愛を語るエリザベート。@汐美真帆ディナーショー
2004年11月16日 タカラヅカ ありがとう、エリザベート。フランツを愛してくれて。
一度ぐらいは正式タイトルを書いておこう。汐美真帆ディナーショー『Good Bye,Good Guy,Good Fellow』。
内容をひとことでいうと、「サヨナラショー」だった。
ケロちゃんのヅカ人生を彩る作品や曲を使い、たのしくもせつない「ケロとケロファンのために」創られたショーだった。
オギーはかなしみとたのしさの緩急の付け方を熟知しており、盛り上げたあとでどんと泣かせたり、たのしませたあとでじーんとさせたり、楽々と演出していたと思う。
ぐんちゃんのサヨナラバウでも感じたことだけど、そうやって「過去」を一度「素材」にまでばらばらにして、それを再構成して「別のモノ」を創るのがうまい。
ぐんちゃんのときは「芝居」だったからストーリーがあったけれど、今回は「ショー」。台詞はなく、音楽とシーンだけで観客の心を揺り動かす。
「ショー」としてのデキはふつうレベルだと思う。
ただ、なんの関係もない人が迷い込んで、このショーを観たのならば。
黒燕尾のタンゴにはじまって、トレンチコートにスーツのギャング系男と美女たち、ときにコミカルに、ときにシリアスに。セクシーだったり母性本能刺激系だったりするかと思えば、突然「ルパン三世」で洗脳ダンス、フルート演奏、かと思えばマタドールだし、演歌歌手かタカラヅカでしかありえない総スパンきらきら衣装だったり、ラテンメドレーしてみたり、ラストはもちろん白で美しく締めてみたり。
山あり谷あり、バラエティに富んだ、ふつーに無難にまとまったショー。
でも、その「無難に正しくまとまったショー」は、ケロちゃん関連のパーツでできあがってるんだもんよ。
「無難に正しく」ってだけでも、創るのはそれなりに大変よ? 起承転結やエンタメ感をきちんと理解してなきゃ、できないもんよ。
子供用のおもちゃで、「ブロック」ってあるじゃない。ひとつずつは単純なカタチのピースなんだけど、縦や横にジョイントさせることによって、いろんなものを作れるの。ダイヤブロックとかレゴとか。
そのブロックを自由に使って、お城を作る。四角いピースだけで四角以外のものを「自分で考えて」作るのは大変。どこにどのブロックをはめれば、きれいなお城になるかしら。途中で壊れたり、わけがわからなくなったりしない、誰が見ても「きれいね」と言ってもらえるお城を作るのは、それなりに大変だってば。
自由にどのブロックを使ってよくても、一から美しいお城を作るのは難しい。
しかしさらに、使うブロックの数や色、形が決められていたら?
ものすごーく、むずかしいよね?
ケロにちなんだ曲ばかりで、「ケロを知らない人でもたのしめるショー」を作ったオギーはさすがだ。
ふつーに盛り上がってたのしいショーだから、誰でもたのしめる。
でも。
ケロを好きな人は、見つめてきた時間があった人は、その濃度に応じた「プラスアルファの感動」があるわけだ。
曲目リストに出典が書かれていない曲だって、「あ、これはイカロスだ」とか「なつかしいなあ、メール夫人」とか記憶を揺り動かす。
いちいち小技が利いている。
じわじわとあとに残る、ボディブロー。
3回観てよかったと思うんだ。
最初の回は、なにが起こるのかわからなくて、観ているわたしは平静じゃない。構えている部分がある。どんなパンチがくるかわからないから、いつも緊張してますっていうか。
2回目は、リラックスしていた。
もう一度観ることができる、ということに、わくわくしていた。
そりゃも泣くけどさ。
ぼろぼろ泣くけど、基本的に鼻水が垂れない限りハンカチを使わないわたしは、涙の粒で胸元がびしょびしょになっていたりするけど。
かなしみよりも、よろこびの方が大きかった。
また、会えたね。
そんな感じ。
3回目は、開幕直前にダーリンに接近遭遇しちゃって、それだけで心臓ばくばくだったけど(笑)。
よろこびよりもまた、かなしみやせつなさが勝ってきたなあ。
ステージは中央が高くなっていて、最初ケロはそこから登場する。そしてショーの最後は、下手袖へ消えていった。
鳴りやまないアンコールで出てくるのも、下手袖から。マジ泣きしてハンカチで鼻押さえて、マイク持ってくるの忘れて、忘れたことにも気づかず生声で礼を言い、娘役さんがあわてて持ってきたマイクにもう一度同じことを言ったりしたのも、みんな下手袖。
下手を出たり入ったりするケロちゃんは、かわいかったよ。
絶対泣いてると思ったけど、やっぱり泣いてて、オトコマエな姿と化粧なのに、顔がすっかり女の子の泣きべそ顔になっていて、かわいいやらある意味愉快やら。
なんと愛すべき人かと思う。
彼の退場口が下手袖なのは、幸いだったよ。
ショーを観ながら、何度も何度も思った。
舞台中央、高くなった「スターの位置!」って感じの場所。ショータイトルの掲げられた幕の真下の位置。
そこにも、出入り口があるわけさ。
そこから登場されると、「おお〜〜っ」て感じで、実にかっこいい。
だけど。
そこから退場されるのは、嫌だった。
ステージの中央だよ?
そこから退場するためには、わたしたちに背を向けることになるの。
プログラムの最中、そこから退場するたびに。
わたしは、思っていた。
行かないで。
背中を向けないで。
行かないでください。
背中を見るのが、めちゃくちゃつらかった。
後ろ姿が消えていく。
それがもう、嫌で嫌で。
かなしくて。
涙で顔ががびがびになりながらも、去っていく背中に懸命に語りかけていた。心の中で。
いやだ、行かないで。
後ろ姿なんか見たくない。
ないってばよ。
……だから。
最後にケロちゃんが消えていくのが下手袖で、よかったよ。
真ん中で背中を向けて去って行かれ……そしてそれが最後だったら、立ち直れない。
ショーが終わったあとの、脱力したような場の空気。
泣き疲れた人たちが、空虚な顔で互いを見回す。
ちょっと照れ笑いしてみたりな。
3回目は、ジェンヌさんで客席は華爛漫だった。
なんて人数だよ。ケロちゃん、愛されてるね。それがうれしい。
ゆうひくんは2夜連続登場か。愛だね。
わたしの席からは、ゆうひくんの顔がよく見えたので、ケロちゃんの客席降りのたびにゆーひくんのことも一緒に見ちゃったよ。
ケロの芸歴をたどるよーな構成のこのショーの、公演関連曲としてはトリを飾るのが、『エリザベート』の「夜のボート」。ケロちゃんが新公で歌った歌。
南海まりちゃんがエリザベートとして登場し、ケロとのデュエットを聴かせてくれた。
とても美しいエリザベートだった。とても美しい歌声だった。
でもさらに、彼女を美しいと思ったのは。
彼女が……エリザベートが、フランツを愛していたこと。
今まで観てきたどんな『エリザベート』ともチガウ。
シシィは、フランツを愛している。黒いベールの向こうの瞳には、愛があった。
フランツを愛しながら、惜しみながら、「別れの歌」を歌っていた。別の道を歩むのだと。
ありがとう、シシィ。わたしの大切な人を、愛してくれて。
一度ぐらいは正式タイトルを書いておこう。汐美真帆ディナーショー『Good Bye,Good Guy,Good Fellow』。
内容をひとことでいうと、「サヨナラショー」だった。
ケロちゃんのヅカ人生を彩る作品や曲を使い、たのしくもせつない「ケロとケロファンのために」創られたショーだった。
オギーはかなしみとたのしさの緩急の付け方を熟知しており、盛り上げたあとでどんと泣かせたり、たのしませたあとでじーんとさせたり、楽々と演出していたと思う。
ぐんちゃんのサヨナラバウでも感じたことだけど、そうやって「過去」を一度「素材」にまでばらばらにして、それを再構成して「別のモノ」を創るのがうまい。
ぐんちゃんのときは「芝居」だったからストーリーがあったけれど、今回は「ショー」。台詞はなく、音楽とシーンだけで観客の心を揺り動かす。
「ショー」としてのデキはふつうレベルだと思う。
ただ、なんの関係もない人が迷い込んで、このショーを観たのならば。
黒燕尾のタンゴにはじまって、トレンチコートにスーツのギャング系男と美女たち、ときにコミカルに、ときにシリアスに。セクシーだったり母性本能刺激系だったりするかと思えば、突然「ルパン三世」で洗脳ダンス、フルート演奏、かと思えばマタドールだし、演歌歌手かタカラヅカでしかありえない総スパンきらきら衣装だったり、ラテンメドレーしてみたり、ラストはもちろん白で美しく締めてみたり。
山あり谷あり、バラエティに富んだ、ふつーに無難にまとまったショー。
でも、その「無難に正しくまとまったショー」は、ケロちゃん関連のパーツでできあがってるんだもんよ。
「無難に正しく」ってだけでも、創るのはそれなりに大変よ? 起承転結やエンタメ感をきちんと理解してなきゃ、できないもんよ。
子供用のおもちゃで、「ブロック」ってあるじゃない。ひとつずつは単純なカタチのピースなんだけど、縦や横にジョイントさせることによって、いろんなものを作れるの。ダイヤブロックとかレゴとか。
そのブロックを自由に使って、お城を作る。四角いピースだけで四角以外のものを「自分で考えて」作るのは大変。どこにどのブロックをはめれば、きれいなお城になるかしら。途中で壊れたり、わけがわからなくなったりしない、誰が見ても「きれいね」と言ってもらえるお城を作るのは、それなりに大変だってば。
自由にどのブロックを使ってよくても、一から美しいお城を作るのは難しい。
しかしさらに、使うブロックの数や色、形が決められていたら?
ものすごーく、むずかしいよね?
ケロにちなんだ曲ばかりで、「ケロを知らない人でもたのしめるショー」を作ったオギーはさすがだ。
ふつーに盛り上がってたのしいショーだから、誰でもたのしめる。
でも。
ケロを好きな人は、見つめてきた時間があった人は、その濃度に応じた「プラスアルファの感動」があるわけだ。
曲目リストに出典が書かれていない曲だって、「あ、これはイカロスだ」とか「なつかしいなあ、メール夫人」とか記憶を揺り動かす。
いちいち小技が利いている。
じわじわとあとに残る、ボディブロー。
3回観てよかったと思うんだ。
最初の回は、なにが起こるのかわからなくて、観ているわたしは平静じゃない。構えている部分がある。どんなパンチがくるかわからないから、いつも緊張してますっていうか。
2回目は、リラックスしていた。
もう一度観ることができる、ということに、わくわくしていた。
そりゃも泣くけどさ。
ぼろぼろ泣くけど、基本的に鼻水が垂れない限りハンカチを使わないわたしは、涙の粒で胸元がびしょびしょになっていたりするけど。
かなしみよりも、よろこびの方が大きかった。
また、会えたね。
そんな感じ。
3回目は、開幕直前にダーリンに接近遭遇しちゃって、それだけで心臓ばくばくだったけど(笑)。
よろこびよりもまた、かなしみやせつなさが勝ってきたなあ。
ステージは中央が高くなっていて、最初ケロはそこから登場する。そしてショーの最後は、下手袖へ消えていった。
鳴りやまないアンコールで出てくるのも、下手袖から。マジ泣きしてハンカチで鼻押さえて、マイク持ってくるの忘れて、忘れたことにも気づかず生声で礼を言い、娘役さんがあわてて持ってきたマイクにもう一度同じことを言ったりしたのも、みんな下手袖。
下手を出たり入ったりするケロちゃんは、かわいかったよ。
絶対泣いてると思ったけど、やっぱり泣いてて、オトコマエな姿と化粧なのに、顔がすっかり女の子の泣きべそ顔になっていて、かわいいやらある意味愉快やら。
なんと愛すべき人かと思う。
彼の退場口が下手袖なのは、幸いだったよ。
ショーを観ながら、何度も何度も思った。
舞台中央、高くなった「スターの位置!」って感じの場所。ショータイトルの掲げられた幕の真下の位置。
そこにも、出入り口があるわけさ。
そこから登場されると、「おお〜〜っ」て感じで、実にかっこいい。
だけど。
そこから退場されるのは、嫌だった。
ステージの中央だよ?
そこから退場するためには、わたしたちに背を向けることになるの。
プログラムの最中、そこから退場するたびに。
わたしは、思っていた。
行かないで。
背中を向けないで。
行かないでください。
背中を見るのが、めちゃくちゃつらかった。
後ろ姿が消えていく。
それがもう、嫌で嫌で。
かなしくて。
涙で顔ががびがびになりながらも、去っていく背中に懸命に語りかけていた。心の中で。
いやだ、行かないで。
後ろ姿なんか見たくない。
ないってばよ。
……だから。
最後にケロちゃんが消えていくのが下手袖で、よかったよ。
真ん中で背中を向けて去って行かれ……そしてそれが最後だったら、立ち直れない。
ショーが終わったあとの、脱力したような場の空気。
泣き疲れた人たちが、空虚な顔で互いを見回す。
ちょっと照れ笑いしてみたりな。
3回目は、ジェンヌさんで客席は華爛漫だった。
なんて人数だよ。ケロちゃん、愛されてるね。それがうれしい。
ゆうひくんは2夜連続登場か。愛だね。
わたしの席からは、ゆうひくんの顔がよく見えたので、ケロちゃんの客席降りのたびにゆーひくんのことも一緒に見ちゃったよ。
ケロの芸歴をたどるよーな構成のこのショーの、公演関連曲としてはトリを飾るのが、『エリザベート』の「夜のボート」。ケロちゃんが新公で歌った歌。
南海まりちゃんがエリザベートとして登場し、ケロとのデュエットを聴かせてくれた。
とても美しいエリザベートだった。とても美しい歌声だった。
でもさらに、彼女を美しいと思ったのは。
彼女が……エリザベートが、フランツを愛していたこと。
今まで観てきたどんな『エリザベート』ともチガウ。
シシィは、フランツを愛している。黒いベールの向こうの瞳には、愛があった。
フランツを愛しながら、惜しみながら、「別れの歌」を歌っていた。別の道を歩むのだと。
ありがとう、シシィ。わたしの大切な人を、愛してくれて。
コメント