青い仮面を付けた彼が目の前を通るときに、わたしの膝に小さな光が踊っているのに気づいた。
 花びらのような光。
 ちらちらと揺れて、消える。
 なんだろう、と考え、すぐに思い至った。

 照明が彼の仮面に反射しているんだ。

 宙組公演『ファントム』3回目。今日はひとり、いつもの下手端。潔く1列目1番だ。
 いやー、もー、たのしい。たのしいぞ、下手端。なんせ今回、下手せり大活躍だからなー。ファントム様がせり上がったりせり下がったり、オペラ座のみなさんがうようよコーラスしてたり、従者の美青年たちがわらわら立っていたり。ついでに、カルロッタも美声をとどろかせてくれるしな。
 ファントムの青い仮面はじつは超でこぼこ。モザイクのよーに細かい破片を貼り合わせて作ってある。その仮面が、光をはじく。ミラーボールと同じ原理。乱反射する。
 光は客席へ。最前列の客の膝の上へ。
 はかない光の花びらとなって舞い落ちる。

 「宝塚歌劇」の“ファントム”は美しい。
 これは大前提さ。
 他の理屈は全部置いておいて、とにかく美しいから、彼はゆるされてしまうんだ。見ていて泣けるんだ。

 醜い顔を隠す仮面が、光の花びらを揺らすように。

 ビバ・タカラヅカ。
 とこしえに、美しく。
 
 つー話はともかくとして。

 
 今さらって感じだけど、『ファントム』という作品の感想を何回かに分けてたらたら書く。
 
 
 相変わらずわたしは、予備知識ナシで観に行った。
 大昔に四季の『オペラ座の怪人』は観たし、映画も見た。しかしそれらは大して琴線に触れず、印象は薄かった。予備知識に含めるのもなんだかな、ってくらいだ。
 まあ、有名な物語を、一般常識として知っている程度だ。

 それにしたって。

 この宝塚歌劇『ファントム』にはおどろいた。

 オペラ座の怪人・ファントムが美しいにーちゃんで、美貌をさらして歌い踊っていることじゃないよ。それはヅカの範疇だから、おどろくに値しない。

 いちばんおどろいたことは、舞台の安っぽさだ。

 うっわー、びんぼくさー。

 というのが、感想第一声なのだわ、わたし。

 お金ないんだなあ、歌劇団。VISA冠でこれだけ名高い海外ミュージカルを持ってきて、この安っぽさか……よっぽど金に困ってるんだな。
 と、夢から覚める思いだった。

 ベニヤ板に色を塗っただけのセット。着古しつくしたセンスの悪い衣装。
 それらが、みょーに明るい照明のもと、すべてさらされている。

 金がないのは仕方ない。版権もバカ高かったんだろう。
 だが。
 金がないならないで、演出でごまかせたんじゃないか??

 さて、びんぼくさっ、の次に思った感想は、趣味わるっ。……だった。

 舞台における、色彩や造形、あくまでも視覚の範囲の世界観が、とてつもなく悪趣味に思えた。

 制作費のないアニメみたいなセンスだなと思った。
 キャラひとりひとりにてきとーに派手な色のコスチュームを着せて差別化したはいいが、そいつら全員が並ぶと調和も統一感もありゃしない。野放しになった色やデザインが暴力的で、雑然と汚らしく見える。
 あるいは合作のマンガとか。持ち味がちがいすぎてうるさいだけの画面、せっかくのうまい絵も下手に見える、そんなおちつきないマンガみたいな。

 欲しかったのは、統一された世界観。
 視覚だけの話よ。脚本や演出にはまだなにも、触れていない。

 見た目に美しくないことに、ショックを受けたわけだ。

 これがふつーの大劇作品ならとくになにも思わない。よくあるごちゃごちゃした画面だと思ったろう。
 しかしこれは、『ファントム』だ。『オペラ座の怪人』だ。わたしは、統一感のある美しい画面を期待していた。

 そう、『ファントム』のポスターのような。

 宣伝ポスターと同じ美しさを本編に期待するのは、まちがっていないだろう? 別作品のポスターじゃないんだぞ? この作品のポスターなんだぞ?

 言うならば、「耽美」だ。「ゴシックホラー」だ。
 闇と光、グレーとブルーの世界だ。

 ミュージカルだから、元気なシーンやたのしいシーンがあるのは当然だが、それでも統一されたイメージは闇の中で燃える蝋燭の炎だ。
 
 タカラヅカだから原色を使わなければならない?
 黒っぽい画面は重くて嫌われる?

 そんなの言い訳だ。統一したテーマで「美」を創ることはできる。
 たとえば、基調になる色を「黒」と「ゴールド」にするだけで、いくらでもイマジネーションは広がるだろう。耽美で美しい画面を創れるはずだ。
 36色の絵の具を全部使わなければ「手を抜いたと思われる」と信じ切ってる小学生の描いた絵じゃないんだからさー、色があふれていれば「豪華」「タカラヅカらしい」わけじゃないだろう。

 てゆーか。
 ポスターのイメージで舞台を創ったら、あの致命的なびんぼくささを誤魔化せたと思うのよ。
 統一感で、セットの安っぽさを緩和するのよー。原色ぎとぎとより、ダークカラーの方が誤魔化せるからさ。
 同じくらいベニヤ板っぽいのに、オペラ座内より地下墓地の方が美しく見えるようにね。

 そして、わたしが演出家なら、あるいはなにか口を挟める立場なら、シャンデリア落ちは速攻やめさせる。
 いくらなんでもアレはないでしょう(笑)。わかった、お金がないのはもうわかったから、お願い、勘弁して。これ以上台所事情をさらさないで。泣いて頼みたい気持ちになった。

 シャンデリア落ちとどっちが恥ずかしいか、究極の選択だなと思えるのが、母子像のイラスト。

 えー、アレ、素人の絵だよね? プロじゃないよね?
 同人誌とかWEBで趣味の絵を発表している、しろーとさんの描いた絵だよね?
 だってアレ、ホラーだよね? 
 赤ん坊、手と胴体、つながってないよね?


 問題は、なんでそんな素人の絵を、あんなふーに大々的に使うのかってことだ。
 VISAの会長の描いた絵で、多額の融資と引き替えに劇中で使う約束をしたとか、なにか大人の事情があったとしか思えん壊滅的な絵。
 あの赤ん坊は手も足もなくて、見えている手は母親の髪の毛から生えている、がFA?

 とまあ、視覚だけでもこんなにかなしい『ファントム』。
 初日に感想書いたはいいが、あの萌え日記と同時にUPできなかったわけだ……(笑)。

 さて、ある新聞に『ファントム』の裏方事情が載っていた。
 それによると「衣装代の見積もりは1億から1億5000万円」という。これだけ読むと「すげえ」だが、そのあとに「古い衣装をリニューアルして、予算の半分以下に抑える」というオチがつく。
 半分って……。100万が50万になる、のとはわけがチガウ……。
 1億かかってしかるべきものを、5000万で作るのか……。
 しょぼいわけだ。

 なまじ大作だから、よりびんぼくさく見えちゃうんだねえ。
 夢が壊れるから、なんとか踏ん張って、美しくしてほしい。舞台裏ははりぼてだらけでいいんだからさ。

 「宝塚歌劇」の“ファントム”は美しくなくてはならない。彼の顔の傷にリアリティがなくても、それが「タカラヅカ」なんだからいいんだ。
 だから宝塚歌劇よ、美を護り続けてくれ。

     

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