うつくしい闇の中で。@暴力と夜、雨の中で
2004年5月19日 タカラヅカ スパークヒップス公演『暴力と夜、雨の中で』初日観劇。
あらすじを説明する気はないので、興味のある方は公式HPを見てください。よろしくです。
なんつーかわたしは、ちと悩みをかかえておりまして。
それはもう、わたしという人間の根元に関することなので、出口なんてもんははなからないので、悩むために悩んでいるよーなもんですな。
わたしが特別ナイ〜〜ヴなわけではなく、きっとすべての人たちが、なにかしら自己の根元的なことで日々悩んでいるんだろうから、わたしだけ深刻ぶっても仕方ないよな、というよーな、ある意味達観した部分もあって。
まあとにかくわたしは、けっこうドロドロな状態で、劇場に行きました。
舞台は大変身。数日前に、『マルゴ』を上演していたとは思えないデコラティヴっちゅーか、愉快な造形。
わたしはあらゆるものに不勉強で、予備知識ナシでたのしむことをモットーとしているので、舞台美術についての知識ももちろんありません。
そんなわたしにとっても、愉快な舞台装置でした。
劇場に入るなり、高まる異世界感。
ここにいるわたしは、たしかにわたしでありながら、現実のわたしではないような。
テーマパークのアトラクションに入ったときみたい。実際、そんなセットだし。
非現実で美しい、森の中。
そこではじまる、ソウルフルな演奏。
『左眼の恋』や『人魚姫』と同じ、贅沢な生演奏。しかもヴォーカル増えてるし。
BGMというくくりに収まりきらない、たしかな出演者のひとりである演奏者のみなさんが、上演に先立ってびしばし聴かせてくれる。
劇場の椅子に坐っている、こちら側にいるわたしを、あの鬱蒼とした森の中へ連れて行くんだ。
ひとさらいめ。
わたしはさらわれて、森の中。
わたしは悩んでいて、わけもなくかなしくて、くるしくて、生きているのがつらい。
わたしはオタクでたのしいことをいっぱい知っていて、好きなモノや人がいっぱいで、毎日たのしくしあわせに生きているけれど、それとは別に、くるしくてつらい。
ま、そんな平凡なわたしは、森の中で美しい絶望に出会う。
うつくしかったんだ。
『暴力と夜、雨の中で』っちゅー芝居は。
わたしはアタマがよくないので(てゆーか、かなり悪い方だろ)、わかんないことてんこ盛りっちゅーか、あーこれは考えるより感じた方がいい芝居だとわかった時点でのーみそ手放してぼーっと眺めていたんだが。
うつくしかった。
こんなに美しい舞台を観るのは、ひさしぶりだ。
役者個人の美醜ではなく、個々の美術や衣装じゃなく。
わたしは「ことば」というものに関心があるし、こだわりもある。
物語をたのしむときは、「ことば」にまず注目し、それによって読み解く。
だからこそ、「ことば」の届かない部分にある作品には、憧憬と嫉妬を感じるんだ。
わたしには、どーすることもできない次元にあるからだ。
いっそ「ことば」とは関係ないジャンルにあるなら、接点のなさゆえに無関心でいられるんだけどね。
この芝居はまがりなりにも「ことば」も手段のひとつとして使っているので、いろいろ引っかかるなあ。
くそー、引っかかるぞー。
好きかキライかでいうなら、この芝居はキライです(笑)。
てゆーか、わたしのジャンルじゃない。
わたしは必要としない。
オギー作品でなかったら、出会わなくてもかまわなかったよ。
わたしは、徹底的にエンタメ志向なんだ。
エンタメ性を廃したものは、はじめから畑ちがい、興味なし。
だから『ゼルダ』『マルゴ』までならぎりぎりOKだけど、『暴力』まで行くと範囲外。
範囲外だから、わたしはこの芝居を理解するに至らない。すまん、アタマ悪いんだ。
理解することなく、わたしは勝手にこの芝居の中で迷う。
だって、さらわれて来ちゃったんだもん。
わたしは森の中。
現実でありながら、現実ではない空間で、ひとり放り出されている感じ。
わたしは、悩んでいた。
答えははじめからわかっていて、出口なんかはじめからなくて、それでも悩むために悩んでいた。
答えははじめからわかっていて、道はひとつしかなくて、それでも悩むために悩んでいた。
降り続ける雨のなかで。
わたしは、背中を押される。
わかった、行くよ。
アタマ悪いから、理解なんかしてないけどな。
でも、森の中で背中を押されてしまったの。
行くよ。
芝居を観ながら、だーだー泣きながら、わたしは勝手にひとりで思う。
わかった、行くよ。
いま、わたしがここにいること、それが、意味なんだと思ったから。
…………えー、大変抽象的っちゅーか、ひとりよがりの文章なので、きっとわけわかんないと思いますが、自分のために書いておく。
あの暗く美しい森で、雨の音を聴きながら、わたしは決めたんだ。
とりあえず、すすむことを。
忘れるな、わたし。
わたしは、自分で決めたんだ。
ところで。
あいっかわらずスパークヒップス公演、寝転がりまくり!!
寝転がってもかまわないから、それならそれが見える劇場で上演してよ。
出演者が寝転がるたび、視界から消失。1列目の人以外、見えない芝居。
幸いわたしとツレのオレンジは2列目で、前列は何故か空席だったので、ほとんどの場合も見ることができたんだが、わたしたちより後ろの人はなにも見えなかったろうなと思う。
でもって。
ある意味、わたしにとって芝居よりも心を乱してくれた出来事がありやした。
客席に、Myダーリンがっっ。
わわわわわ、ななめ後ろにケロちゃん坐ってますよーーっっ。わーん。
ななめ後ろっすよ、首を動かせば、顔が見えるんすよ。
心臓ばくばく(笑)。
一緒にいるのがヅカに興味のないオレンジだったので、盛り上がることはできなかったのですが。
「いちばん好きな人が、後ろにっ!」
とだけささやいて、わたしは気もそぞろ。
水曜日だからジェンヌさんと会えるかも♪とは思ってたんだけどな。それにしても、本命様単体で遭遇だなんて、祝福のベルが鳴り響いているわ。
わたしの背中を押したのは、ケロちゃんでもあるよ。もー。今、ここで会えるなんて。
今までも他の劇場でジェンヌさんとはよく遭遇するけれど、大抵彼らは複数で行動していて、芝居が終われば速攻消えていく。
なのに何故なのケロちゃん。
なんでひとりなの?
つれもおつきの人もなしなの?
しかも。
なんで、舞台終わったあと、ふつーにロビーにいるの?
速攻消えないの?
帽子もサングラスもなし、素顔まんまで携帯電話出して、メール打ってるの?
む、無防備すぎ。
ヅカファンの常識も美徳かなぐり捨てて、突撃かましたいくらい、あったりまえに生ケロちゃんが横にいました……くらくら。
ああ、小さい……ああ、細い……ああ、そのみょーちくりんな服はなんなの……(笑)。
もちろん、好きな人の迷惑になどなりたくないので、自制心総動員して早々にその場を去りましたとも。
ああ、思いがけないMyダーリン遭遇。
しかも単体、しかも至近距離、しかも長時間。
なんて幸福なんでしょう、わたし。
…………舞い上がっていたわたしは、折りたたみ傘のカバーをブディストホール周辺で紛失した模様。がっくり。
<…
あらすじを説明する気はないので、興味のある方は公式HPを見てください。よろしくです。
なんつーかわたしは、ちと悩みをかかえておりまして。
それはもう、わたしという人間の根元に関することなので、出口なんてもんははなからないので、悩むために悩んでいるよーなもんですな。
わたしが特別ナイ〜〜ヴなわけではなく、きっとすべての人たちが、なにかしら自己の根元的なことで日々悩んでいるんだろうから、わたしだけ深刻ぶっても仕方ないよな、というよーな、ある意味達観した部分もあって。
まあとにかくわたしは、けっこうドロドロな状態で、劇場に行きました。
舞台は大変身。数日前に、『マルゴ』を上演していたとは思えないデコラティヴっちゅーか、愉快な造形。
わたしはあらゆるものに不勉強で、予備知識ナシでたのしむことをモットーとしているので、舞台美術についての知識ももちろんありません。
そんなわたしにとっても、愉快な舞台装置でした。
劇場に入るなり、高まる異世界感。
ここにいるわたしは、たしかにわたしでありながら、現実のわたしではないような。
テーマパークのアトラクションに入ったときみたい。実際、そんなセットだし。
非現実で美しい、森の中。
そこではじまる、ソウルフルな演奏。
『左眼の恋』や『人魚姫』と同じ、贅沢な生演奏。しかもヴォーカル増えてるし。
BGMというくくりに収まりきらない、たしかな出演者のひとりである演奏者のみなさんが、上演に先立ってびしばし聴かせてくれる。
劇場の椅子に坐っている、こちら側にいるわたしを、あの鬱蒼とした森の中へ連れて行くんだ。
ひとさらいめ。
わたしはさらわれて、森の中。
わたしは悩んでいて、わけもなくかなしくて、くるしくて、生きているのがつらい。
わたしはオタクでたのしいことをいっぱい知っていて、好きなモノや人がいっぱいで、毎日たのしくしあわせに生きているけれど、それとは別に、くるしくてつらい。
ま、そんな平凡なわたしは、森の中で美しい絶望に出会う。
うつくしかったんだ。
『暴力と夜、雨の中で』っちゅー芝居は。
わたしはアタマがよくないので(てゆーか、かなり悪い方だろ)、わかんないことてんこ盛りっちゅーか、あーこれは考えるより感じた方がいい芝居だとわかった時点でのーみそ手放してぼーっと眺めていたんだが。
うつくしかった。
こんなに美しい舞台を観るのは、ひさしぶりだ。
役者個人の美醜ではなく、個々の美術や衣装じゃなく。
わたしは「ことば」というものに関心があるし、こだわりもある。
物語をたのしむときは、「ことば」にまず注目し、それによって読み解く。
だからこそ、「ことば」の届かない部分にある作品には、憧憬と嫉妬を感じるんだ。
わたしには、どーすることもできない次元にあるからだ。
いっそ「ことば」とは関係ないジャンルにあるなら、接点のなさゆえに無関心でいられるんだけどね。
この芝居はまがりなりにも「ことば」も手段のひとつとして使っているので、いろいろ引っかかるなあ。
くそー、引っかかるぞー。
好きかキライかでいうなら、この芝居はキライです(笑)。
てゆーか、わたしのジャンルじゃない。
わたしは必要としない。
オギー作品でなかったら、出会わなくてもかまわなかったよ。
わたしは、徹底的にエンタメ志向なんだ。
エンタメ性を廃したものは、はじめから畑ちがい、興味なし。
だから『ゼルダ』『マルゴ』までならぎりぎりOKだけど、『暴力』まで行くと範囲外。
範囲外だから、わたしはこの芝居を理解するに至らない。すまん、アタマ悪いんだ。
理解することなく、わたしは勝手にこの芝居の中で迷う。
だって、さらわれて来ちゃったんだもん。
わたしは森の中。
現実でありながら、現実ではない空間で、ひとり放り出されている感じ。
わたしは、悩んでいた。
答えははじめからわかっていて、出口なんかはじめからなくて、それでも悩むために悩んでいた。
答えははじめからわかっていて、道はひとつしかなくて、それでも悩むために悩んでいた。
降り続ける雨のなかで。
わたしは、背中を押される。
わかった、行くよ。
アタマ悪いから、理解なんかしてないけどな。
でも、森の中で背中を押されてしまったの。
行くよ。
芝居を観ながら、だーだー泣きながら、わたしは勝手にひとりで思う。
わかった、行くよ。
いま、わたしがここにいること、それが、意味なんだと思ったから。
…………えー、大変抽象的っちゅーか、ひとりよがりの文章なので、きっとわけわかんないと思いますが、自分のために書いておく。
あの暗く美しい森で、雨の音を聴きながら、わたしは決めたんだ。
とりあえず、すすむことを。
忘れるな、わたし。
わたしは、自分で決めたんだ。
ところで。
あいっかわらずスパークヒップス公演、寝転がりまくり!!
寝転がってもかまわないから、それならそれが見える劇場で上演してよ。
出演者が寝転がるたび、視界から消失。1列目の人以外、見えない芝居。
幸いわたしとツレのオレンジは2列目で、前列は何故か空席だったので、ほとんどの場合も見ることができたんだが、わたしたちより後ろの人はなにも見えなかったろうなと思う。
でもって。
ある意味、わたしにとって芝居よりも心を乱してくれた出来事がありやした。
客席に、Myダーリンがっっ。
わわわわわ、ななめ後ろにケロちゃん坐ってますよーーっっ。わーん。
ななめ後ろっすよ、首を動かせば、顔が見えるんすよ。
心臓ばくばく(笑)。
一緒にいるのがヅカに興味のないオレンジだったので、盛り上がることはできなかったのですが。
「いちばん好きな人が、後ろにっ!」
とだけささやいて、わたしは気もそぞろ。
水曜日だからジェンヌさんと会えるかも♪とは思ってたんだけどな。それにしても、本命様単体で遭遇だなんて、祝福のベルが鳴り響いているわ。
わたしの背中を押したのは、ケロちゃんでもあるよ。もー。今、ここで会えるなんて。
今までも他の劇場でジェンヌさんとはよく遭遇するけれど、大抵彼らは複数で行動していて、芝居が終われば速攻消えていく。
なのに何故なのケロちゃん。
なんでひとりなの?
つれもおつきの人もなしなの?
しかも。
なんで、舞台終わったあと、ふつーにロビーにいるの?
速攻消えないの?
帽子もサングラスもなし、素顔まんまで携帯電話出して、メール打ってるの?
む、無防備すぎ。
ヅカファンの常識も美徳かなぐり捨てて、突撃かましたいくらい、あったりまえに生ケロちゃんが横にいました……くらくら。
ああ、小さい……ああ、細い……ああ、そのみょーちくりんな服はなんなの……(笑)。
もちろん、好きな人の迷惑になどなりたくないので、自制心総動員して早々にその場を去りましたとも。
ああ、思いがけないMyダーリン遭遇。
しかも単体、しかも至近距離、しかも長時間。
なんて幸福なんでしょう、わたし。
…………舞い上がっていたわたしは、折りたたみ傘のカバーをブディストホール周辺で紛失した模様。がっくり。
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