さて、TCAの感想だけで数日使っちゃいましたが。
 月組公演『飛鳥夕映え』の2回目にも行ってきました。えーと、15日かな。

 目当てはもちろん役替わり、大好きなかっしーの鎌足です。

 実はわたし、かっしー鎌足の日も、いつもの1列目の端席を押さえてあったんだけど、その日は大阪に帰れなくて、泣く泣く手放した。……同等席交換も難しく(みんな端席嫌いなんだよね)、仕方なくかっしーを少しばかり遠い席で観たよ……ああ、前で観たかった。真ん中でなくてもいいんだ、人の顔を見るためだけならば。とにかく前方席で見たかったのよ、美しいかっしーを。

 ええ。
 期待通りの、美しい鎌足でした。

 
 ところでわたし、今回の鎌足@かしげを見て、いちばん、腹の底からおどろいたことは。

 かっしー、頭良さそうな役もできたんだ!!

 われらがかしげちゃんの、愛すべき特色は、なにをやってもアタマ悪そうなキャラに見えることだったからねえぇぇ。
 なにをやってもどんな役を演じても、誠実さと頭の悪さが透けて見える、それがかっしーだったからねえ。

 まさか、頭の良さそうなかしげちゃんを、この目で見られる日が来ようとはなあ。長生きはするもんだなあ。

 ついでに、成功したかしげの悪役も、はじめて見た(笑)。

 かっしーてば、なにをやってもどんな役を演じても、かなしいくらい「いい人」だったからなあ。
 生真面目で器用じゃなくて誠実な、とにかく「いい人」。
 悪役をやっていても、一生懸命悪役しているのが透けて見える、小人物な「いい人」。

 ハンサムで背が高くて地位も財産もそこそこあって、しかも誠実でやさしくて、ヒロインのことを誰よりも愛しているんだけど、
「あなたはとても素敵な人よ。でもごめんなさい、あたし、やっぱり彼を愛しているの」
 と、結局最後は振られてしまう、またすっきり身を引いてしまう、恋愛ドラマの当て馬のよーな「いい人」かしげ。

 だからかっしー、人気ないんだよね……。
 恋愛ドラマの視聴者は、ヒロインに感情移入して見るからさ。ただの「いい人」かしげには立場以上の好意はなくて、たとえ地位や財産がなくても、他に女(あるいは男とか・笑)の影があったとしても、あさこのよーな色男のもとに走るんだよなー。

 わたしはずっと、かしげちゃんのそのかしげちゃんらしい鈍くささ、美貌の持ち腐れとしか思えない薄さ(いや、髪の毛のコトじゃなくて)と善良さを愛でてきました。

 『追憶のバルセロナ』でなにをまちがったか黒いオイシイ役をいただきながらも、持ち前の鈍くささと善良さで台無しにしていた、あのなさけない姿ですら、あたたかく見守ってきましたとも。
 『バルセロナ』の役ができなかった人が、鎌足なんつーわかりやすい悪役をできるんかいね? フェロモン炸裂のあさちゃんやらゆうひやらと並んで、色気皆無のさわやかさんが、どうする気だね?
 とまあ、いろいろ勘ぐってはおりました。
 かっしーのかっしーらしさを愛してはいるが、致命的な欠点だとも思っていたからな。「いい人」以外演じられないというのは。

 救いは、得意の日本物だってことかな。
 日本物の雪組で御曹司として育ったかしげは、日本物が得意。若いころから鍛えられている。素地があるのは強みだよね。説得力になるから。
 それだけを支えに、見に行きましょう、大好きなかっしーを。
 たとえまたしても失敗して、「なんちゃって悪役」だとか「頭悪そうで見ていて失笑」だとかいう鎌足になっていても、だ、大丈夫、それでもわたし、かしげを好きなままでいるわ!!

 
 きゃ〜〜っ、かっしー素敵ー! 鎌足さまぁ♪

 意外や意外、ちゃんと頭の良さそうな、悪役らしい悪役のかっしーがいました。
 なまじ美貌だから、悪をやると映える。

 はあ。
 かっこいいかしげなんて、見るの『アナジ』以来だよ……。何年ぶりだよ……。
 素敵なかしげなんて、見るの『アンナ・カレーニナ』以来だよ……。何年ぶりだよ……。

 とまあ、うれしいおどろきに満ちていました。

 
 悪役の鎌足はきちんと悪役で、日本物の所作にも優れ、歌も演技もそこそここなしている。
 そしてわたしは、この芝居を観るのが2回目。
 それなら今度こそわかるはずだわ、鞍作という人のことが。

 わかりませんでした。
 ねえ、鞍作って、いったいどういう人?


 ふつうは、1回観ただけでわかるもんなんだが……。初日の翌日だったかに観に行ったときは、さっぱりわからなかったの。主役の鞍作という人のキャラクタが。
 作品がアレなせいだと、そのときは納得した。

 タカラヅカは座付き作者が、「タカラヅカのための作品」を書き下ろす。よその作家がそのときだけ雇われて演出するわけじゃないんだ。専属のクリエイターが需要明確に書き下ろすんだよ。
 それだからこそ、主役を演じるトップスターの魅力を引き出して当然だと思っている。だって、そのために座付きとして存在しているんだから。
 それゆえにわたしは、この口うるさい日記で、演出を責めることはしても、演じる人の力量を責めることはあまりない。そりゃま、感想の範囲として多少は言及するけどさ。生徒の力量よりも演出の方に興味があるのよ。
 ダンスが下手な人に「このシーンのダンスが下手だから、作品をぶちこわしている」とは言わない。ダンスが下手だとわかっているスターに、「このダンスが踊れないと作品がぶちこわしになる」よーなダンスシーンを書き下ろした作家を責める。なんのための座付きだ。「ダンスが下手なスター」だとはじめからわかっていて、「スターを魅力的に見せる」ことが使命のくせに、そんなバカなことをするなんて、と。
 「このダンスが踊れないと作品がぶちこわしになる」よーな作品が書きたかったら、別のときにやればいい。求められているのはあくまでも「スター」であって、「タカラヅカ」であって、その演出家個人ではないのだから。「タカラヅカ」という枠の中ですばらしい作品を創るクリエイターが必要とされているのだから。
 好きな演出家はいろいろいるけれど、彼らが「ヅカ」ではなく、ふつーに外部の人たちを使って芝居を書いても、観に行きたいと思うことはあまりない。人気の荻田浩一だって、彼の外部オリジナル芝居を観に行く人はほんとーにわずかだ。つまりそれくらい、必要とされているのは「タカラヅカであること」なんだ。
 「タカラヅカである」以上、作家はスターの特性に合わせた芝居を書く使命がある。それでメシを食ってるんだから、当然だ。発注通りの製品を納品するのが社会人としてあたりまえのこと。
 だから、『飛鳥夕映え』をはじめて観たときも、まず言及したのは作品の低品質ぶりだ。
 つまらないよ、この話……。ただの「あらすじ」って感じで、中身ないじゃん……。主役のキャラクタが見えないって、どういうこと? もっとさえちゃんに合った話にしてやれよー。
 
 そう。作品を語っても、主演者の力量についてどうこう言う気はなかったさ。

 でもさ……。
 2回目を観て、思った。

 たしかに作品も、けっして名作ではない。問題点ありまくりだ。誰が演じてもおもしろくなるっちゅーレベルの物語じゃないよ。
 しかし。

 文字数ないからつづく。

    

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