?」と見せたところ、彼はちらりと見ただけで、
「ワシには髪の毛がある」
 とひとこと言いました。

 そーいや、絵本のおじーさんは、見事にハゲてるわ……うちのじーちゃんは髪の毛ふさふさだった。
 でも、髪があろーがなかろーが、そんなもん「じじい」というカテゴリにおいてなんの重きも持たないとわたしは思っていたので、祖父のツッコミが意外でした。
 そうか……男にとって、髪のあるなしは、じじいになってなお重要なアイデンティティだったのね。

 うちのじーちゃんは細面で小顔の色白、髪も眉も濃く、目は大きくぱっちり二重、細く尖ったアゴの持ち主でした。おまけに小柄で華奢ときたもんだ。
 90歳を過ぎてなお、お目々はぱっちりぬいぐるみのよーでしたよ。

「おじーちゃんに似れば、アンタも美人だったろうにね」

 と、いろんな人から溜息をつかれながら、わたしは生きてきましたよ!!
 ええわたしゃ、カケラもじーちゃんに似てないもんよ。
 わたしは、おじーちゃんの最初の奥さんにそっくりです。若くして亡くなったそうなので、遺影でしか知らないけど、あまりにそっくりで泣けてくる……でかい丸い顔、細い目……平安時代なら美人だったかもしれない容姿……めそめそ。
 
 
 まあ、そんなこんなで。
 わたしはじーちゃん子で、じーちゃんと猫と一緒に、仲良く暮らしておりました。

 
 そう、そして。
 ここでよーやく、宙組公演『レヴュー伝説』の話になるのだ。

 しみじみ思ったの。

 わたし、水くんの「受け口」が好きだなあ、と。

 
 【こあらさんの豆知識!】
うけ‐ぐち【受(け)口】
1 物を受け入れるためにあけてある口。受け入れ口。「電球の―」
2 《「うけくち」とも》下あごが上あごより前に出ている口。
 「受」についているナニカだとか、「受」についてのナニカだとかではありません!!

−Yahoo!辞書 まんまコピペ!!(一部加筆!)−


 水くんの口元見てると、なんだか触りたくなる……。

 とゆーのもさー。

 水くんてば、うちのおじーちゃんに似ている!!

 特に横顔が。
 てゆーか、口元からアゴが。

 てゆーか。
 三日月なところが!


 MyじじLOVEな緑野の、ハートを直撃する造作。

 そうか、切れ長の細い目が好きなのはわたし個人の好みだけど、長い顔と尖ったアゴに惹かれるのは、じーちゃんLOVEだからなんだわ。
 口元が歪んだ人が好きなのも、うちのじーちゃんの受け口が好きだった発展系?

 三つ子の魂百までも。
 生まれて最初に出会った美形が、うちのじじいだった緑野の深層心理には、かなり根強くインプリンティングされているようです。

 水くんを見ると、ときめきます……ぽわわーん。

 
 『レヴュー伝説』は愉快なショーだけど、わたし的には不満。

 何故ならば、明るく愉快でロマンティックで、健康的なショーだから。

 エロくないんだもの、カケラも!!

 つまんねーよ。
 どきどきさせてくれよー。

 スポーツチームの演舞のよーに健康的なもんだから、色気が必殺技の水くんの魅力がかなり控えめになっている。
 ショーと役のコンセプトを理解しすぎているのか、水くんてば、どこを取っても満面の笑顔! 歯、見せすぎだよ、にーさん……。

 対照的なのが、タニちゃん。
 この子はなにをどうまちがったのか、キザりまくっている。
 対の位置で踊っていても、水くんはにっこにこの笑顔、タニちゃんはにこりともしないしかめっ面。

 えーと。
 あの、君たち、まちがってます。困惑。

 タニちゃんはせっかくのアイドル的持ち味を自分で殺し、似合わない「色気ポーズ」を取るのに必死。
 水くんはせっかくのセクシー持ち味を自分で殺し、似合わない「アイドルポーズ」を取るのに夢中。

 なんでこんなことになってるの……?

 もったいない。
 ただただ、もったいないす。

 既成概念をコワして新しい魅力を、という意気込みはわかるが、それとは別に柔軟性が必要だから。
 持ち味を否定して、全部が全部「新しい魅力開発」に挑んでも、スベるから。持ち味を否定する、ってのは、それまでの自分自身の否定でしょう? ベースは「自分自身」のまま、そこに新しい価値を付加していくべきよ。

 ……頼むよ、タニちゃん。キミは、キミのままでいいんだよ……自分で壊さないでくれよー。
 はっ。水くん語りのつもりが、結局はタニちゃんなのかっ。


コメント

日記内を検索