わたしは子どもが好きではない。ガキよりはじじいの方が好きだ。
 ついでに、子どもを主役格に据えた物語も好きではない。大人の視点で子どもを美化したり勝手な理想や郷愁を押しつけたりして描いている可能性が高く、気持ち悪いからだ。

 なのに何故、『ぼくセザール 10歳半 1m39cm』を見に行ったか。

 主人公役の子が、きりやんに似ていたから。

 それだけか。
 それだけなのか、自分?!

 チビでちょっとデブでこまっしゃくれた男の子、セザール@ジュール・シトリュク。
 1m39cmの男の子の目線で語られる物語。

 ……っていってもなあ。
 1m39cm?
 わたし、10歳半のときすでに160cm近くあったから、そんな目線おぼえてねーよ。
 
 監督リシャール・ベリ、出演ジュール・シトリュク、マリア・ド・メディルシュ、ジャン=フィリプ・エコフェ。

 多感な小学生セザール@ジュール・シトリュクはもちろんのことだが小学生の世界で生きている。大人の世界はよくわからないし、大人もセザールを大人の世界からつまはじきにする。
 おかげでセザールは父@ジャ=フィリップ・エコフェの仕事を誤解し、「パパは刑務所に入った」と思い込んでしまう。
 パパが受刑囚、というとんでもない嘘をついた子ども、としてセザールの子ども社会での立場も大人からの信頼も地に落ちた。……悪いのは、子どもだからって軽んじて、同じ目線に降りてきてコミュニケーションを取らないパパなのに。
 折しも、セザールの親友モルガン@マボ・クヤテが離婚のため一度も会ったことのない父を捜しにロンドンまで行くという。元ロンドン在住だった学校一の美少女サラ@ジョゼフィーヌ・べリもソレにつきあうという。サラに片想い中のセザールとしては、ふたりだけで旅行に行かせるなんてとんでもない! モルガンは背が高くてかっこいい男の子だし! ただでさえモルガンとサラは美男美女でお似合いだし!
 パパの顔を見たくないセザールは、パパに会いたいモルガンと、複雑な家庭に育ったサラと3人で国境を越える。大人たちを出し抜いて。

 
 この映画がわざわざ日本に入ってきたのって、ひとえに、子どもたちがかわいいからだろうなあ。
 悪いが、それ以上はナニもない映画だった。
 テーマはありふれていてストーリーも起伏に乏しい。テンポがいまいちでユーモアも薄い。かといってシリアスでもなく、ものすごーい感動があるわけでなく、どっちかってーと淡々と進む。
 セザールの一人称のナレーションに頼り切った作り。ナレーションの背伸びした「子どもの理屈」がなかったら、とてもじゃないが見ていられない。てかナレーション多すぎ。
 全体の何割がナレーションなんだ?? まるでラジオドラマのよーだ。
 もしも日本語吹き替えでテレビで放送したりするなら、声優を使わずに本物の子どもに声をやらせてくれ。この映画に関しては、本物の子どもを使わなきゃダメだ。プロの声優がどれほど上手に子どもの演技をしても、ダメ。
 だって、子どもがかわいい以外に魅力がないんだもの。
 演技が下手でもなんでもいいから、本物の子どもに喋らせなきゃダメだー。

 画面はきれいでおしゃれ。セザールの目線1m39cmにこだわったカメラアングルはうまいと思う。
 でも、視覚だけだもんなあ、たのしいのは。
 セザールかわいー、モルガンかっこいー、サラ美人ー。……これだけかい。

 子どもが好きな人にはいいと思う。
 わたしだって、これが本物の猫がいっぱい出てきて、ストーリーなんかあんまりないけど猫がとにかくかわいい、っていうなら、それはそれでたのしんで見たと思う。猫が動いているってだけでうれしいから。
 それと同じノリだな。
 好きなモノが出てかわいいことをしている、というだけで幸福になれる人向き。

 ああそして、やっぱりセザールってば、きりやんに似てるー。
 きりやんが子どもだったらこんな感じかなぁ。
 ……という観点では、たのしめました。

    

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