ほんとはあと1回観に行く予定だったムラの『ファントム』
 いろいろあってチケット手放しちゃったので、もう観られないんだわ……。東宝のチケットなんて、絶対手に入らないだろうし。東宝余ってたら声かけてください〜(ありえねえ)。

 さて、初日を観たときに、作品以外でおどろいたこと。

 自走する船。

 まさか、自分で動くとは思わなかったから、目が点になった(笑)。
 ヅカ舞台の船っていえば、舞台固定で盆が回ることによって動いているよーに見える、とか、ほらあの『雪之丞変化』のときの素敵たかちゃん(笑)の乗った船みたいに、舞台袖でスタッフの男性が必死こいてロープを引くことで動くものだったり。
 それしかありえないと思ってたから、船が自分で動いたことに、心底おどろいた。ええっ? カーブしてるよ、盆の動きと関係ないよ、ロープもどこにもないよ??
 そしてその船は、不自然に不格好。飾り立ててはあるが、微妙な姿。
 リモコンなのか、あるいは前もってプログラムされた動きをしているのか……あの変にふくれたところにエンジンとかが入ってるのね。
 最近の機械はすごいなあ、ああいった動作をさせることができるんだー。

 そののち、前述の『ファントム』の舞台裏が載った新聞記事で、自走する船のことを読んだ。

 自走する船、におどろいた。リモコン、あるいは事前プログラムだろうと勝手に考えて、それについてもおどろいていた。

 しかし。

「中に人が入って運転している」ことには、それ以上におどろいたぞっ。

 あの変にふくれた部分。機械が入ってるんじゃなく、人が入ってるのね……。

 3列目サブセンで観劇したときの「前方席だからこそのチェックポイント」のひとつは、自走する船の運転席チェック!でした(笑)。
 たしかに、人が乗っているんだろう……あのふくれた部分は布製らしく、中から外を見ることができそうだった。
 3列目観劇のときはわたし、席がよいことに浮かれて、オペラグラス持っていってなかったのよねー。オペラでのぞいたら、運転手も布越しに見えたかも??(そんなわたしの隣で、WHITEちゃんはキャリエールが出たときだけしきりにオペラを上げていた。「やっぱり付けモミアゲがないわ。ちっ」……目的はソレかい)

 人が乗って、実際に運転しているんだとわかったときから、あの船がみょーに愛しいです……(笑)。
 だって、役目が終わったら、こっそりターンして退場していくのよ。後ろ姿が哀愁あっていいのよ(笑)。

 あ、ちなみにもうひとつの「前方席だからこそのチェックポイント」は、ジョセフ・ブケー(死体)の首の傷痕です。右京ファンは要チェック。

 
 さて、さんざん後回しにしていた『ファントム』の感想を、ぼちぼちと何度かに分けて書いていきます、その2。6月6日の日記のつづきです。

 視覚的なびんぼくささと悪趣味さにげんなりしたことは、もうこれ以上触れないとして。

 「物語」としての感想。
 不親切な話だなあ、こりゃ。と、思った。

 わたしは「物語」を味わううえでの「予備知識」を好まない。下準備やら勉強の必要なものは、「エンタメ」だと思っていないからだ。
 なにも知らずに観てたのしめること。これが大前提。
 もっとも、役者の顔の区別が最初からついているわたしの場合、まったくの「予備知識ナシ」とはいえないだろーけどさー。

 原作が有名すぎるからいろいろ先入観になっちゃってるんだけど、この『ファントム』だけで「物語」を見た場合……コレ、どうなのよ?

 あまりに説明不足じゃないか?
 
 説明不足が過ぎて、「破綻」してないか??

 原作だとか、他舞台の話はしてないんで、誤解なきよう。原作がどうあれ、これは宝塚歌劇で、宝塚大劇場で上演しているんだ。
 ムラに宝塚を観にやってくるお客さんのための舞台だろう?

 「説明不足」ゆえに「破綻」しているすべては、キャリエールという人物だ。

 この物語はすべて、キャリエールにはじまり、キャリエールに終わる。
 キャリエールがしでかしたこと、そしてそれへのフォローの仕方、現状が変わったときの対応、自らが招いた結果への決着のつけ方、とにかく、物語を動かしているのは全部キャリエールなんだ。
 だがこのキャリエールへの説明がまったくない。
 2幕の前半、無意味に長い過去話があるにはあるが、これは「出来事」を羅列しているだけであって、キャリエールの行動の意味を説明してはいない。
 
 キャリエールが謎なのは、彼の行動と心情が、かけはなれて見えることだ。

 彼のやっていることだけを考えれば、最悪に最低だ。
 結婚していることを隠し、純粋な娘を騙して妊娠させ、捨てた。
 子どもが生まれたあとも、認知せず、名乗らず。
 子どもが醜いからといって、オペラ座の地下に幽閉。
 ファントムと呼ばれるよーになった子どもが殺人をしようがなにをしようが、黙認。父だと名乗っていない、ただの善意の味方のふりをしているので、被害者面。
 
 行動だけ羅列すると、ほんとひでーよなー。
 しかし、彼のキャラクタは、「多くの人から信頼される、誠実な人」であり、クライマックスではファントムに突然「愛しい我が子よ」とか言い出す。

 お前が言うか。お前がソレを言うのか。
 すべての不幸も悲劇も、全部お前が蒔いた種だろう!!


 と、いうことになる。
 ひでえ。

 冷静に見れば、キャリエールは精神異常者か、あるいは邪悪な偽善者ということになってしまう。

 しかし、知っての通りこの作品のいちばんのクライマックスは、キャリエールとファントム=エリックの心が通じ合う銀橋のシーンだし、母の愛を求める男の物語でもある。
 このテーマで、このシーンを盛り上げるつもりならば、キャリエールを精神異常者や偽善者にしてはイカンだろう。

 キャリエールの行動だけを書かずに、何故彼がそんな行動を取ったのか、の説明が必要だろうに。

 そんな大切な部分をまったく書いていないって、なんなのコレ?

 この物語、破綻してるよね?

 
 実際、物語が破綻していたって、おもしろいものはいくらでもある。魅力的な作品はいくらでもある。
 齋藤吉正の一部の作品がいい例。

 そしてこの『ファントム』もそうだ。
 たしかに破綻しているが、とりあえず魅力的だ。

 そう、これだけ物語が破綻しているにもかかわらず、この物語は魅力的なんだ……。
 

 ということで、文字数がないので、この話はさらにつづく。

        

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