戦いに疲れたので、日記でも書くことにする。

 今、冷酷心MAXに『ピクミン』やってるの。最近出た『2』じゃなく、『1』の方ね。時間制限があって、きついのなんのって。

 『ピクミン』ってさあ、子ども向けのフリして完璧大人向けのゲームだよねえ。子どもには残酷すぎるよコレ……いや、自然界はこれくらい残酷であたりまえかもしんないけどさ。
 死体のリアルさだとか、目的のために犠牲はあたりまえな考え方だとかさ……あまりにリアルに残酷で、くらくらするわ。

 えー、『ピクミン』は……ジャンルはなんだろ、アクションパズルとか、そんなかな。
 主人公(妻子持ち)になって、未知の惑星の生物「ピクミン」を誘導し、アイテムを探す。フィールドには危険と敵がいっぱい。主人公は自己の利益ためにピクミンを利用する。

 ピクミンには自我がない。
 主人公の思うがまま。
 母親のあとを追う幼児のように、主人公のあとを追う。
 この性質を使い、主人公はピクミンを敵と戦わせ、アイテムを運ばせる。
 ピクミンは疑うことなく主人公の命令に従う。ただ戦い、ただ死んでいく。

 
 今までどんなゲームやってたって、キャラを殺さないようにするのがあたりまえだったからなー。脇キャラでさえ死んだらリセット押すくらい、キャラを大切にしていたよ。
 しかし『ピクミン』は何匹死のうが気にしてられない。「個」がないから、気にせずに使い捨てられる。
 「生命」を「使い捨て」ることで「大義をなす」ゲーム。……すげえや。
 
 つくづく、よくできたゲームだ。
 キューブにはときおりこーゆーソフトがあるよね。マジすげえや、つーレベルのゲーム。
 PS2なら数倍は売れたし話題にもなったんだろうにねえ、という(笑)。

 ブラックさにくらくらし、ときおり虚しくなりつつも……。

 今、ラスボス戦なんですが。
 強すぎて、辟易。どーやって戦えばいいんだ……。

 すっかり冷酷になったわたしは、黄ピクミンに自爆させてますが。爆弾持たせて、ラスボスに食わせる。

 ちょっとすごい光景よ?
 わたしを信じて、わたしのために、何十匹の黄ピクミンが爆弾抱いて、黙って整列してるの。
 ラスボスに食べられるのを、じっと待ってるの。
 自爆させられるんだってこと、わかっているのかいないのか。わかっていてもせつないし、わからないまま言われたとおりにしているのだとしても、せつないよ。
 どっちにしても、殺すけどな。……そーゆーゲームだから。

           ☆

 『ピクミン』はともかく。

 『飛鳥夕映え』の話がしたかったんだ。

 あまりにも魅力に欠ける、蘇我鞍作という人物に惚れた人たちがわいのわいのやってる物語、それが『飛鳥夕映え』。
 鞍作という人は、周囲の人の台詞でだけ「すばらしい」と言われているが、やっていることといえば、ダンパで女の子をナンパしたり、パパの権力でおいしい地位につけてもらったり、女を二股かけたり、と、ろくなことをしていない。
 いくら台詞で「すばらしい」とか「優秀だ」と言われても、なにひとつ立派な行動をしていないので、そう思えっちゅーのは無理な話だ。
 なにかひとつでも、鞍作本人がすばらしい行動をとっていればいいんだが……それもないしな。
 人として最悪なことしかしていないが、何故だか周囲の人は彼を褒め称え、そのくせ最後はその周囲の人全員に見捨てられる、というよくわからないことになっている。

 わたしの感性ではこの話を理解できないので、ここは一発、理解できるようにねじ曲げるしかないな、と思った。

 
 つーことで、『飛鳥夕映え』の辻褄を合わせるための前提、その1。

 蘇我鞍作には、想像力がない。

 鞍作には、「自分」しかない。
 他人に心があり、感じたり傷ついたりするということが、理解できない。
 生まれつき「自己」以外のものを理解できない、そういう精神を持って生まれてしまったの。
 鞍作にとって他人は「ピクミン」と一緒。かわいがりもするし、やさしくもするけど、画面の向こうの疑似生命体と同じで、自分と同じように「心」があるとは思わない。
 利用されて死んでいくピクミンを見て、「可哀想」とは思うけど、利用して殺すことはやめない。だってピクミン、自我ないし。必要だからやってることだし。……てなもんだ。
 生まれつき、欠けているのよ。どうしようもないの。

 鞍作は基本的には、やさしい人。
 だけど他人に心があることを知らないから、傷つけるのも平気。
 雑草を踏む感じ。雑草が痛がるなんて人間は考えないよね。それと同じ。

 だから彼は、自分が気持ちいいことしかしない。
 自分の行動で傷つく人がいるなんてこと、生まれてから一度も考えたことがない。
 瑪瑙を愛しているのも本当。彼女に対して誠実なのも本当。
 だけど、誘われれば誰とでも関係を持つ。自分が他の人間と寝ることで、瑪瑙が傷つくなんて概念ははじめからない。
 政治で誰を踏みつけても平気。パパの権力をカサに着るのも平気。他人の傷みの存在を知らないから。

 だから鞍作はいつも、涼しい顔をしている。
 彼は天使。いかなるときも心に一点の曇りもない、正しく優しい人。

 自分に気持ちいいだけの人生を送っているんだから、そりゃ心に曇りなんかないわな……。
 ひとを疑ったことも、嫉妬したこともない。他人に心があることを知らないから、そんな醜い感情を持つ段階に至っていない。

 鞍作には想像力がない。目に見えないものは知らない。触れないものは、彼には「存在自体がない」ということ。

 そんな鞍作だから、周囲の者には魅力的に思える。

 鞍作ひとりが、圧倒的に特異、エイリアンくらい変わった人物だから。
 情緒に関してだけは日本語通じないけど、それ以外のことは優秀、そして権力者の息子で、美形。
 彼の奇妙さは、全部「よくわかんないけど、すばらしいもの」として受け止められていた。

 人々は、鞍作に勝手にいろんな夢を抱いて、勝手に好意を持っていた。
 ひとりずつがきっと、別の「鞍作」を見ていたのだと思う。

 どれだけ人格に致命的な欠落があろうと、鞍作は権力者の息子。後ろ盾がある以上はすべてプラスにしか見えなかった。

 そう、あくまでも、彼に権力がある場合のみ、だ。

 権力が消えるとき、彼の存在価値も消失する。

 鎌足の暗躍により、鞍作の権力は絶対のものではなくなった。
 後ろ盾が揺らいだ場合、はじめて人々は鞍作の欠陥に目を向ける余裕を持つ。
 鞍作本人はたしかに、類を見ない変わった人だし、天使みたいに美しくてやさしいけど……でも、あの男、変じゃないか? 他人の「心」に興味がなさすぎる。情緒がなさすぎる。

 鞍作が他人の心を想像できない、欠落した人だとわかったとき、皇極帝を含め、すべての人が敵に回った。
 権力もなく、他人を踏みつけるしか能のないお人形さんを、のさばらせておいても仕方ないってことさ。
 
 ……というストーリーラインなら、辻褄が合うんじゃないかしら。

 これは前提その1なんで、他にいくらでも別のパターンはあるんだけども。
 これくらいねじ曲げた設定かまさないと、鞍作が理解できないんだもんよー。
 この設定のうえで、鎌足とか他のキャラの愛憎をねっとり描くのは、たのしそうだけどなー。

        

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