『ホテル ステラマリス』の話。

 『デパメン』の焼き直しに近い話だっつーことは、もう置いておくとして。
 『デパメン』の「落ちぶれたデパート再建」が「精神論」で終わって、観客は全員「ヲイヲイ」と突っ込んだことだと思う。精神論でお客が増えるかっつーの。誠心誠意「夢の空間」を作るべく努力したって、それがそのまま営業成績になるわけないでしょう。
 『ステラマリス』の「落ちぶれたホテル再建」が「ワークシェアリング」で終わったことも、観客は「ヲイヲイ」と突っ込むよ。それじゃ「現状維持」はできても、借金は減らないでしょう?? なにもプラスになってないじゃないすか。ジリ貧が先延ばしになった、つーだけで。

 正塚氏の事業計画はよくわからん。

 まあ『ステラマリス』は結局、金満企業がホテルを売却することになったから、現実的な流れとしては正しいけどな。

 
 ホテル再建モノとして観るならまだ、マシなんだ。「精神論」でお客がウハウハやってくるよーになった、というオチではないので。敵の戦闘機を竹槍で落とせ! 強い信念があればできる!でハッピーエンドにされてもこまるからさ。
 伏線もオチもなんのヒネリもないので、予定調和っちゅーかご都合主義まんまで、おもしろみがない分、破綻もない。
 青く輝く海、をウリにして、これからホテルは繁盛するんでしょうよ。

 だから問題は、「恋愛部分」なんだよなー。

 なんでウィリアム@たかこは、アリソン@かなみんを捨てて、ステイシー@花ちゃんを選ばなければならなかったの?

 もちろん、世の中そーゆー恋愛はあるよ。
 ひとは心変わりする生き物さ。浮気は文化だそうだしな。

 でも、「世の中、そーゆーこともあるじゃん」で、物語は成り立たないでしょう?

 そんなことしたら、「物語」の意味がなくなるじゃん。
 貧しい主人公がなんの脈絡もなく道端で大金拾って億万長者、ハッピーエンド。「世の中、そーゆーこともあるじゃん」
 なんの取り柄もない女の子の前に、白馬に乗った王子様が突然たまたま現れ彼女に一目惚れ、ハッピーエンド。「世の中、そーゆーこともあるじゃん」
 てなふーに、なんでも「アリ」になってしまうよ。
 スタート地点とゴール地点が同じでも、その途中経過をどう書くか、が「物語」ってもんでしょう?

 なんの取り柄もない女の子、の前にどーして王子様が現れたのか。ふたりがどんなふーに惹かれ合い、想いを伝え合ったか。どんな障害があり、それを乗り越えていくのか。
 そこを書くのが醍醐味でしょう。

 ウィリアムには、アリソンという恋人がいた。
 金のためでも名誉のためでもなく、ふつーに恋愛しているラヴラヴなハニーちゃんだ。
 彼女との結婚のために、仕事で一山当てたくて、「ステラマリス」に来た。

 そこで何故、他の女に惚れる?

 いくらなんでもそんな男、不実過ぎるだろう。

 夫のいるマリー・アントワネットがフェルゼンと不倫して許されるのは、彼女が「愛のない政略結婚」を強いられた女だからだ。「道具」としての人生を強いられた女だからだ。
 彼女がルイ16世とラヴラヴ恋愛結婚で、夫に愛をささやいたその次の瞬間フェルゼンに愛を打ち明けていたら、読者は許してないって。
 そんなのただの「二股」じゃん。

 もちろん、同時にふたりの人間を愛してしまった主人公の葛藤を描く物語は、アリだ。
 主人公がどちらを選ぶのか、読者も観客も、はらはらどきどきして見守るさ。

 しかしこの『ステラマリス』は、そーゆー話じゃないだろう? ウィリアムは、そーゆー恋愛をしていないだろう?

 ラヴラヴな恋人を捨てて、他の女を取る、そーゆー男として描くのならば、それようの描き方があるはずだ。
 よっぽど彼の中で「なにか」なくてはならない。
 それを性根を入れて表現するつもりがないならば、そんなややこしい男を主人公にするべきではない。

 ウィリアムの内面をくどくど描く気がないならば、彼の恋愛事情の方を単純化するしかない。
 アリソンとは、他に目的があってつきあってた。社長の椅子が欲しかっただけだ。しかしステイシーに出会い、真実の愛に目覚めた、てなふーに。

 正塚氏が、べたべたなラヴロマンスを嫌いだということはわかる。
 ナチュラルに、流れのまま人の心が動いていくことや、惹かれていくことに重きを置いているんだろうさ。
 わざとらしい事件や、空々しいロマンチックな展開は嫌なんだろうさ。
 真のドラマは、そんな韓国ドラマか昼メロみたいなジェットコースター的展開にはなく、みんなが取るに足らないと思い込んでいる「日常」こそにある。そう言いたいんだろうさ。

 それでもいいよ。
 アリだと思うよ。

 でもそれならばこそ、その「日常」のなかでの心の動きを、丁寧に表現しようよ。
 必要なエピソードはきちんと消化しようよ。

 逃げないでさ。

 たのしいミュージカル、として歌って踊ってしているわりに、この物語には「肝心なシーン」が抜け落ちている。

 ウィリアムが、心変わりを自覚するシーン。
 そこには葛藤がなくてはならない。
 それまでの生き方を捨て、愛していたはずの女性を傷つける決意。
 アリソンを傷つけることが平気な男では、ないはずだから。

 ウィリアムが、アリソンに別れを告げるシーン。
 悪いのは一方的にウィリアムである。きれいになんかいかないだろう、きっとひどいシーンになる。
 ふたりがきちんと向かい合い、話し合ったからこそ、最後の「ステイシーにキスをするアリソン」にたどりつくはずだ。

 他にも必要なエピソードはいろいろあるが、これだけは絶対になければならないはず。
 そうでないと、ウィリアムという男はあまりに不実すぎる。
 とくになにも悩まずに心変わりをし、アリソンには「態度でわかるだろ、オレもうお前の他に好きな女ができたんだ」という曖昧さで、面と向かって罵られないようにする。
 もちろんステイシーにも、自分からはなにも言わない。「態度でわかれよ、言質とられるのヤなんだよ、損だから」ってか。

 いちばん描くのが大変そーなシーンを描かずに、てきとーにたのしく歌って踊って終わる。

 物語のクライマックスは、あくまでも「ホテル再建」のことだけで、ウィリアムの「恋愛」についてはなにもない。

 ナチュラル志向、というより、逃げているだけな気がする。
 きちんと描くのが、めんどーだから。

 とりあえず、たか花だから、なんとかなるだろー。
 そんな感じ?

 
 ウィリアムの恋愛をきちんと逃げずに描く気がないのなら、はじめから描かなければよかったのに。
 描きたかったのは「ホテル再建」だけ。
 今の「宝塚歌劇」に対しての皮肉を言わせたかっただけ。
 それだけなんでしょ?

 不実なのは、ウィリアムとゆーより、正塚自身だな、こりゃ。

 

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