わたしは、あるシリーズものの映画を見ていた。
その作品が大好きで、あまりに大好きで、ただスクリーンで眺めるだけだった。
その映画には、監督やスタッフの作っているホームページがあり、ファンもBBSやメールで一緒に盛り上がることができた。
BBSの常連になることで、監督に名前を覚えてもらったりしている人たちがいることは知っていたし、撮影現場に見学に行ったり追っかけをしたり、キャストやスタッフと近しい関係を築くことができないわけでもないことも、知っていた。
応援しています、と名乗りを上げ、カンパをすることだってできるし、その映画のためになる活動をすることだってできた。
それくらい双方向性のある映画だった。
だけどわたしは、それらには一切近寄らなかった。
かなり昔からしつこくファンであったにもかかわらず、制作側にもファンクラブにも一切近寄らなかった。
わたしがすることといえば、WEB日記に「萌え〜、萌え〜」と匿名で書き続けることと、腐女子な同人誌を出すことぐらいだった。
漠然と、まだまだシリーズは続くし、ずっと見ていられると思っていた。
それが突然の、最終回宣言。
ええっ?! 終わっちゃうの?!
次でシリーズ完結、永久封印?
ショックを受けたわたしはしばらくネット落ちして布団にこもり、でもまた情報欲しさにパソコンの前に坐った。
終わる、と聞いてさらに、どれだけその映画を好きだったかを思い知らされた。
最終作の封切り日は決まっている。
これはどうあがいても変わらない。
じゃあそれまでの間、わたしはどうする?
どうやって生きる?
映画はあくまでも「映画」として好きなだけであって、スタッフと馴れ合いたいわけじゃないし、芸能界のドロドロした関係や、ショービジネスのドライな裏話を知りたいわけでもない。
だからといって、これでもうお別れだとわかっていて、ただ上映される映画をぼーっと眺めているだけで終わっていいのかな。
ファイナルってことで、ファン向けのイベントが多く企画されているのに、公式BBSもすごい盛り上がりようなのに、なにもせずに遠くで眺めていて、後悔しないだろうか。
もう二度と会えないのに。
映画は映画として眺めてたのしむだけ、という自分のスタンスを振り切り、わたしは奔走した。
ファン向けイベントにだって参加したし、監督やスタッフの語る裏話やインタビューにも必死になって目を通した。いつもなら、「作品は作品だけが勝負」と思っているから、そんな蛇足的なものは見向きもしないのに。
いままでロンリーファンだったのに、同好の友人を得て、共に爆走した。
舞台挨拶付き試写会チケットを手に入れるために、走り回った。
盛り上がって泣いて、参加したイベントで泣いて、宣伝番組見て泣いて、人生最大の取り乱しぶりだった。
そしてついに、最後の映画が公開された。
1回見ただけじゃ心の整理はつかず、えんえん通った。
繰り返し見て、いろんなところでいろんなことを思い、たのしみ、かなしみ、「こんなにおもしろいのに、いくらでも続けられるのに、どうして終わるの?」と納得いかないまま、「こんなにおもしろいから終わるのかな」とか、千々に乱れた気持ちのまま、公開期間を過ごした。
映画の上演期間中も、開催されるあちこちのイベントに積極的に顔を出し、露出するメディアを追いかけた。
わたしは、走り続けた。
そして。
終わらないモノなどないのだから、やがて上演期間も終わりを告げ、ファン向けのサヨナライベントも打ち止めになった。
わたしは、多くのファンがそうであるよーに、泣いて別れを見送った。
もう会えない。
そのことに泣いた。
ファイナルイベントで、「コレが最後の上映です。あとは来月発売されるDVDでお楽しみ下さい」てな、この映画をスクリーンで見ることのできる最後の回があった。
映画自体はもう何十回と見ているのだが、最後だからみんな泣いている。
DVDが発売されたって、スクリーンじゃないもん、そんなのチガウもん。
第一最終回で、コレで終わり、もう二度とこのシリーズには会えないんだもん。
かなしいよ。
かなしい・すき・くるしい・すき……すきだなあ、やっぱいいよなあコレ。
出会えてよかった、リアルタイムに見ることができてよかった。やっぱビデオじゃ意味がないもの、そのときの時代の息づかいがあるからさ。
かなしいことやくるしいことはみんな突き抜けて。
エンドマークが出るころには、「最後」だということを受け止めていた。
もちろん、これで「最後」でなくなってくれてもいいけど、これが「最後」なのは事実なんだってことを、知った。
エンドロールには、おまけ要素が含まれていた。ファン向けイベントゆえのサービス。
スタッフの名前が連なる背景に、名場面やNGシーン、楽屋裏の素顔のショットなどがおまけ的に流される。
主題歌を聴きながら、「ああ、あのシーンよかったなー」とか、「あっ、あんな後日談があるんだ」とか「たのしそうに撮影してたんだなあ」とか、ほっこり眺める。
映画本編は終わってしまったけれど、その映画を好きだということや、映画を見て受けた感動は消えない。変わらない。
わたしがこの映画を好きだったこと、愛していたことは、消えない。変わらない。
エンドロールのおまけを見ながら、この映画が終わっても、この映画に関わっていた人が消えてしまうわけじゃない、と思った。
またどこかで他の作品を創るだろうし、出演したりするんだろう。彼らには、彼らの人生がある。
その人たちの未来に、エールを送る。
ひょっとしたら、「これで最後」と言いながらも、何年後かに続編が出るかもしれない。
それはそのときのこと。
ありがとう。
ものすごーく、踊らせてもらった。
いい祭りだったよ。
…………というのは、別に映画の話ではなく、今回のわたしのケロ祭りの話です。
最後のトークショーは、わたしにとって「映画本編のあとの、エンドロールのおまけ」的位置にあったな、という話っす。まわりくどくてすまんが。
いちおーホレわたし、映画好きな人ですから。喩えるならコレかと。
よくあるでしょー、映画のエンドロールに撮影風景やNG集流したりするヤツ。アレですよアレ。
本編を好きな人だけ楽しめる、楽屋落ち。
本編を見ていたときのよーに盛り上がって号泣して、ということはなかった。
ただ。
これからも続いていくケロちゃんの人生に、幸あれと祈ったよ。
それと同じように、ケロちゃんを好きで、突っ走ってきたファンの人たちの人生にも、幸あれと祈った。
好き、というこの無駄に人間らしい感情だけで、ここまでやってきた非生産的な人たちに、祝福を。
ありがとう。
みんなにありがとう。
みんなみんな、しあわせになれ。
頼む、なってくれ。
その作品が大好きで、あまりに大好きで、ただスクリーンで眺めるだけだった。
その映画には、監督やスタッフの作っているホームページがあり、ファンもBBSやメールで一緒に盛り上がることができた。
BBSの常連になることで、監督に名前を覚えてもらったりしている人たちがいることは知っていたし、撮影現場に見学に行ったり追っかけをしたり、キャストやスタッフと近しい関係を築くことができないわけでもないことも、知っていた。
応援しています、と名乗りを上げ、カンパをすることだってできるし、その映画のためになる活動をすることだってできた。
それくらい双方向性のある映画だった。
だけどわたしは、それらには一切近寄らなかった。
かなり昔からしつこくファンであったにもかかわらず、制作側にもファンクラブにも一切近寄らなかった。
わたしがすることといえば、WEB日記に「萌え〜、萌え〜」と匿名で書き続けることと、腐女子な同人誌を出すことぐらいだった。
漠然と、まだまだシリーズは続くし、ずっと見ていられると思っていた。
それが突然の、最終回宣言。
ええっ?! 終わっちゃうの?!
次でシリーズ完結、永久封印?
ショックを受けたわたしはしばらくネット落ちして布団にこもり、でもまた情報欲しさにパソコンの前に坐った。
終わる、と聞いてさらに、どれだけその映画を好きだったかを思い知らされた。
最終作の封切り日は決まっている。
これはどうあがいても変わらない。
じゃあそれまでの間、わたしはどうする?
どうやって生きる?
映画はあくまでも「映画」として好きなだけであって、スタッフと馴れ合いたいわけじゃないし、芸能界のドロドロした関係や、ショービジネスのドライな裏話を知りたいわけでもない。
だからといって、これでもうお別れだとわかっていて、ただ上映される映画をぼーっと眺めているだけで終わっていいのかな。
ファイナルってことで、ファン向けのイベントが多く企画されているのに、公式BBSもすごい盛り上がりようなのに、なにもせずに遠くで眺めていて、後悔しないだろうか。
もう二度と会えないのに。
映画は映画として眺めてたのしむだけ、という自分のスタンスを振り切り、わたしは奔走した。
ファン向けイベントにだって参加したし、監督やスタッフの語る裏話やインタビューにも必死になって目を通した。いつもなら、「作品は作品だけが勝負」と思っているから、そんな蛇足的なものは見向きもしないのに。
いままでロンリーファンだったのに、同好の友人を得て、共に爆走した。
舞台挨拶付き試写会チケットを手に入れるために、走り回った。
盛り上がって泣いて、参加したイベントで泣いて、宣伝番組見て泣いて、人生最大の取り乱しぶりだった。
そしてついに、最後の映画が公開された。
1回見ただけじゃ心の整理はつかず、えんえん通った。
繰り返し見て、いろんなところでいろんなことを思い、たのしみ、かなしみ、「こんなにおもしろいのに、いくらでも続けられるのに、どうして終わるの?」と納得いかないまま、「こんなにおもしろいから終わるのかな」とか、千々に乱れた気持ちのまま、公開期間を過ごした。
映画の上演期間中も、開催されるあちこちのイベントに積極的に顔を出し、露出するメディアを追いかけた。
わたしは、走り続けた。
そして。
終わらないモノなどないのだから、やがて上演期間も終わりを告げ、ファン向けのサヨナライベントも打ち止めになった。
わたしは、多くのファンがそうであるよーに、泣いて別れを見送った。
もう会えない。
そのことに泣いた。
ファイナルイベントで、「コレが最後の上映です。あとは来月発売されるDVDでお楽しみ下さい」てな、この映画をスクリーンで見ることのできる最後の回があった。
映画自体はもう何十回と見ているのだが、最後だからみんな泣いている。
DVDが発売されたって、スクリーンじゃないもん、そんなのチガウもん。
第一最終回で、コレで終わり、もう二度とこのシリーズには会えないんだもん。
かなしいよ。
かなしい・すき・くるしい・すき……すきだなあ、やっぱいいよなあコレ。
出会えてよかった、リアルタイムに見ることができてよかった。やっぱビデオじゃ意味がないもの、そのときの時代の息づかいがあるからさ。
かなしいことやくるしいことはみんな突き抜けて。
エンドマークが出るころには、「最後」だということを受け止めていた。
もちろん、これで「最後」でなくなってくれてもいいけど、これが「最後」なのは事実なんだってことを、知った。
エンドロールには、おまけ要素が含まれていた。ファン向けイベントゆえのサービス。
スタッフの名前が連なる背景に、名場面やNGシーン、楽屋裏の素顔のショットなどがおまけ的に流される。
主題歌を聴きながら、「ああ、あのシーンよかったなー」とか、「あっ、あんな後日談があるんだ」とか「たのしそうに撮影してたんだなあ」とか、ほっこり眺める。
映画本編は終わってしまったけれど、その映画を好きだということや、映画を見て受けた感動は消えない。変わらない。
わたしがこの映画を好きだったこと、愛していたことは、消えない。変わらない。
エンドロールのおまけを見ながら、この映画が終わっても、この映画に関わっていた人が消えてしまうわけじゃない、と思った。
またどこかで他の作品を創るだろうし、出演したりするんだろう。彼らには、彼らの人生がある。
その人たちの未来に、エールを送る。
ひょっとしたら、「これで最後」と言いながらも、何年後かに続編が出るかもしれない。
それはそのときのこと。
ありがとう。
ものすごーく、踊らせてもらった。
いい祭りだったよ。
…………というのは、別に映画の話ではなく、今回のわたしのケロ祭りの話です。
最後のトークショーは、わたしにとって「映画本編のあとの、エンドロールのおまけ」的位置にあったな、という話っす。まわりくどくてすまんが。
いちおーホレわたし、映画好きな人ですから。喩えるならコレかと。
よくあるでしょー、映画のエンドロールに撮影風景やNG集流したりするヤツ。アレですよアレ。
本編を好きな人だけ楽しめる、楽屋落ち。
本編を見ていたときのよーに盛り上がって号泣して、ということはなかった。
ただ。
これからも続いていくケロちゃんの人生に、幸あれと祈ったよ。
それと同じように、ケロちゃんを好きで、突っ走ってきたファンの人たちの人生にも、幸あれと祈った。
好き、というこの無駄に人間らしい感情だけで、ここまでやってきた非生産的な人たちに、祝福を。
ありがとう。
みんなにありがとう。
みんなみんな、しあわせになれ。
頼む、なってくれ。
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