とりあえず、タニちゃんはほんとーに美しい人だなあ。
 その美しさを堪能する。
 終始シンプルな服装、頭のカタチまんま出るタイトなオールバック。足長っ、顔小さっ、スタイル良っ。
 今まで彼のことを「かわいい」と思ってはいても、「美しい」とは思ってなかったので、びっくりだ。
 こんなに美しい人だったのか。

 ほぼ出ずっぱり。膨大な台詞の量、全体からみれば少ないとはいえ重要な歌、そしてダンス。
 …………何回台詞噛んだかな……けっこーな回数、噛んでたぞ。

 たぶんタニちゃん自身の引き出しにはない、「大人の男」の役。
 挫折と破滅。時の流れ。退廃と鬱屈。

 宙組バウホール公演『THE LAST PARTY 〜S.Fitzgerald’s last day〜』、植田景子作。

 20世紀アメリカ文学を代表する作家のひとり、スコット・フィッツジェラルドの物語。
 えー、アレだ。野心に燃えていた学生時代、文壇デビュー、天才だベストセラーだ大騒ぎだ、毎晩パーティだ! から一転落ちぶれてどん底生活。聖と俗、理想と現実の狭間で、ひとりの天才が苦悩しちゃう話。
 ……というと、身も蓋もないか? 天才じゃなくても、苦悩するのは一緒だけどな! とわざわざ台詞で解説していたな。プログラムにも書いてあったよーな?(作者、喋りすぎだ)
 

 さて、この作品はどうだろう。
 美しいタニちゃんが主演する、とにかく「美しい作品」。
 画面のひとつひとつが美しい。
 景子先生らしい、繊細な美しさに満ちている。

 わたしは相変わらずなんの予備知識もなく観ていたので、まず「フィッツジェラルドの一代記」だということにおどろいた。
 ええっ、20年間もの出来事を、ひとつひとつ本人のナレーションでやっちゃうんですか?

 一代記モノって、苦手なんだよなー。大抵「出来事」を羅列するだけで精一杯で、エンタメにならないから。散漫でシーンがぶつ切りで話がつながらなくて盛り上がりに欠けて、とにかくいいことがない。
 長い時間を短い上演時間で表現するのには、テクニックが必要。むずかしいんだってことが最初からわかってるのに、何故かヅカの作家はすぐに一代記を書きたがる。
 きっとアレだな、一代記の最後は大抵主役が死ぬから、それで観客を感動させられるとか安直に思ってるんだろうな。どんなに他がめちゃくちゃでも、バカな客は主役が死ねば泣くから、って。
 とまあ、わたしは一代記ものにいいイメージがない。あるのはトラウマばっかしさ、駄作を見せられたゆえの。

 だからこの作品の、「出来事羅列」「キャラ紹介に大忙し」「ナレーションにつぐナレーション」な構成に、「テンポ悪!」「どっから本編? いつまで前解説?? 全部ナレーションぢゃ感情移入できねーよ」と、盛大に首を傾げていたさ。

 あと、人数の少なさも、すげーさみしい。
 ローリング20’sの華やかなパーティのはずなのに、印象は「ショボっ!!」。
 なまじっか雪組公演の『華麗なるギャツビー』のオープニングとかが鮮明に記憶に残ってるからなあ。ああ、きっとあれくらい派手で華やかなシーンなんだろうなあ、ものすげーしょぼいけど。と、さみしく脳内補完したさ。

 ぐんちゃんのひとり芝居『ゼルダ』の記憶も新しく、キャラも出来事の流れも全部頭に入っている。それでもなお感じる、テンポの悪さ、展開のタルさ。

 盛り上がらないよね……てゆーかコレ、エンタメ系の話じゃないよね……? 拍手する箇所(していい箇所)もほとんどないし。
 ヅカだし景子せんせだし、美しくミュージカルに仕上げてあるけどコレ、やっぱしどうあがいても、純文系の話だよねえ?? アクション(動作)により視覚に直接訴えかける映画とかのビジュアル系ではなく、内面の動きにより精神に訴えかける小説系の話だよねえ?
 アクションより心理描写、の物語を、「オシャレ」とか「たのしい」というより「美しい」作品として整えている。それってやっぱし、純文ってことだよなあ。

 エンタメエンタメとこだわってごめんよ。
 ヅカは大衆演劇、エンタメだと思っているもんだからさ。その観点で見ちゃうのよ。

 エンタメは「自分で転がっていくボール」だと思う。
 どんなふうに転がるか、スピードはどうかで、いろいろカラーが分かれるけれど。

 この作品は、スムーズに転がらない。
 ビロードの上を転がっている感じ。
 転がりにくいなー、スピード出ないなー。
 でもきれいだなー。

 てな感じっすね。

 でもね、そーゆーテンポですすむ話なんだ、と観つづけることで体感してしまえば、あとはけっこー入り込める。
 作品世界への手触りに慣れたら、もう大丈夫。

 なんか、ものすげー泣けたんですけど。

 場内すすり泣きの渦。

 ことさらな「さあ、泣けっ」な押し売りシーンはないんだけど(例・谷正純、植田紳爾作品)、やるせないかなしみが、ずーっと満ちているのね。
 ひとつひとつのやるせなさ、ひとつひとつのせつなさが、芝居が進むに従って積み重なってくる。1枚ずつは薄い軽いベールなんだけど、ラストまでたどりつくころには、泣かずにはいられない重さになってわたしを覆い尽くしていた感じ。

 エンタメよりは、純文寄り。
 それでもバウホールである以上、この路線はアリだと思う。
 バウ以上のハコでやると、きついだろうが。

 タカラヅカですから。
「どうだった?」って聞かれて、「おもしろい」とか「たのしかった」と答えるよりも、「きれいだった」と答えるのはアリでしょう!
 画面もキャラも、そしてキャラの心の中も、みんなしんと美しいのよ。

 
 それにしても、この出演者の少ない舞台を支えていたのは、ヒロイン・ゼルダ役のかなみちゃんと、編集者マックス役のまりえっただ。
 うまい。このふたりだけ、群を抜いてうまい!
 エンタメ系の芝居なら、華だとかアイドル性だとか、若さやけなげさ元気さで、なんとでもなる面があるが、こーゆー系の芝居は、演技力がないときついよー。

 タニちゃんはなー……とにかく美しいから。
 あの美しさで、十分物語を盛り上げていたと思う。
 技術とは別の部分で、主役としての仕事をしていた。
 空気をつくるのは重要さ。タカラヅカだからな! 美しくてナンボだ!
 アレでスコットが不細工だったりふつーの5等身しかない日本人の男が演じていたら、それだけでNGだ。

 あ、もちろん熱演だったし、タニちゃん比としては、うまかったと思うよ。

 でもさー……。
 正直なとこ、スコット役は演技力のある人にやって欲しかったな……。ごめんねタニちゃん、ごめんねごめんねごめんね! 君のことは好きだけど、好意とは別のとこにある希望なの。

 
 それにしても、なに組を見ているのか、いまいち実感が湧かない……。
 タニちゃんにまりえったにあひくんって……月組……?

 
 萌えはなかったよ、かねすきさん。
 たぶんキャスティングの問題が大きいと思う。
 月バウなら萌えられるかも?

 でもさー……。
 正直なとこ、スコット役は演技力のある人にやって欲しいな……。ごめんねゆうひくん、ごめんねごめんねごめんね! 君のことは好きだけど、好意とは別のとこにある希望なの。

 だってスコットってさ。ほとんどひとり芝居のウエイトなんだよ??

     

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