陳玄礼@ケロはまたしても、どんどん台詞を増やしている。
 『王家に捧ぐ歌』のときと同じ。あのときは、公演が進むにつれ台本にない台詞、「アイーダ!」を連発していたね。
 今回の『花舞う長安』でもそう。

 「陛下!」のひとこと、大増量中。

 マイクを切られているのをいいことに、生声で「陛下」って何回言ってるよ、あんた……。

 相変わらず、愛がクソ熱い男だ。

 ケロちゃんのすばらしさのひとつは、「愛を表現するのを惜しまない」ことだと思う。
 ショーのとき、組んでいる娘役さんに対するまなざしとか見ていてもわかるよな。
 よくもそこまでっ!ってくらい、とろとろにやさしい瞳で相手を見つめている。

 恋にめろめろ、君にめろめろ、というのを表現して、男ぶりを下げる男と、上げる男がいるよね。
 恋なんかに女なんかに腰砕けになってみっともなーい、と思わせる男と、そこまで愛してるんだかっこいい、と思わせる男。
 両者を分けるのは包容力かしら。
 男としての度量かしら。
 なんにせよ、恋人を見つめるケロちゃんの「愛にあふれた」瞳にきゅーんとなるのだ。ああ、あの瞳で見つめられたい! と。
 冷酷な役をやると、とことん冷酷な眼になる人なのにねえ。ふだんはとにかくやさしいよなあ。

 そんな「愛チカラ」にあふれきった彼は今、全身全霊を上げてワタさんLOVEを貫いています。
 うわー……濃い……。

 陳玄礼はどこまでも、「陛下、陛下」と小うるさく騒いでいます。顔は冷酷な武将なんだが、いちいち熱い。博多のときとは別人になってないか、おい。
 行きすぎた愛情が、台詞にない「陛下」という相手への呼びかけの言葉になって、ほとばしっているようです。

 ……恥ずかしい……。
 愛を隠さないのは君の美点だが、野郎相手にそこまで惚れてるのは、しかも盛大に空回っているのは、ちと恥ずかしいよ(笑)。
 好きだけどな、そーゆーとこ(笑)。

 
 博多座『ドルチェ・ヴィータ!』でも、ホモの恋を演じていた航海士@ケロとセレブ男S@ワタル(プログラムを買ったので役名がわかった)ですが。
 大劇でも健在です。
 シーンが博多とは変更になっているので、ふたりの接点が一瞬しかないんだけど、その一瞬で毎回確実に、航海士はセレブ男SにFall in LOVEしとります。
 初日からずっと、わたしが見る限り1回もハズすことなく、パーフェクトに。つまり、ここは「公式に」こーゆー解釈なんでしょう。演出家オギーだから、ホモに理解ありそうだし。「男が一目惚れするほどの、いい男」ってことで、タカラヅカ的にもOKなんでしょう。

 銀橋を渡ってきた美男美女、セレブ男Sとセレブ女S@檀ちゃんを、下手花道で迎える航海士たち。
 セレブ男Sは、航海士の前で帽子を取る。
 はじめて間近でセレブ男Sの顔を見た航海士は、その男前さに放心、誰の声も届かずただぼーっとセレブ男Sだけを見つめ続ける……。

 本筋には関係ないところで、何故男同士の一目惚れを丁寧に演じているのか。
 愉快でなりません。

 正妻の檀ちゃんにかなうはずもないが、どうかがんばってこの恋を貫いて欲しいですわ、ケロちゃん。

 
 ワタさんLOVEぶりが熱くて濃いので、ケロトウぶりはちとひかえめだなあ、この公演。役に引きずられるのかな。芝居でトウコはケロの恋敵(断言)だもんなあ。
 『王家』や『巖流』のときほどの、目を覆いたくなるようなトウコLOVEぶりは見えないものの、ショーではちゃんとケロトウなシーンもあるので、それもたのしい。愛が見える男だから、ケロ。愛を隠さない男だから、ケロ。

 愛が見たい。
 一途さや熱血が「かっこわるい」とされるこの現代で。
 とことん一途で、とことん熱血な、見栄も保身もなくただ素直にあるがままの愛を、見せて欲しい。

 それは救いだから。
 それは祈りだから。

 愛のある姿は、わたしを救うから。わたしを癒すから。

 
 そして。
 陳玄礼は「陛下!」を連発し、航海士は恋をし、フィナーレの男は盟友と踊るのさ。

 愛が熱い。

     

コメント

日記内を検索