過去と未来と太陽と。@ドルチェ・ヴィータ!
2004年12月18日 タカラヅカ 火曜日に帰宅して、木曜日にモリナ姉さんとデートして、金曜日にまた旅立つ。……そんな人生、まちがってる気がしないでもない(笑)。
木曜日、モリナさんとお茶しているときに組替え発表があった。
「まとぶん、花組だって。じゃあ星の3番手は誰になるんだろう」
と言ったわたしに、モリナさんはものすごーく素で答えた。
「しいちゃんじゃないんですか?」
そしてわたしもものすごく素で、返した。間髪入れずに。
「絶対ナイ」
……………………ごめん、しいちゃん。
☆
予定はなかったのに、今週末もまたLet’s東宝、HOTEL DOLLY。
それもこれもドリーさんが、「毎週、なんて無理、ですよね? 4列目のチケットあるんですけど」と言ってくれたため。
4列目ですとっ?! ぜんぜん無理じゃないです、行きます、もちろん! ありがとう。
チケット付き宿泊プランもアリなんですね、HOTEL DOLLY(笑)。
そして、東宝に日参している?(笑)ドリーさん、サトリちゃん、わたし以上に毎週完璧に東宝に現れているkineさんも合流。
濃いわ……なんかすっげー濃いんですけど。
先日の観劇で、ついうっかり「あちら側」に行ってしまったわたしは、ほんとのところ、迷ってました。
あの記憶のまま、封印するべきじゃないのかって。
ハンパな席でハンパな気持ちのまま『ドルチェ・ヴィータ!』を観て、あの感動がべつのもので上書きされてしまうことを恐れた。
晃さんに譲ってもらった1階センター席チケットと、ドリーさんに譲ってもらう4列目のチケットの2枚しか持たずにはるばる東宝まで行ったのは、そんな迷いがあったため。
どうせ行くなら、4公演4枚分のチケットを押さえてから行くべきなのに。
観られなかったら、それはそのときのこと。
そんなふうに、ちょっと後ろ向きな気持ちで旅立ったんだ。
結果として、4公演全部観られたんだけど(笑)。
あの愛しい楽園は、もう彼岸にしかありませんでした。
どんなに焦がれても、たどりつくことはできない。
わたしは「こちら側」で、せつなく眺めておりました。
ところで。
「過去」と「未来」のどちらが好きかと問われて、「未来」と答える人はどれくらいいるんだろう。
わたしはもちろん、「未来」の方が可能性とか希望とかにあふれていて、わくわくするものだと思っているよ。
物語でも詩でもそうじゃん。「未来」や「明日」を語る方がすばらしいって!
わくわくするのは「未来」。
でも。
好きなのは、「過去」。
愛しいのは、過去だ。昨日だ。
だからきっと、『ドルチェ・ヴィータ!』がこんなに好きなんだろうなあ。
過去が好きだよ。昨日が愛しいよ。
バカで幼くてまちがいだらけの自分ごと。
会いたい人たちがいる。
もう二度と会えない人。
今でも声をおぼえている。夢の中では、ふつーに出てきて、生活している。
失ってしまったものがある。
もう二度と手にすることはできない。
のぞんで捨てたわけじゃない。選ばなかった、だから残らなかったもの。
いとしい、いとしい、いとしい。
だいすき。
過ぎてきた時間のひとつひとつ、出会ってきた人、感じたこと、全部がいとしい。
過去が愛しい。
だからわたしは、『ドルチェ・ヴィータ!』に囚われる。
フィナーレの歌手たちは、口々に「昨日」と「別れ」を歌う。
主題歌の「マスカレード」、とても長い歌だけど、タイトルと同じ“マスカレード”という単語が出るのはただ一度。
エトワール(笑)であり、このショーの方向をカタチ付けたひとり、ケロが歌う。……愛されてるね、ケロ。ありがとう、オギー。
うしなったものがいとしくて、せつなくて、涙が止まらないそのときに。
太陽が、現れる。
太陽の申し子@ワタルくん。
“新しい一日”を、「明日」を、「未来」を、高らかに歌う。
ふさがりきらず、濡れたままの傷口に、あたたかいものがふりそそぐ。
わたしだからじゃなく、なにか理由があるからじゃなく。
この光は、すべてをつつむんだ。
すべてを癒すんだ。
なんとゆーか。
これほどまでに、ワタルくんに感謝したことはなかったよ。
ディアボロと白いスーツの男が、銀橋から去っていったあと、大階段にひとり立つワタルくん。
フィナーレでただひとり、「未来」を歌うワタルくん。
すくってくれて、ありがとう。
美しい悪夢のなか、甘い闇のなか、現世を忘れ現実を否定し、心地いい絶望のなかで眠りたくなるわたしを、「こちら側」に連れ戻してくれて、ありがとう。
こちら側が、この世界が、現実が、美しいことやさしいことを、思い出させてくれて、ありがとう。
ワタさんの存在は、救いなんだ。
そのまっすぐさ。おおらかさ。やさしさ。あかるさ。すこやかさ。
その、つよさ。
太陽があるから、わたしは闇を愛し、心の穴にフタをすることができるんだ。
「過去」を愛し、焦がれながらも、「未来」にわくわくする。
そーやって、生きていく。
木曜日、モリナさんとお茶しているときに組替え発表があった。
「まとぶん、花組だって。じゃあ星の3番手は誰になるんだろう」
と言ったわたしに、モリナさんはものすごーく素で答えた。
「しいちゃんじゃないんですか?」
そしてわたしもものすごく素で、返した。間髪入れずに。
「絶対ナイ」
……………………ごめん、しいちゃん。
☆
予定はなかったのに、今週末もまたLet’s東宝、HOTEL DOLLY。
それもこれもドリーさんが、「毎週、なんて無理、ですよね? 4列目のチケットあるんですけど」と言ってくれたため。
4列目ですとっ?! ぜんぜん無理じゃないです、行きます、もちろん! ありがとう。
チケット付き宿泊プランもアリなんですね、HOTEL DOLLY(笑)。
そして、東宝に日参している?(笑)ドリーさん、サトリちゃん、わたし以上に毎週完璧に東宝に現れているkineさんも合流。
濃いわ……なんかすっげー濃いんですけど。
先日の観劇で、ついうっかり「あちら側」に行ってしまったわたしは、ほんとのところ、迷ってました。
あの記憶のまま、封印するべきじゃないのかって。
ハンパな席でハンパな気持ちのまま『ドルチェ・ヴィータ!』を観て、あの感動がべつのもので上書きされてしまうことを恐れた。
晃さんに譲ってもらった1階センター席チケットと、ドリーさんに譲ってもらう4列目のチケットの2枚しか持たずにはるばる東宝まで行ったのは、そんな迷いがあったため。
どうせ行くなら、4公演4枚分のチケットを押さえてから行くべきなのに。
観られなかったら、それはそのときのこと。
そんなふうに、ちょっと後ろ向きな気持ちで旅立ったんだ。
結果として、4公演全部観られたんだけど(笑)。
あの愛しい楽園は、もう彼岸にしかありませんでした。
どんなに焦がれても、たどりつくことはできない。
わたしは「こちら側」で、せつなく眺めておりました。
ところで。
「過去」と「未来」のどちらが好きかと問われて、「未来」と答える人はどれくらいいるんだろう。
わたしはもちろん、「未来」の方が可能性とか希望とかにあふれていて、わくわくするものだと思っているよ。
物語でも詩でもそうじゃん。「未来」や「明日」を語る方がすばらしいって!
わくわくするのは「未来」。
でも。
好きなのは、「過去」。
愛しいのは、過去だ。昨日だ。
だからきっと、『ドルチェ・ヴィータ!』がこんなに好きなんだろうなあ。
過去が好きだよ。昨日が愛しいよ。
バカで幼くてまちがいだらけの自分ごと。
会いたい人たちがいる。
もう二度と会えない人。
今でも声をおぼえている。夢の中では、ふつーに出てきて、生活している。
失ってしまったものがある。
もう二度と手にすることはできない。
のぞんで捨てたわけじゃない。選ばなかった、だから残らなかったもの。
いとしい、いとしい、いとしい。
だいすき。
過ぎてきた時間のひとつひとつ、出会ってきた人、感じたこと、全部がいとしい。
過去が愛しい。
だからわたしは、『ドルチェ・ヴィータ!』に囚われる。
フィナーレの歌手たちは、口々に「昨日」と「別れ」を歌う。
主題歌の「マスカレード」、とても長い歌だけど、タイトルと同じ“マスカレード”という単語が出るのはただ一度。
エトワール(笑)であり、このショーの方向をカタチ付けたひとり、ケロが歌う。……愛されてるね、ケロ。ありがとう、オギー。
うしなったものがいとしくて、せつなくて、涙が止まらないそのときに。
太陽が、現れる。
太陽の申し子@ワタルくん。
“新しい一日”を、「明日」を、「未来」を、高らかに歌う。
ふさがりきらず、濡れたままの傷口に、あたたかいものがふりそそぐ。
わたしだからじゃなく、なにか理由があるからじゃなく。
この光は、すべてをつつむんだ。
すべてを癒すんだ。
なんとゆーか。
これほどまでに、ワタルくんに感謝したことはなかったよ。
ディアボロと白いスーツの男が、銀橋から去っていったあと、大階段にひとり立つワタルくん。
フィナーレでただひとり、「未来」を歌うワタルくん。
すくってくれて、ありがとう。
美しい悪夢のなか、甘い闇のなか、現世を忘れ現実を否定し、心地いい絶望のなかで眠りたくなるわたしを、「こちら側」に連れ戻してくれて、ありがとう。
こちら側が、この世界が、現実が、美しいことやさしいことを、思い出させてくれて、ありがとう。
ワタさんの存在は、救いなんだ。
そのまっすぐさ。おおらかさ。やさしさ。あかるさ。すこやかさ。
その、つよさ。
太陽があるから、わたしは闇を愛し、心の穴にフタをすることができるんだ。
「過去」を愛し、焦がれながらも、「未来」にわくわくする。
そーやって、生きていく。
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