がんばれ女の子。@ホテル ステラマリス
2005年1月25日 タカラヅカ チェリさんは言いました。
「水くん、まりえったさんより色気が少なくなってましたね」
真顔ですよ!
真顔で言いますか、まりえったより下だと!!
逸翁デーとやらの大劇場、芝居が終わったあとの幕間休憩のときの会話ですよ。
芝居ですよ、芝居。
通常のまりえったならともかく、今回の芝居のまりえったは、じじい役ですがな!
そのじじいよりも、色気が少ないと?!!
……がっくり。
否定できないあたり……ううう。
われらが水しぇんの固有スキルは言わずもがな色気ですよ。
彼の必殺技が、色気なんですよ。
なのにその固有スキル、必殺技が、じじい以下だとなっ。
あああ水くん……水くん、水くん、水くん……。(取り乱し、ただ名を呼び続けるの図)
んじゃまた『ホテル ステラマリス』の話をしよう。
えっ、水くんの話? なんですかソレ。今からするのは、お花様の話です。
だって宙組と言えばお花様でしょう? にっこり。
『ホテル ステラマリス』は、冗長かつ退屈なお話。いろいろまちがった作品なので、こればかりはどうしようもない。
最初に観たときわたしは、「いつになったらオープニングが終わって、本編がはじまるんだろう?」と首を傾げていたもの、中盤を過ぎるまで。
組子たちがいつも舞台上にたくさんいて、いつもなにかしらがちゃがちゃやっていて、それだけでわたしとしてはたのしい。
七帆くんの顔はやはり好みなので眺めているとしあわせだし、いりすと暁郷を、珍獣を愛でるハートで眺めたおすのもたのしい。早霧や和などの美形で眼福にひたるもよし。目についてしょーがないカチャと真木薫、すずはるき(なぜかひらがな愛用)もハズせないよねえ。ああ、右京さんは癒し系だわ、いてくれるだけでいいの。みんながペアで踊っているなか、ひとりさみしいはっちゃんとか、ツボだわー。てゆーかメイド・コスのいづみちゃんは信じられないくらいかわいいんですけど、どうなのよ?! とかな。
ホテル従業員たちをぼーっと眺めているだけの時間が過ぎていく。
そうなんだよね。
この作品が退屈なのは、視点が存在しないせいもあるんだよね。
誰を中心に物語を見ればいいのか、誰に感情移入すればいいのかわからない。
ウィリアムやステイシーやアレンや、いろんなキャラクタは舞台に出ているのだけど、彼らの描き方が、モブの従業員たちと同じテンションなんだわ。
「プランB!」とか言って、みんなでわいわい踊っている、同じ重さと熱さしかないの。
ウィリアムが主役らしいことはわかるけど、こんな彼には感情移入できそうにない。
真ん中はいつもウィリアム、というだけの「ショー」だよなあ。
ストーリーは感じられない。
だから「物語」だと思って観ていると、退屈してしまう。
しかもこのウィリアム、「設定」と「言動」が一致していないためにさらに感情移入不可能になっている。
ステイシーに気があるの? えっ、ラヴラヴの恋人アリソン? でもやっぱりステイシーにいい顔してる……なにこいつ??
そんなよくわかんねーウィリアム以外のキャラは、名前のある人たちから名もなき従業員まで、みーんな同じテンションの描き方。
これで、どんな物語を紡ごうというんだ。盛り上がらないってば。
まるで、ピントのずれたホームムービーを観ている感じ。
ピンぼけだから、なにをやっているのか、今ひとつよくわからない。
そうそして、このボケたスクリーンのピントが、一気に合う瞬間がある。
輪郭のうすぼんやりしていた白っぽいスクリーンで、一気に画面が鮮明になり、色が輝き出す。
素人のホームムービーが、まっとーに「物語」として機能しはじめる。
それが、お花様の力だ。
ステイシーが倒れ、泣き出すところ。
今まで誰もが等しく脇役、モブシーンの連続でしかなかったのに、そこではじめて「ステイシーの物語」がはじまるんだ。
誰が主役かわからない、ピントのボケた物語で、「そうか、この子に感情移入すればいいんだ」とわかる。
てゆーか、もう。
ステイシーが主役なんだとわかれば、そっからあとはたのしいぞ。
傷ついて、思わず弱音・本音吐露して泣き出して、すがって泣いて、抱きついて泣いて。
だけど男は、やさしいばかりで。
彼女が求めるものは返してくれなくて。
でもこのやさしさは、求めるものにつながっているかも? と思っていたら、「婚約者登場」だ。
失恋のショックと独り相撲のみじめさと、なにもかも目の前で壊れ落ちていく絶望とで、ボロボロになって銀橋で独唱だ。
気持ちいい……。
「物語」ってのは、これくらい感情移入させて、気持ちを揺さぶってくれなきゃだわ。
その他大勢がえんえん歌って踊っているだけじゃ、たのしめないわ。
この冗長な物語を、実力で「恋愛物語」にしてしまう、お花様はすごい人だ。
ステイシーっていうのは、リアルにかわいい子だよね。
真面目で融通が利かなくて、仕事はできるけど生きることは不器用で。
父親にも幼なじみで婚約者のアレンにも、仕事中は完璧に「仕事用の顔」しか見せないんだよね。
なれ合いは一切なし。潔いというか、律儀過ぎる。
ウィリアムに惹かれているのもわかるのに、「ですます調」を一切くずさず、距離を置いたまま。せっかく朝の浜辺でふたりっきり、愛称で呼ぶことにしたってのに、それでもまだ「ですます調」、しかも次の場面ではまた役職で呼んでいるし。
なんでそー、不器用かな。
有能なホテルウーマンなのに。
そんな彼女が、アレンとふたりきりのときは豹変。
甘えを含んだ若い女の子らしい喋り方。
これが地だとすれば、「コンシェルジュ」としての彼女はどれほど無理をしているのだろう。
もちろん、ホテルウーマンは彼女の天職であり、夢のための努力は苦労ではない。律儀なまでの規律正しさと真面目さは、彼女らしさの表れだろう。
ふだんの幼さやかわいらしさと、ちとローテンションだが完璧なワーキングウーマンぶりと。
この二面性は、ものすげえ萌えなんですが。
かわいいよな、ステイシー。
このかわいい女の子が、ウィリアムなんぞに振られてボロボロになって泣くのよー。もー。たまんないわー。
目眩起こして倒れるくらい身も心もボロボロなのに、その原因であるアリソンに「ようこそステラマリスへ」って挨拶するのよー。
その不器用な強さが好き。
このときのステイシーの姿は、最後のアリソンのキスと関連していると思う。
強く、美しい女たち。
頭を上げ、背筋を伸ばして生きる女たち。
『ホテル ステラマリス』の物語がはじまるのは、ステイシーが物語の中心に出てきたときからだ。
散漫な空気を、一点絞り込む、吸引する、お花様の力。
やはり、花總まりは、すばらしい役者だと思う。
好き嫌いを超えて、観ている者を自分の側へ引き込む力を持つ。
うーむ。
「水くん、まりえったさんより色気が少なくなってましたね」
真顔ですよ!
真顔で言いますか、まりえったより下だと!!
逸翁デーとやらの大劇場、芝居が終わったあとの幕間休憩のときの会話ですよ。
芝居ですよ、芝居。
通常のまりえったならともかく、今回の芝居のまりえったは、じじい役ですがな!
そのじじいよりも、色気が少ないと?!!
……がっくり。
否定できないあたり……ううう。
われらが水しぇんの固有スキルは言わずもがな色気ですよ。
彼の必殺技が、色気なんですよ。
なのにその固有スキル、必殺技が、じじい以下だとなっ。
あああ水くん……水くん、水くん、水くん……。(取り乱し、ただ名を呼び続けるの図)
んじゃまた『ホテル ステラマリス』の話をしよう。
えっ、水くんの話? なんですかソレ。今からするのは、お花様の話です。
だって宙組と言えばお花様でしょう? にっこり。
『ホテル ステラマリス』は、冗長かつ退屈なお話。いろいろまちがった作品なので、こればかりはどうしようもない。
最初に観たときわたしは、「いつになったらオープニングが終わって、本編がはじまるんだろう?」と首を傾げていたもの、中盤を過ぎるまで。
組子たちがいつも舞台上にたくさんいて、いつもなにかしらがちゃがちゃやっていて、それだけでわたしとしてはたのしい。
七帆くんの顔はやはり好みなので眺めているとしあわせだし、いりすと暁郷を、珍獣を愛でるハートで眺めたおすのもたのしい。早霧や和などの美形で眼福にひたるもよし。目についてしょーがないカチャと真木薫、すずはるき(なぜかひらがな愛用)もハズせないよねえ。ああ、右京さんは癒し系だわ、いてくれるだけでいいの。みんながペアで踊っているなか、ひとりさみしいはっちゃんとか、ツボだわー。てゆーかメイド・コスのいづみちゃんは信じられないくらいかわいいんですけど、どうなのよ?! とかな。
ホテル従業員たちをぼーっと眺めているだけの時間が過ぎていく。
そうなんだよね。
この作品が退屈なのは、視点が存在しないせいもあるんだよね。
誰を中心に物語を見ればいいのか、誰に感情移入すればいいのかわからない。
ウィリアムやステイシーやアレンや、いろんなキャラクタは舞台に出ているのだけど、彼らの描き方が、モブの従業員たちと同じテンションなんだわ。
「プランB!」とか言って、みんなでわいわい踊っている、同じ重さと熱さしかないの。
ウィリアムが主役らしいことはわかるけど、こんな彼には感情移入できそうにない。
真ん中はいつもウィリアム、というだけの「ショー」だよなあ。
ストーリーは感じられない。
だから「物語」だと思って観ていると、退屈してしまう。
しかもこのウィリアム、「設定」と「言動」が一致していないためにさらに感情移入不可能になっている。
ステイシーに気があるの? えっ、ラヴラヴの恋人アリソン? でもやっぱりステイシーにいい顔してる……なにこいつ??
そんなよくわかんねーウィリアム以外のキャラは、名前のある人たちから名もなき従業員まで、みーんな同じテンションの描き方。
これで、どんな物語を紡ごうというんだ。盛り上がらないってば。
まるで、ピントのずれたホームムービーを観ている感じ。
ピンぼけだから、なにをやっているのか、今ひとつよくわからない。
そうそして、このボケたスクリーンのピントが、一気に合う瞬間がある。
輪郭のうすぼんやりしていた白っぽいスクリーンで、一気に画面が鮮明になり、色が輝き出す。
素人のホームムービーが、まっとーに「物語」として機能しはじめる。
それが、お花様の力だ。
ステイシーが倒れ、泣き出すところ。
今まで誰もが等しく脇役、モブシーンの連続でしかなかったのに、そこではじめて「ステイシーの物語」がはじまるんだ。
誰が主役かわからない、ピントのボケた物語で、「そうか、この子に感情移入すればいいんだ」とわかる。
てゆーか、もう。
ステイシーが主役なんだとわかれば、そっからあとはたのしいぞ。
傷ついて、思わず弱音・本音吐露して泣き出して、すがって泣いて、抱きついて泣いて。
だけど男は、やさしいばかりで。
彼女が求めるものは返してくれなくて。
でもこのやさしさは、求めるものにつながっているかも? と思っていたら、「婚約者登場」だ。
失恋のショックと独り相撲のみじめさと、なにもかも目の前で壊れ落ちていく絶望とで、ボロボロになって銀橋で独唱だ。
気持ちいい……。
「物語」ってのは、これくらい感情移入させて、気持ちを揺さぶってくれなきゃだわ。
その他大勢がえんえん歌って踊っているだけじゃ、たのしめないわ。
この冗長な物語を、実力で「恋愛物語」にしてしまう、お花様はすごい人だ。
ステイシーっていうのは、リアルにかわいい子だよね。
真面目で融通が利かなくて、仕事はできるけど生きることは不器用で。
父親にも幼なじみで婚約者のアレンにも、仕事中は完璧に「仕事用の顔」しか見せないんだよね。
なれ合いは一切なし。潔いというか、律儀過ぎる。
ウィリアムに惹かれているのもわかるのに、「ですます調」を一切くずさず、距離を置いたまま。せっかく朝の浜辺でふたりっきり、愛称で呼ぶことにしたってのに、それでもまだ「ですます調」、しかも次の場面ではまた役職で呼んでいるし。
なんでそー、不器用かな。
有能なホテルウーマンなのに。
そんな彼女が、アレンとふたりきりのときは豹変。
甘えを含んだ若い女の子らしい喋り方。
これが地だとすれば、「コンシェルジュ」としての彼女はどれほど無理をしているのだろう。
もちろん、ホテルウーマンは彼女の天職であり、夢のための努力は苦労ではない。律儀なまでの規律正しさと真面目さは、彼女らしさの表れだろう。
ふだんの幼さやかわいらしさと、ちとローテンションだが完璧なワーキングウーマンぶりと。
この二面性は、ものすげえ萌えなんですが。
かわいいよな、ステイシー。
このかわいい女の子が、ウィリアムなんぞに振られてボロボロになって泣くのよー。もー。たまんないわー。
目眩起こして倒れるくらい身も心もボロボロなのに、その原因であるアリソンに「ようこそステラマリスへ」って挨拶するのよー。
その不器用な強さが好き。
このときのステイシーの姿は、最後のアリソンのキスと関連していると思う。
強く、美しい女たち。
頭を上げ、背筋を伸ばして生きる女たち。
『ホテル ステラマリス』の物語がはじまるのは、ステイシーが物語の中心に出てきたときからだ。
散漫な空気を、一点絞り込む、吸引する、お花様の力。
やはり、花總まりは、すばらしい役者だと思う。
好き嫌いを超えて、観ている者を自分の側へ引き込む力を持つ。
うーむ。
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