いつか、彼になる日。@スパイダーマン 2
2004年7月22日 映画
人は人を救えるんだってことさ。
変身して巨悪と戦う必要はないよ。
ビルの谷間を飛び回らなくていい。
巨大怪獣や悪の組織と戦わなくてもいいんだ。
人は、人を救えるんだよ。
たとえば電車でさ、気分が悪くなってこのままだと絶対倒れる、てときに、
「どうしたの? 気分悪いの? ここに坐りなさい」
って知らないおばさんに席譲られて、よくわかんないまま、新しいドリンクの缶握らされてて、気がついたらもうそのおばさんはいなくて。
道ばたでたまたま通った人に、道順を聞いたら快く教えてくれた。言われた方へ歩いていると、すごい勢いでその人が走ってきた。
「ちがうの、わたしの説明が悪かったみたい。そっちじゃなくて、ここで曲がるの」
言うだけ言って、またもときた方へ去っていく。
「助けてください」
切羽詰まってどうしようもなくて、ぜんぜん知らない人に声をかけた。
「わかった。まかせなさい」
迷いのない声が返り、救いの手がさしのべられた。「大丈夫だから、落ち着いて。自分のできることをきちんとしたら、間に合うんだから。可能性はあるんだから。落ち着いて、がんばりなさい」
出来事自体、行為自体はとてもささやか。地球を救うわけでなし、災害を防ぐわけでなし。
だけど彼らはぜんぜん関係ないのに、そんなことしてもその人の人生にはなんの得にもならないのに、わざわざ手を貸して、自分の時間使って労力使って、他人……わたしに、やさしくしてくれた。
名前も知らない、通り過ぎただけの人たち。
人は人を救える。
助けられたわたしは、厚意を受けたわたしは、しつこく感謝の気持ちを持ちつづける。
ありがとう、ありがとう。
いつかわたしも、人を助けられる人になる。
それは、「希望」だから。
殺伐とした世の中で、こわい事件かなしいニュースの飛び交う日々の中で。
そんななかで、この世界にはあんな人たちがいる。大したことじゃなくても、いや、大したことじゃないからこそ、ふつーにあたりまえに、日常の範囲内の出来事として、やってしまう人たちがいる。
なんの気負いもなく、ひとに親切にできる人たちがいる。
それは希望だから。
誰かが特別なんじゃなくて、誰だってきっと、人を救うことができるんだって。人にやさしくすることができるんだって。
わたしだって、誰かを救ったり、やさしくしたりできるんだって。
希望だから。
電車でわたしを助けてくれたおばさんは、わたしを抱え起こすだけの体力があったわけだね。道を教えてくれた人は、道を知っていた。
親切にしたくても、自分が病気で起きあがれないとか、道を知らないとかだったら、してあげられないことだったよね。
自分にある力で、余力の部分で、人になにかしてあげられたってことだよね。
というと、聞こえが悪い? 余力でほどこした、とかに取られると嫌だな。
たしかに余力だけど、いくら余力があっても、それをしなければならない、って決まってるわけでもないのに、自発的にしてくれたってことだよ。
判断し、行動したのはその人たちだから。
目の前で子どもが溺れてたら、なにかできないか、きっと本気で考えてわたわたするね。飛び込んで助けようとするかはともかく、警察に連絡するとか、泳ぎのうまそうな人を呼ぶとか、なにかアクション起こすよね。
見て見ぬふりしたって、誰も責めないのにね。
なにかできるなら、したいと思うよね。
つまりは、そーゆーことなんだと思うのよ。
スパイダーマンこと、ピーター・パーカー@トビー・マグワイアの抱え込んだ「現実」は。
彼には「力」がある。
人を助けられる力。
あるから、使う。
人を助け続ける。
でも、そーやってヒーロー業をしていると、実生活に支障が出た。愛する女の子を自分のヒーロー人生に巻き込めないから、告白することもできないし、時間やスケジュールを守れないから仕事や勉強もできない。
じゃあ、やめればいいじゃん。
ヒーローやめて、ふつーに生活すればいい。好きな女の子に好きだって言えば?
ピーターの迷いも悩みも、べつにぜんぜん、特別じゃないし。
道を歩いてたら、目の前で倒れる人がいた。
どうしよう、あたし今、時間ないんだ。救急車呼んだりなんだりしてる余裕ないよ! 生活かかってんのに!!
……てなときに、どうするか、でしょう?
自分の都合を犠牲にして、知らない人を助けるか、「ごめんね、見なかったことにする」って立ち去るか。
立ち去ったとしても、べつに罪にはならないし。助ける義理もないし。
でもわたし、助けられたのに。わたししかできないことだったのに。
できるのにしないって、どういうこと?
あたし、そんなんでいいの?
そりゃ、「なんであたしが」とか、「わたしばっか損してる」とか思うよ。
思うけど……やっぱ、助けずに後悔するより、助けて後悔する方がいいでしょう?
そーゆー傷み。
われらがヒーロー、スパイダーマン。
人助けして自分の生活助けられないなんて、なーんかバカげてるよね。損だよね。
だけど、見て見ぬふりはできないんだよね。
ヒーローだとか正義だとかいう以前に。
だって、余力があるんだから。
道を知ってるんだから、知らない人が教えてくれって言ってきたら、教えてあげるでしょうよ。
これからどーしてもはずせない会議なんだよ、これすっぽかしたり遅れたりしたら、クビ切られるんだよ。
なのになんで、今このタイミングで目の前で子ども溺れてるの? オレに助けろってか? でもそんなことしてたらオレの人生がおわっちまうっての。
……て、そんな選択、人生にいくらでもあるわな。
ピーターの人生はまさにソレで。
一度は「もうやめだ!」と投げ出したけど、やっぱり見捨てたままではいられずに、走り出す。
子ども助けたのはいいけど、完璧遅刻だよ……。服もびしょびしょだし、書類も落とした。急いでるから、って名前も告げずに走り去ったから、親から礼金もらうこともできねーなー。
もうダメだ、なにやってんだオレ。なんも意味ないじゃん。
そりゃその通りで。どんなに善行したって、直接ピーターにいいことなんか返ってこない。
だけど、人々は忘れない。
スパイダーマンのことを。
今日ね、知らない人が助けてくれたの。親切にしてくれたの。
とてもとても、うれしかったの。感謝しているの。
世の中には、あんな人がいるんだね。こわい人ばっかじゃないんだね。
人は、人を救うことができる。
通りすがりに助けてくれたひとのことを、忘れない。つらいときに、手をさしのべてくれた人の存在を、忘れない。
いつかわたしも、誰かを救う。
大したことはできなくても、ちっぽけでも、なにか、してあげられる人になる。
人々はスパイダーマンを讃える。
この世界に、ヒーローがいることを誇りに思う。
人に救われた、だからこそ人を救うことを身をもって感じる。
見せ場のひとつであった電車のシーン、身を挺して乗客を守ったスパイダーマンと、彼を守るために怪人の前に立ちはだかる「ふつうの人々」。
ひとは、やさしくなれるんだよ。
そう思える映画。
だからこそ、ヒーローは必要さ。
変身して巨悪と戦う必要はないよ。
ビルの谷間を飛び回らなくていい。
巨大怪獣や悪の組織と戦わなくてもいいんだ。
人は、人を救えるんだよ。
たとえば電車でさ、気分が悪くなってこのままだと絶対倒れる、てときに、
「どうしたの? 気分悪いの? ここに坐りなさい」
って知らないおばさんに席譲られて、よくわかんないまま、新しいドリンクの缶握らされてて、気がついたらもうそのおばさんはいなくて。
道ばたでたまたま通った人に、道順を聞いたら快く教えてくれた。言われた方へ歩いていると、すごい勢いでその人が走ってきた。
「ちがうの、わたしの説明が悪かったみたい。そっちじゃなくて、ここで曲がるの」
言うだけ言って、またもときた方へ去っていく。
「助けてください」
切羽詰まってどうしようもなくて、ぜんぜん知らない人に声をかけた。
「わかった。まかせなさい」
迷いのない声が返り、救いの手がさしのべられた。「大丈夫だから、落ち着いて。自分のできることをきちんとしたら、間に合うんだから。可能性はあるんだから。落ち着いて、がんばりなさい」
出来事自体、行為自体はとてもささやか。地球を救うわけでなし、災害を防ぐわけでなし。
だけど彼らはぜんぜん関係ないのに、そんなことしてもその人の人生にはなんの得にもならないのに、わざわざ手を貸して、自分の時間使って労力使って、他人……わたしに、やさしくしてくれた。
名前も知らない、通り過ぎただけの人たち。
人は人を救える。
助けられたわたしは、厚意を受けたわたしは、しつこく感謝の気持ちを持ちつづける。
ありがとう、ありがとう。
いつかわたしも、人を助けられる人になる。
それは、「希望」だから。
殺伐とした世の中で、こわい事件かなしいニュースの飛び交う日々の中で。
そんななかで、この世界にはあんな人たちがいる。大したことじゃなくても、いや、大したことじゃないからこそ、ふつーにあたりまえに、日常の範囲内の出来事として、やってしまう人たちがいる。
なんの気負いもなく、ひとに親切にできる人たちがいる。
それは希望だから。
誰かが特別なんじゃなくて、誰だってきっと、人を救うことができるんだって。人にやさしくすることができるんだって。
わたしだって、誰かを救ったり、やさしくしたりできるんだって。
希望だから。
電車でわたしを助けてくれたおばさんは、わたしを抱え起こすだけの体力があったわけだね。道を教えてくれた人は、道を知っていた。
親切にしたくても、自分が病気で起きあがれないとか、道を知らないとかだったら、してあげられないことだったよね。
自分にある力で、余力の部分で、人になにかしてあげられたってことだよね。
というと、聞こえが悪い? 余力でほどこした、とかに取られると嫌だな。
たしかに余力だけど、いくら余力があっても、それをしなければならない、って決まってるわけでもないのに、自発的にしてくれたってことだよ。
判断し、行動したのはその人たちだから。
目の前で子どもが溺れてたら、なにかできないか、きっと本気で考えてわたわたするね。飛び込んで助けようとするかはともかく、警察に連絡するとか、泳ぎのうまそうな人を呼ぶとか、なにかアクション起こすよね。
見て見ぬふりしたって、誰も責めないのにね。
なにかできるなら、したいと思うよね。
つまりは、そーゆーことなんだと思うのよ。
スパイダーマンこと、ピーター・パーカー@トビー・マグワイアの抱え込んだ「現実」は。
彼には「力」がある。
人を助けられる力。
あるから、使う。
人を助け続ける。
でも、そーやってヒーロー業をしていると、実生活に支障が出た。愛する女の子を自分のヒーロー人生に巻き込めないから、告白することもできないし、時間やスケジュールを守れないから仕事や勉強もできない。
じゃあ、やめればいいじゃん。
ヒーローやめて、ふつーに生活すればいい。好きな女の子に好きだって言えば?
ピーターの迷いも悩みも、べつにぜんぜん、特別じゃないし。
道を歩いてたら、目の前で倒れる人がいた。
どうしよう、あたし今、時間ないんだ。救急車呼んだりなんだりしてる余裕ないよ! 生活かかってんのに!!
……てなときに、どうするか、でしょう?
自分の都合を犠牲にして、知らない人を助けるか、「ごめんね、見なかったことにする」って立ち去るか。
立ち去ったとしても、べつに罪にはならないし。助ける義理もないし。
でもわたし、助けられたのに。わたししかできないことだったのに。
できるのにしないって、どういうこと?
あたし、そんなんでいいの?
そりゃ、「なんであたしが」とか、「わたしばっか損してる」とか思うよ。
思うけど……やっぱ、助けずに後悔するより、助けて後悔する方がいいでしょう?
そーゆー傷み。
われらがヒーロー、スパイダーマン。
人助けして自分の生活助けられないなんて、なーんかバカげてるよね。損だよね。
だけど、見て見ぬふりはできないんだよね。
ヒーローだとか正義だとかいう以前に。
だって、余力があるんだから。
道を知ってるんだから、知らない人が教えてくれって言ってきたら、教えてあげるでしょうよ。
これからどーしてもはずせない会議なんだよ、これすっぽかしたり遅れたりしたら、クビ切られるんだよ。
なのになんで、今このタイミングで目の前で子ども溺れてるの? オレに助けろってか? でもそんなことしてたらオレの人生がおわっちまうっての。
……て、そんな選択、人生にいくらでもあるわな。
ピーターの人生はまさにソレで。
一度は「もうやめだ!」と投げ出したけど、やっぱり見捨てたままではいられずに、走り出す。
子ども助けたのはいいけど、完璧遅刻だよ……。服もびしょびしょだし、書類も落とした。急いでるから、って名前も告げずに走り去ったから、親から礼金もらうこともできねーなー。
もうダメだ、なにやってんだオレ。なんも意味ないじゃん。
そりゃその通りで。どんなに善行したって、直接ピーターにいいことなんか返ってこない。
だけど、人々は忘れない。
スパイダーマンのことを。
今日ね、知らない人が助けてくれたの。親切にしてくれたの。
とてもとても、うれしかったの。感謝しているの。
世の中には、あんな人がいるんだね。こわい人ばっかじゃないんだね。
人は、人を救うことができる。
通りすがりに助けてくれたひとのことを、忘れない。つらいときに、手をさしのべてくれた人の存在を、忘れない。
いつかわたしも、誰かを救う。
大したことはできなくても、ちっぽけでも、なにか、してあげられる人になる。
人々はスパイダーマンを讃える。
この世界に、ヒーローがいることを誇りに思う。
人に救われた、だからこそ人を救うことを身をもって感じる。
見せ場のひとつであった電車のシーン、身を挺して乗客を守ったスパイダーマンと、彼を守るために怪人の前に立ちはだかる「ふつうの人々」。
ひとは、やさしくなれるんだよ。
そう思える映画。
だからこそ、ヒーローは必要さ。
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