花組ドラマシティ公演『天の鼓』感想の続き。

 ストーリーは見事にバカ路線。
 5分に1回「ヲイヲイ」とツッコミ入れつつ、なまあたたかく笑って眺めるべし。
 おもしろいといえば、おもしろいよ。つか、笑える。

 そう、音楽祭がはじまってからがまた、めちゃくちゃおもしろいんだよなー。笑えるぞー。

 たぶん、この芝居を観たすべての人が、他のナニを忘れてもコレだけはおぼえているだろう、ゼウス様@オサ登場。

 平安モノ、日本物なのに、ああなのに突然のゼウス様。

 ゼウス様を見るだけでも、この公演を観る価値があります。
 師走の忙しいときではありますが、ぜひ一度劇場へ足をお運び下さい。

 と、つい宣伝してしまうよ(笑)。

 ゼウス様はねー、ゼウス様という姿の微妙っぷりもいいんだけど、あの場面、あのタイミングで、あの姿でッ!!という、複合ワザでの笑いなのよ。
 すごいぞー。

 ネタバレになってはせっかくの渾身のギャグがスベってしまうんで、あえて語りません。
 ぜひ劇場で、その目でたしかめてください、みなさまがた。

 ポスター写真のオサ様の横に、『舞夢』のゼウス様の写真を並べてください。ゼウス様はポスターじゃなくて、舞台の写真にしてよ。その方が破壊力あるから。
 このふたつの姿が、「ひとつの世界」に存在するという、すばらしさ。
 タカラヅカはいいところだ(笑)。

 
 まあ、冗談はさておき。

 真面目に語ると、この『天の鼓』という作品は、ギャグではないらしいのだよ。
 しかも、愛だの才能だの生きる意味だの、いろーんな重いテーマが盛り込まれた作品なのだよ。
 いや、マジな話。

 作者は、そのつもりなんだと思う。……たぶん。

 
 作者の狙いが盛大に失敗しているのは、すべてにおいて浅いからだと思う。

 時代考証が甘く、リアリティのカケラもない世界。
 穴だらけの設定。
 キャラクタの人格破壊。
 ご都合主義。

 とゆー、表の部分の失敗も、ひたすら「浅い」がゆえに起こったことばかりだ。

 とくにいちばんイタイ失敗は、「天の鼓(←虹人の持ってる鼓ね)」の位置関係だと思う。
 コレをうまく活かすこと、数学的に物語に埋め込み、計算された働きをさせられなかったことは、イタイ。
 算数苦手なんだろーな、こだまっち(笑)。

 あとは、視点のブレ。

 クライマックスの「視点」が何故突然帝になってるんだ(笑)。
 誰が主役だよ? 誰の物語だよ?
 一人称小説読んでたのに、いきなり別の人の一人称になってたら、おどろくわ。

 で、せっかくのクライマックスが、それまで悪役だった人の視点になってて、肝心の主役は、観客の知らないところで、悟りを開いちゃってるし。

 ヲイヲイ。
 クライマックスで「変化」するのは、主人公だってば。脇役じゃないって。主人公の物語の起承転結の「転」は描かずに、事後承諾で、脇役の「転」を描くのは何故。

 物語を書くうえで、こんがらがっちゃったのね。
 それで視点がブレて、こんなことに。
 論理的思考に基づいて書かれていないんだなー。
 浅いわ。

 でもそれはべつに、かまわない。
 どれだけ「中学生がノートに書いたマンガ」みたいな話でも、おもしろければそれでヨシだ。
 中学生の知識で構築した世界が「浅く」てもいいよ。
 下手に知識や常識にしばられないぶん、荒唐無稽におもしろいものを作れたりするからな。

 表部分の浅さはいい。
 世の中それでも、おもしろい作品がいくらでもある。

 問題は、物語の芯となる「精神」の部分までもが「浅い」ことだ。

 レーゾンデートルを探す虹人の、心のなんと浅いことか。
 天の鼓も、照葉への愛も、それまでの人生への思いも、なにもかもが、浅く、薄っぺらい。

 テーマを追及する態度や、ひとの心、なにもかも、絵に描いた餅状態。
 そこに慟哭はないし、闇もなければ光もない。

 
 惜しいのは、「上っ面だけ」はあるのよ。慟哭も闇も愛も。
 慟哭と闇と愛。つまりは萌えってこと。
 萌えとなり得る器はあるんだけど、中身がないの。

 だから、惜しい。
 もしも作品の内面が深ければ、物語がどんなに浅くて破綻していても、萌えな作品になったと思う。

 天才ゆえに苦悩する美青年。音楽の神に愛された、アマデウス。
 天才だから愛されるのか、音楽を捨てた自分に価値はないのか。
 レーゾンデートルの迷路。

 親友を愛し、またその才能にひそかに嫉妬する男。せめて音楽とはちがうところでささやかな幸福を得ようと恋をしたら、その恋人さえもが親友を愛してしまう。
 愛と嫉妬に揺れるまま、ついに彼は、親友に罠を仕掛ける……。

 生まれつきなにもかも持つ王者。すべてを意のままにしてきた王が、たったひとつ手に入れられないモノがあった。
 天才青年に拒絶された王は、権力を尽くして青年を追いつめる。彼を破滅させることで、王はほんとうに欲しいモノを手にすることができるのか。

 設定だけなら、こころから萌えなんだけど。
 たとえストーリーがめちゃくちゃで、突然ゼウス様だし、帝の前に一般人・照葉乱入して「鼓の命乞い」だし、その横で婚約者の樹は死刑宣告されてるし、とクライマックスですら爆笑ツボを欠かさない珍作品であったとしても、萌えさえあれば、無問題なのに。(例・『花恋吹雪』)

 どーして萌えないかな。

 自分のことしか考えられません!な天然無邪気天才美形様@オサだし、天上天下唯我独尊、世界よ我が前に跪け!な帝様@ゆみこだし、薄幸もここまで来ればすでに才能?! 真面目実直勤勉サラブレッド音楽家@まっつなのよ!!

 萌え設定と萌え役者が、雁首そろえてんのよ?!

 どーして萌えないかな。

 
 わかってます。
 答えはとっくに出てます。語ってます。

 浅いから。

 痛みもかなしみもくるしみも、きたないものもおぞましいものも、なにひとつほんとうに知らない人が、「こんなのって萌えよね♪」てな感じに鼻歌まじりで書いたモノには、萌えられません。

 や、ほんとに鼻歌まじりで書いたとは思ってないけど。
 つまりそれくらい、浅いんだわ。薄っぺらいんだわ。

 例に出して悪いけど、同じヲタク作家なら齋藤くんは、「萌え〜〜っ!!」って鼻血出しながら書いてると思うよ。
 書いてるものは同じくらいバカ丸出しに壊れてるけど、鼻歌まじりと鼻血吹いて、では、こめられているものの濃さがチガウよ。
 同じくらいあさはかなら、せめて鼻血吹いて倒れるよーなものを書いてくれよ。

 つーことで、笑えるけど萌えられません。

 
 でもこの「笑える」ってのはエンタメとしての強みだから、リピートするとたのしいかもしれない。

 とりあえずゆみこちゃんはすばらしいしなっ。

 主演3人のファンなんで、わたしはまだ観に行く予定です。

         

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