一緒に歩いた道。@星組千秋楽
2004年12月28日 タカラヅカ まだ、星組東宝千秋楽の話をしている(笑)。
東宝楽は、最後の最後だっていうのに、やっぱりムラ楽ほどの熱も濃さもなく終わった。
ほんとうに本拠地、宝塚村ってのは特異空間なんだと思った。宝塚が東京でもなく大阪でもなく、あの田舎町にぽつんとある意味がわかった気がした。
開かれた都会には存在し得ない、隔離された場所だからこその力があるんだろう。
ムラ楽を経験できてよかったなと思う。
『ドルチェ・ヴィータ!』とディアボロは、やはりムラ楽が最高峰だった。
あれほどの熱はないものの、東宝楽はやはり千秋楽、最後の最後の公演は特別のものだ。
ケロちゃんは、ずーっと笑っていた。
セーラーKがにっこにこなのはいいとして、コーザノストラまで歯を見せつづけてるのってどうよ?
……しあわせなら、それでいいんだけどさ。
そうそう、念願の姫抱っこも見られたしな。
ずーっとずーっと期待したまま、おあずけをくっていた銀橋、ワタ×ケロの姫抱っこ。
ありがとうワタさん、きっと最後の最後まで取っておいてくれたんだね。ムラ楽でやってくれた方がうれしかったけど(笑)。なにしろ東宝ではセレブ@ワタルと航海士@ケロのラヴはなかったことにされていたから。
にしても。
千秋楽って、すごいよなあ。
黒燕尾の男が、黒燕尾の男をお姫様抱っこする、って、ものすげー画面だよ? ありえないよ?
こんなことをやってOKなのが、千秋楽なんだなあ……そりゃまあ、相手がケロちゃんだから、ってこともあるんだろうけどさ。
ありがとうワタさん。オトコマエ。
ワタさんだからこそ。
このひとのもとで、そしてこの組で、ひとつになって作品を創り上げ、卒業していくのは、しあわせなことだと思う。
わたし、ケロがいなくなったら、そのあとどうしよう? って思っていたのね。
気の多いわたしには大好きな人がいっぱいいるけど、かといってケロと比べられる人もいなけりゃ、「じゃあ次はこの人」って人もいないのよ。
わたしはキャラ萌え作品萌えが主体のヲタクだから、そのとき公演している萌えキャラにきゃあきゃあ言うだけで、ダーリンたりえる人はいないんだもの。
どーしたもんかな。
タカラヅカはずっと好きだけど……ダーリンもいないし、好きな組もなくなっちゃうわけか。
ソレは寂しいなあ。
水しぇん……ゆうひくん……オサちゃん……そりゃ大好きだけど、でも、ケロの位置とはぜんぜん別のところで好きな人たちだし。トド様なんかすでに「うちのおとーさん」的好きさだし(「長生きしてね、おとーさん」てゆー感じ。愛しているが、すでに恋ではない・笑)。
たったひとりのダーリンを心に刻んでいるからこそ、いくらでも他の人を好きになれるんじゃん。「萌え〜〜っ!!」って叫べんじゃん。本命がいなけりゃ、浮気も成立しないでしょ?
ダーリンのいる組が、「自分の組」じゃん。ダーリンが創る舞台が「うちの公演」じゃん。
ホームポジション、基本となる場所。どうせ全組全公演観るけどさ、基本は「ダーリンのいる組をいちばんたくさん観る」でしょ?
そのたったひとりを失ったら、どーすればいいのかなあ。
贔屓組ナシで、一歩離れてなんとなーく観劇するのかな。
余生を送る老人みたいに。
先のことまで、あまり考えていなかったけど。
あらためて、思ったよ。
ずっと、好きでいる。
星組と、星組のみんな。
たとえケロがいなくても、ワタさんが、わたしのトップさんだ。
星組が、わたしの組だ。
そりゃ、これから先、人事異動とかでどうなっていくのか知らないけど。
今、この瞬間、思うことは。
ずっと、好きでいる。
2002年12月24日、組替え発表。
その翌日、わたしとCANちゃんは話をしている(この日記で確認した)。
「これからは、星組ファンだね」
贔屓ジェンヌの移動と共に、贔屓組も変わる。
ケロのいる組がわたしの好きな組になる。ホームポジションになる。
そして。
ケロが最後にいた組だから、やっぱりわたしのホームポジションでいいんだ。
ケロのいるいないにかかわらず、ずっと愛していこう。
タカラヅカを、愛し続けるように。
そう、心から思ったんだよ。
ケロがいる、ケロを見送るこの千秋楽で。
よい千秋楽でした。
かのちかちゃんのかわいらしさ、みっこさんのかっこよさ。裏切らない美しさと清さを持って、卒業していく人たち。
愛と感謝にあふれた世界。
ケロちゃんの挨拶は見事にファン向けで、一見ふつーに「卒業」らしい言葉を並べながら、じつはこれまでのケロのやってきた役や歌ってきた歌で構成されていた。下手に生の言葉で喋って取り乱さないよーに自制した結果かなと思ってみたり(笑)。
それにしても、ジェンヌの最後の言葉はいつも「ありがとうございました」なのに、ケロは「いってきます」で終わらせちゃった。変な人だ。
正しい旋律を半音はずして突っ走る(笑)、ケロちゃんらしい最後なのかもしれない。とどのつまりわたしは、彼がなにを言い、なにをしでかし、なにをどうしたところでオールOK、すべてが正しく、すべていとしいのだ。
最後のお見送りは、人混みの後ろから。
FCに入っていないわたしに、ガードも会服もフェアウルパーティもない。楽屋を出て車に乗るまでのパレードがケロちゃんを見る最後。
公演が終わった直後からとある場所で横になっていたせいで(苦笑)、お見送りの場所取りもできず、わたしの巻き添えをくったkineさんとサトリちゃんも人の輪の一番外側からしか眺めることができなかった。
パレードがはじまる直前の人混みをビルの上から眺めたのだけど、すごかったよ。劇場前のあの広い道が、人で埋まっているの。
とくにいちばん内側は白い人たちが線になっているのがわかる。
これだけの人がひしめいているのに混乱もなく、整然としている。タカラヅカってすごいよな。
自分の身長に自信のあるわたし(笑)は、直前まで地面になついており、ケロちゃんが現れた瞬間に立ち上がった。人垣の後ろからでも見えるもん。背が高くてろくな目にあってこなかったけど、このときばかりは感謝だ。
歩くケロちゃんの速度にあわせて、人垣の後ろを一緒に移動した。
平行線の想い。
一緒に歩いた。
これは区切りなんだろうけど、さよならだとは思っていない。
わたしは彼を忘れないから。
平行線っつーのはだ、絶対交わることがないかわり、離れることもないんだもんよ。
わたしはこれからも、タカラヅカを愛していくから。
星組を好きでいるから。
ケロがいたときと、なにも変わらずに。
ずっと、好きでいる。
ずっとしあわせでいる。
だけど。
きっと、何度も思うんだろうな。
ここにケロちゃんがいれば、いいのに。
きっと何度も、何度も。
わたしは今もタカラヅカが好きで、いつだってしあわせだけど。
ここにケロがいてくれれば、もっともっとしあわせなのに。
そう思うたびかなしくなって、でもやっぱり好きなまましあわせなまま、がんばって生きていくんだな。
なんだかとても、かなしくすがすがしい気持ちだった。
卒業って、そういうもんなんだなと思った。
東宝楽は、最後の最後だっていうのに、やっぱりムラ楽ほどの熱も濃さもなく終わった。
ほんとうに本拠地、宝塚村ってのは特異空間なんだと思った。宝塚が東京でもなく大阪でもなく、あの田舎町にぽつんとある意味がわかった気がした。
開かれた都会には存在し得ない、隔離された場所だからこその力があるんだろう。
ムラ楽を経験できてよかったなと思う。
『ドルチェ・ヴィータ!』とディアボロは、やはりムラ楽が最高峰だった。
あれほどの熱はないものの、東宝楽はやはり千秋楽、最後の最後の公演は特別のものだ。
ケロちゃんは、ずーっと笑っていた。
セーラーKがにっこにこなのはいいとして、コーザノストラまで歯を見せつづけてるのってどうよ?
……しあわせなら、それでいいんだけどさ。
そうそう、念願の姫抱っこも見られたしな。
ずーっとずーっと期待したまま、おあずけをくっていた銀橋、ワタ×ケロの姫抱っこ。
ありがとうワタさん、きっと最後の最後まで取っておいてくれたんだね。ムラ楽でやってくれた方がうれしかったけど(笑)。なにしろ東宝ではセレブ@ワタルと航海士@ケロのラヴはなかったことにされていたから。
にしても。
千秋楽って、すごいよなあ。
黒燕尾の男が、黒燕尾の男をお姫様抱っこする、って、ものすげー画面だよ? ありえないよ?
こんなことをやってOKなのが、千秋楽なんだなあ……そりゃまあ、相手がケロちゃんだから、ってこともあるんだろうけどさ。
ありがとうワタさん。オトコマエ。
ワタさんだからこそ。
このひとのもとで、そしてこの組で、ひとつになって作品を創り上げ、卒業していくのは、しあわせなことだと思う。
わたし、ケロがいなくなったら、そのあとどうしよう? って思っていたのね。
気の多いわたしには大好きな人がいっぱいいるけど、かといってケロと比べられる人もいなけりゃ、「じゃあ次はこの人」って人もいないのよ。
わたしはキャラ萌え作品萌えが主体のヲタクだから、そのとき公演している萌えキャラにきゃあきゃあ言うだけで、ダーリンたりえる人はいないんだもの。
どーしたもんかな。
タカラヅカはずっと好きだけど……ダーリンもいないし、好きな組もなくなっちゃうわけか。
ソレは寂しいなあ。
水しぇん……ゆうひくん……オサちゃん……そりゃ大好きだけど、でも、ケロの位置とはぜんぜん別のところで好きな人たちだし。トド様なんかすでに「うちのおとーさん」的好きさだし(「長生きしてね、おとーさん」てゆー感じ。愛しているが、すでに恋ではない・笑)。
たったひとりのダーリンを心に刻んでいるからこそ、いくらでも他の人を好きになれるんじゃん。「萌え〜〜っ!!」って叫べんじゃん。本命がいなけりゃ、浮気も成立しないでしょ?
ダーリンのいる組が、「自分の組」じゃん。ダーリンが創る舞台が「うちの公演」じゃん。
ホームポジション、基本となる場所。どうせ全組全公演観るけどさ、基本は「ダーリンのいる組をいちばんたくさん観る」でしょ?
そのたったひとりを失ったら、どーすればいいのかなあ。
贔屓組ナシで、一歩離れてなんとなーく観劇するのかな。
余生を送る老人みたいに。
先のことまで、あまり考えていなかったけど。
あらためて、思ったよ。
ずっと、好きでいる。
星組と、星組のみんな。
たとえケロがいなくても、ワタさんが、わたしのトップさんだ。
星組が、わたしの組だ。
そりゃ、これから先、人事異動とかでどうなっていくのか知らないけど。
今、この瞬間、思うことは。
ずっと、好きでいる。
2002年12月24日、組替え発表。
その翌日、わたしとCANちゃんは話をしている(この日記で確認した)。
「これからは、星組ファンだね」
贔屓ジェンヌの移動と共に、贔屓組も変わる。
ケロのいる組がわたしの好きな組になる。ホームポジションになる。
そして。
ケロが最後にいた組だから、やっぱりわたしのホームポジションでいいんだ。
ケロのいるいないにかかわらず、ずっと愛していこう。
タカラヅカを、愛し続けるように。
そう、心から思ったんだよ。
ケロがいる、ケロを見送るこの千秋楽で。
よい千秋楽でした。
かのちかちゃんのかわいらしさ、みっこさんのかっこよさ。裏切らない美しさと清さを持って、卒業していく人たち。
愛と感謝にあふれた世界。
ケロちゃんの挨拶は見事にファン向けで、一見ふつーに「卒業」らしい言葉を並べながら、じつはこれまでのケロのやってきた役や歌ってきた歌で構成されていた。下手に生の言葉で喋って取り乱さないよーに自制した結果かなと思ってみたり(笑)。
それにしても、ジェンヌの最後の言葉はいつも「ありがとうございました」なのに、ケロは「いってきます」で終わらせちゃった。変な人だ。
正しい旋律を半音はずして突っ走る(笑)、ケロちゃんらしい最後なのかもしれない。とどのつまりわたしは、彼がなにを言い、なにをしでかし、なにをどうしたところでオールOK、すべてが正しく、すべていとしいのだ。
最後のお見送りは、人混みの後ろから。
FCに入っていないわたしに、ガードも会服もフェアウルパーティもない。楽屋を出て車に乗るまでのパレードがケロちゃんを見る最後。
公演が終わった直後からとある場所で横になっていたせいで(苦笑)、お見送りの場所取りもできず、わたしの巻き添えをくったkineさんとサトリちゃんも人の輪の一番外側からしか眺めることができなかった。
パレードがはじまる直前の人混みをビルの上から眺めたのだけど、すごかったよ。劇場前のあの広い道が、人で埋まっているの。
とくにいちばん内側は白い人たちが線になっているのがわかる。
これだけの人がひしめいているのに混乱もなく、整然としている。タカラヅカってすごいよな。
自分の身長に自信のあるわたし(笑)は、直前まで地面になついており、ケロちゃんが現れた瞬間に立ち上がった。人垣の後ろからでも見えるもん。背が高くてろくな目にあってこなかったけど、このときばかりは感謝だ。
歩くケロちゃんの速度にあわせて、人垣の後ろを一緒に移動した。
平行線の想い。
一緒に歩いた。
これは区切りなんだろうけど、さよならだとは思っていない。
わたしは彼を忘れないから。
平行線っつーのはだ、絶対交わることがないかわり、離れることもないんだもんよ。
わたしはこれからも、タカラヅカを愛していくから。
星組を好きでいるから。
ケロがいたときと、なにも変わらずに。
ずっと、好きでいる。
ずっとしあわせでいる。
だけど。
きっと、何度も思うんだろうな。
ここにケロちゃんがいれば、いいのに。
きっと何度も、何度も。
わたしは今もタカラヅカが好きで、いつだってしあわせだけど。
ここにケロがいてくれれば、もっともっとしあわせなのに。
そう思うたびかなしくなって、でもやっぱり好きなまましあわせなまま、がんばって生きていくんだな。
なんだかとても、かなしくすがすがしい気持ちだった。
卒業って、そういうもんなんだなと思った。
コメント