何故カルロスは、ミルバを愛さないんだろう。
 そんな疑問を抱きつつも千秋楽。

 脚本上では、カルロスはミルバを愛しているようだが、実際のカルロスは、ミルバのこと愛してないよねえ?
 花組公演『La Esperanza』は、重ねて観れば観るほど、主役カップルの愛のなさに唖然とする。

 作品のカラーやテーマをぶちこわしているのは、まちがいなく主役のふたりだ。

 『La Esperanza』は地味な作品。
 宿命だの悲劇だの、ドラマチックな告白だのがない分、役者が自力で愛を高めなければならない。
 台詞やシチュエーションの底上げナシに、愛し合っていることを観客にわからせなければならない。
 なーのーにー。

 カルロスは、ミルバ以外と接するときはハートフルだ。フアンのことは本当に大切にしているらしいし、ベニートの熱さを苦笑しつつも気に入っている様子。おにーちゃんのことは大好きで甘えまくってるし、事件後のフラスキータへの深い思いもわかる。
 なのにどーして、ミルバには表面的にしか接しないんだろう。

 ミルバは、カルロス以外といるときの方が、魅力的だ。いちばん彼女が輝くのはギジェルモやヘルナンデスと一緒にいるとき。活き活きとした素敵な女の子になる。
 なのにどーして、カルロスといるときはくすんでしまうんだろう。

 相性が悪いってのは、こういうことをいうんだなあ。と、思う。
 一緒にいるだけで、相手に悪影響を与える。べつに悪意も害意もないのに、自然とそうなってしまう。
 人間って不思議だ。

 そしていちばん不思議なのは、どうしてこんなに相性の悪いふたりが、トップコンビなのかってことだけどな。

 もちろん、相性云々ぐらい、真の役者ならば演技力でカバーするもんなんだろうけど、残念ながらこのふたりにはそこまでの力量がない。技術ではなく、カバーする気がないだけかもしれんが。
 自己完結した表面的な演技だけで、ちゃんと演じているつもりらしい。自己愛の透けて見えるふたり。そういう意味では、相性はいいのかな。結局自分しか好きじゃないわけだから。そんなふたりがくっつくのは、世の中のためかも。

 
 とまあ、ちと辛辣かもしれませんが。
 「自分しか愛せない」ナルシストで傲慢な美青年、てのもキャラとしてはアリだと思うんで、花組トップスター様にはこのまま突っ走っていって欲しいです。

 そしてわたしの好みとしては、そーゆー男の妻は、けなげなまでに夫に惚れていてほしいのですわ。
 その昔、ヤンさんに一顧だにされないにかかわらず、みはるちゃんがけなげについていっていたよーに。

 オサちゃんの相方が、オサちゃんと同じように「自分しか愛せない」タイプのふーちゃんだっつーのは、つまらんです。
 ただの仮面夫婦じゃん、そんなの。
 萌えないわ。

 
 たか花やワタ檀がたのしいのは、夫婦がラヴラヴあつあつだから。
 愛があることが、目に見えるから。

 この殺伐とした現代に、目に見える「愛」があるなんて、すばらしいじゃないですか。
 それこそ「夢の世界」じゃないですか。
 わたしは夢が見たいのです。
 夢を見せてください、劇場にいる間だけ。

 
 ヒロインと恋愛する主人公、というのは、オサ様に関してはもうあきらめているんで、「誰からも愛されるけど、誰も愛さない男」としてのカルロスを堪能しました。

 いいよねえ、カルロス!
 出会う人出会う人に、猛烈に愛されて。
 でも本人、そんなのぜんぜん気づいてなくて。

 事件の夜、フラスキータが何故わざわざ自分を追いかけてきたか、素で理解してないんだよね。
 しかも、彼女が撃たれたことにさえ気づかないし。おにーちゃんのことしか考えてないから。……ほんとに、彼女のことなーんとも思ってなかったんだよねえ。ただの「職場の同僚」だったんだねえ。
 新しい職場でも、やたらみんなカルロスを好きだよね。ジュースをくれた女の子とか、マジでカルロスに惚れてがんばってアタックしてるんだろーに、もちろんカルロスはそんなことまったく気づいてないし。ベニートを案内してきて、そのまま一緒に喋りたがっている男もそうだね。カルロスの「特別」になりたくて、うずうずしている。
 でもカルロスは、彼らの「愛」にまったく気づかない。ただの「職場の同僚」だよね。

 だって、「愛されている状態」が、「平常」だから。

 愛されているのがあたりまえ。やさしくされるのがあたりまえ。
 それがデフォルトだから、気づかない。
 カルロスはマイペースにかろやかに、自由に生きる。

 愛があふれている暑苦しい男ベニート。彼もまた、いそいそとカルロスのもとに通う。そう、自分からアプローチしないと、カルロスからはしてくれないからね。触れ、抱きつけ、スキンシップ過多、とにかく全身で愛を表現しろ、でないとカルロスにはまったく通じないぞ(笑)。

 顔はクールな二枚目なのに、黙って踊っていれば超絶色男なのに、言動が三枚目の愛すべき男ベニートと、一見人当たりのいい美男子、フレンドリーでハートフル、しかしその実誰の愛も届かない砂漠男のカルロスは、とてもいいコンビだと思う。

 カルロスがどんどん「愛の届かない男」だとわかるにつれ、ベニートの「愛の暑苦しい男」ぶりがヒートアップしていったと思う。
 初日付近とちがい楽付近では、ふたりのコントラストは笑えるくらいくっきりしていた。

 すさんだ目をしたクールな男に「愛が届かない」よりも、陽気で前向きで社交的なやさしい男に「愛が届かない」方が、より残酷で、愉快じゃないか?
 カルロスはやさしく誠実ないい男だよ。潔く真面目な男だよ。だからこそ彼の小悪魔ぶりが、不思議な「味」になっている。

 愛されるばかりで、自分から誰かを愛することはないんだね?
 ダンスのことしか考えてないんだね?
 フアンを大切にしているのも、彼が「自分の夢を継ぐ者」だからだね?
 本能に忠実なペンギンめ。
 ミルバを愛さないカルロスが、とても好きだ。彼の壊れた部分がとても好きだ(笑)。

 もちろん、カルロスとミルバの間に愛が見えないことで、作品の質を盛大に下げているけどね。
 今さらキャスティングが変わるわけじゃないから、それはもーあきらめてるの(笑)。ミルバ役が別の人なら、別の物語になったんだろうけどね。

 そして、「片想いキャラ」が好きなわたしは、ベニートが好きだ。
 この男の、カルロスへの潔い片想いっぷりが、ものすげーツボ。ぜんぜん報われてないのもまた、ツボ。
 『巖流』の武蔵の、小次郎への爆裂片想いっぷりがツボだったよーに、愛を隠さない男は大好きです。玉砕上等、空回り上等の暑苦しさが大好きです。

 あー、ベニートとカルロスでなんか書きたい……。ベニートの報われなさぶりと、カルロスの小悪魔ぶりを書きたい……。
 フアンとカルロスもいいんだけどなー。フアンは徹底的に健気、カルロスは大人で、なしくずしに……的な話。

 これだけキャラに萌えられる話は、さすが正塚だわ……。

 てな感慨に耽っておりましたよ、千秋楽。
 もう彼らに会えないのがかなしい。
 千秋楽だからなのか、カルロスは微妙に柄が悪くて(笑)、いつもよりクールで悪党入ってました。千秋楽だから熱っぽくなるかと思いきや、逆なのね。より「素」の部分が出るのかな。
 愉快だからヨシ。

     

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