人は人を救えるんだってことさ。

 変身して巨悪と戦う必要はないよ。
 ビルの谷間を飛び回らなくていい。
 巨大怪獣や悪の組織と戦わなくてもいいんだ。

 人は、人を救えるんだよ。

 たとえば電車でさ、気分が悪くなってこのままだと絶対倒れる、てときに、
「どうしたの? 気分悪いの? ここに坐りなさい」
 って知らないおばさんに席譲られて、よくわかんないまま、新しいドリンクの缶握らされてて、気がついたらもうそのおばさんはいなくて。

 道ばたでたまたま通った人に、道順を聞いたら快く教えてくれた。言われた方へ歩いていると、すごい勢いでその人が走ってきた。
「ちがうの、わたしの説明が悪かったみたい。そっちじゃなくて、ここで曲がるの」
 言うだけ言って、またもときた方へ去っていく。

「助けてください」
 切羽詰まってどうしようもなくて、ぜんぜん知らない人に声をかけた。
「わかった。まかせなさい」
 迷いのない声が返り、救いの手がさしのべられた。「大丈夫だから、落ち着いて。自分のできることをきちんとしたら、間に合うんだから。可能性はあるんだから。落ち着いて、がんばりなさい」

 出来事自体、行為自体はとてもささやか。地球を救うわけでなし、災害を防ぐわけでなし。
 だけど彼らはぜんぜん関係ないのに、そんなことしてもその人の人生にはなんの得にもならないのに、わざわざ手を貸して、自分の時間使って労力使って、他人……わたしに、やさしくしてくれた。
 名前も知らない、通り過ぎただけの人たち。

 人は人を救える。
 助けられたわたしは、厚意を受けたわたしは、しつこく感謝の気持ちを持ちつづける。
 ありがとう、ありがとう。
 いつかわたしも、人を助けられる人になる。

 それは、「希望」だから。

 殺伐とした世の中で、こわい事件かなしいニュースの飛び交う日々の中で。
 そんななかで、この世界にはあんな人たちがいる。大したことじゃなくても、いや、大したことじゃないからこそ、ふつーにあたりまえに、日常の範囲内の出来事として、やってしまう人たちがいる。
 なんの気負いもなく、ひとに親切にできる人たちがいる。
 それは希望だから。
 誰かが特別なんじゃなくて、誰だってきっと、人を救うことができるんだって。人にやさしくすることができるんだって。

 わたしだって、誰かを救ったり、やさしくしたりできるんだって。

 希望だから。

 
 電車でわたしを助けてくれたおばさんは、わたしを抱え起こすだけの体力があったわけだね。道を教えてくれた人は、道を知っていた。
 親切にしたくても、自分が病気で起きあがれないとか、道を知らないとかだったら、してあげられないことだったよね。
 自分にある力で、余力の部分で、人になにかしてあげられたってことだよね。
 というと、聞こえが悪い? 余力でほどこした、とかに取られると嫌だな。
 たしかに余力だけど、いくら余力があっても、それをしなければならない、って決まってるわけでもないのに、自発的にしてくれたってことだよ。
 判断し、行動したのはその人たちだから。
 目の前で子どもが溺れてたら、なにかできないか、きっと本気で考えてわたわたするね。飛び込んで助けようとするかはともかく、警察に連絡するとか、泳ぎのうまそうな人を呼ぶとか、なにかアクション起こすよね。
 見て見ぬふりしたって、誰も責めないのにね。
 なにかできるなら、したいと思うよね。

 つまりは、そーゆーことなんだと思うのよ。
 スパイダーマンこと、ピーター・パーカー@トビー・マグワイアの抱え込んだ「現実」は。

 彼には「力」がある。
 人を助けられる力。
 あるから、使う。
 人を助け続ける。

 でも、そーやってヒーロー業をしていると、実生活に支障が出た。愛する女の子を自分のヒーロー人生に巻き込めないから、告白することもできないし、時間やスケジュールを守れないから仕事や勉強もできない。
 じゃあ、やめればいいじゃん。
 ヒーローやめて、ふつーに生活すればいい。好きな女の子に好きだって言えば?

 ピーターの迷いも悩みも、べつにぜんぜん、特別じゃないし。

 道を歩いてたら、目の前で倒れる人がいた。
 どうしよう、あたし今、時間ないんだ。救急車呼んだりなんだりしてる余裕ないよ! 生活かかってんのに!!
 ……てなときに、どうするか、でしょう?
 自分の都合を犠牲にして、知らない人を助けるか、「ごめんね、見なかったことにする」って立ち去るか。

 立ち去ったとしても、べつに罪にはならないし。助ける義理もないし。

 でもわたし、助けられたのに。わたししかできないことだったのに。
 できるのにしないって、どういうこと?
 あたし、そんなんでいいの?

 そりゃ、「なんであたしが」とか、「わたしばっか損してる」とか思うよ。
 思うけど……やっぱ、助けずに後悔するより、助けて後悔する方がいいでしょう?

 そーゆー傷み。
 われらがヒーロー、スパイダーマン。

 人助けして自分の生活助けられないなんて、なーんかバカげてるよね。損だよね。
 だけど、見て見ぬふりはできないんだよね。
 ヒーローだとか正義だとかいう以前に。

 だって、余力があるんだから。
 道を知ってるんだから、知らない人が教えてくれって言ってきたら、教えてあげるでしょうよ。

 これからどーしてもはずせない会議なんだよ、これすっぽかしたり遅れたりしたら、クビ切られるんだよ。
 なのになんで、今このタイミングで目の前で子ども溺れてるの? オレに助けろってか? でもそんなことしてたらオレの人生がおわっちまうっての。
 ……て、そんな選択、人生にいくらでもあるわな。

 ピーターの人生はまさにソレで。
 一度は「もうやめだ!」と投げ出したけど、やっぱり見捨てたままではいられずに、走り出す。

 子ども助けたのはいいけど、完璧遅刻だよ……。服もびしょびしょだし、書類も落とした。急いでるから、って名前も告げずに走り去ったから、親から礼金もらうこともできねーなー。
 もうダメだ、なにやってんだオレ。なんも意味ないじゃん。

 そりゃその通りで。どんなに善行したって、直接ピーターにいいことなんか返ってこない。
 だけど、人々は忘れない。
 スパイダーマンのことを。

 今日ね、知らない人が助けてくれたの。親切にしてくれたの。
 とてもとても、うれしかったの。感謝しているの。
 世の中には、あんな人がいるんだね。こわい人ばっかじゃないんだね。
 
 人は、人を救うことができる。
 通りすがりに助けてくれたひとのことを、忘れない。つらいときに、手をさしのべてくれた人の存在を、忘れない。

 いつかわたしも、誰かを救う。
 大したことはできなくても、ちっぽけでも、なにか、してあげられる人になる。

 人々はスパイダーマンを讃える。
 この世界に、ヒーローがいることを誇りに思う。
 人に救われた、だからこそ人を救うことを身をもって感じる。
 見せ場のひとつであった電車のシーン、身を挺して乗客を守ったスパイダーマンと、彼を守るために怪人の前に立ちはだかる「ふつうの人々」。

 ひとは、やさしくなれるんだよ。
 そう思える映画。

 だからこそ、ヒーローは必要さ。

   

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