キャリエールはなにゆえに、あそこまで言動めちゃくちゃですか?

 が、大きなポイントだと思う。
 宙組公演『ファントム』感想。6月9日の日記のつづき。

 物語の舞台となっている19世紀末だっけのパリと、現代日本では感覚がまったくチガウ。だから、舞台背景を理解しなければ、キャリエールを理解できない。

 というのが、キャリエールの謎の答えだとは思っている。
 時代もチガウし、宗教もチガウ。離婚が許されないとか堕胎が罪だとかいう意識は、現代日本にはないからな。不義の子・障害者などへの差別っぷりも、そりゃー昔の方がすごいでしょう。
 禁忌がチガウ、常識がチガウ。
 あの世界では、キャリエールはああするしかなかった。

 ……というのは、べつにいい。わざわざそーゆー時代を舞台にした芝居やってんだから。

 問題は、そーゆー「世界観のちがい」を何故、きちんと解説・昇華していないのかということだ。

 「そうするしかなかった」ことを、ひとつずつ説明してくれよ。
 そーでないとキャリエール、ただの異常者だよ……。

 
 物語の根幹部分を形作る「キャリエール」が壊れているために、必然的に他の部分もガタがきている。
 「そうするしかなかった」結果がファントム伝説であり、エリックのかなしみと狂気につながるはずが、えらく乖離した物語に。
 
 
 キャリエールをきちんと描くことは、舞台となる「世界」を正しく描くことだと思う。
 いっそ彼を狂言回しにしてもよかったんじゃないか。そしたら2幕の過去話の唐突さが緩和されるんじゃ? もともと彼が語り部なら、多少長く語っても変じゃないし。

 キャリエールと時代背景を描き、そのうえでエリックの立ち位置や哀しい宿命を大きく打ち出す。
 キャリエールが異常者に見えてしまってはイカンのと同じで、エリックがただのバカに見えてしまってはイカンのだ。
 本人の責任ではなく、追いつめられて必然的にそこにたどりついてしまった……という設定が不可欠。

 
 感じるのは、ストーリーを進めることだけに終始して、人の心の動きを描き忘れているんじゃないかってこと。

 細かいところは描き忘れているにもかかわらず、クライマックスではどーんと情緒的。なんてバランス悪い(笑)。

  
 新公を観てしまったあとでは、「なんだ、あの話1時間半でもできるんじゃん」とわかってしまったので(笑)、新公の演出をベースにキャリエールの物語その他いろいろを付け加えて、改めて2時間半の作品にするってのはどうだ?(笑)
 もちろん、ラストシーンは全面カットか、あるいは新公バージョンにして。

 
 さて。
 物語としてみた場合、思い切りよく破綻しているこの『ファントム』。
 もしも大上段な原作がなく、オリジナルとしてこの脚本と演出だったら、駄作っ!!と、叩かれまくってただろーなー。
 それこそ、齋藤作品が叩かれるように。

 だが、齋藤作品がどれだけぶっ壊れていても魅力があるよーに、『ファントム』は魅力のある作品だ。
 こまったことに。

 わたしなんか、萌え萌えで観てるぞっと。

 美しい音楽に助けられているし、知名度の高いドラマチックな原作に助けられてもいる。そしてなにより、キャラ勝ちしている。
 ファントム=エリックというキャラクタは、女のツボだ。冷たい美貌に重い過去、いたいけな少年のような純粋な魂……こーゆー男に、女はめろめろになるわな(笑)。ヅカのターゲットは大人の女性なんだから、この母性本能を突かれるキャラクタは大変正しい。
 キャリエールの慈愛あふれる父親像、クリスティーヌの聖母性と、辻褄なんか問うな、キャラとシチュエーションで萌えろ!!と言わんばかりの力技。

 萌え作品上等! エンタメだからソレでヨシ!!

 …………でもな、演出担当の中村B先生。齋藤くんと同列に語られてしまう中堅作家ってのは、問題アリ過ぎだと思うよ。齋藤くんは若気の至りって芸風だからもう仕方ないけど、Bせんせはそーゆー芸風じゃないでしょー?

 
 さて。
 そろそろ疲れてきたので、わたしらしい話に移りたいと思います。

 このつっこみどころ満載っちゅーか、そもそも壊れてるから見ているモノが補完しないと落ち着かない作品。

 補完しましょう、Myビジョンで!!

 
 キャリエールは、エリックを独占したくて、地下に閉じこめたんだよね?

 同人BLの定番。どのジャンルでも絶対ある、「狂うほど受を愛した攻が、受を監禁してヤりたおす」アレですな。

 愛する受が、他人の目に映るのさえゆるせない。自分以外の人を見ることさえ許せない。ゆがんだ独占欲。狂った愛情。

 キャリエールが、エリックを人知れず閉じこめたのは、「私以外の誰も見ることはゆるさん」であり、「私以外を愛することはゆるさん」だよね?

 そうすれば、「誠実な頼りがいある支配人」としての彼のキャラを壊さず「顔が醜いっちゅーだけで息子を認知もせず幽閉した偽善者」にならず、「すべて愛ゆえ」という、美しい話になるよね?(笑)

 ただわたしは、幼児嗜好がないので、キャリパパが幼いエリックをどうこうしていたとは考えたくないです。ついでに、無理矢理も好きじゃないです。
 片想いややせ我慢が大好きなので(笑)、わたし的には、キャリパパとエリックは、クリス登場時点でまだ、肉体関係ナシです。

 エリックを愛するキャリエールは、幼い彼を監禁したのち、成長するのをじっくり待っているの〜。
 また、エリックが「じゅて〜む、ジェラルド」と言ってくれるのを、待っているのです!! 

 エリックを手なずけることなんて簡単。
 愛されたがっている孤独な彼は、やさしくしてやりさえすれば、「愛しているよ」と言ってさえやれば、問答無用に墜ちるでしょう。
 性的にも未熟な彼を、自在に 調教 あわわその、愛し合い方を教えることもできるでしょう。

 でもキャリパパはあえてソレをせず、「エリックが自分から」キャリパパを愛し、求めてくれる未来を待っていたのです……!!(笑)

 キャリパパからすれば、エリックの顔の痣なんか、「ちょうどいい言い訳」にすぎない。
 幼いころと比べ、成長したエリックの顔の痣はかなり治ってきてるけど、本人はそれを知らない。
 キャリパパはとにかくエリックを外に出したくないから、「お前は醜い」と洗脳してるのね。エリックが年のわりに精神年齢が低いのも、キャリパパの教育ゆえ。
 自分は外に居場所がない……エリックにそう思い込ませることで、キャリパパはいつまでもエリックを独占できるわけだ。

 「天使の声」を持つクリスの出現に、キャリパパが警鐘を鳴らすのも、エリック愛しのため。
 キャリパパ、クリスとエリックを引き裂くために、奔走してますわー。

 もちろんソレは、「エリックを真に愛し、しあわせにできるのは自分だけ」と信じ切っているがため。

 ああ、歪んだ愛……。うっとり。

 そして、キャリパパとエリックが、境界線を越えて禁じられた愛の世界に踏み込むのは……あ、もう文字数がない。

       

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