ラヴストーリー。@スサノオ
2004年5月10日 タカラヅカ やっぱりもう一度観たかったので、行ってきました、雪組公演『スサノオ』『タカラヅカ・グローリー!!』。ちなみに千秋楽。びんぼーなので立ち見です。昨日半分はがしてしまった足の爪も、元気です(笑)。でも大事をとって、ぺたんこ靴で足をいたわりながら観ましょう。ぎりぎりまでソファーに坐っていましょう。と、いつものことだけど、場所取り争いには参加せず。
立ち見はいつも楽勝なので、タカをくくっていたら、なんかものすげー人口密度でした。あ、あれ? なんでこんなに混んでるの? 3重はあたりまえ、センター近くは4重ですか。TCA並みに混んでました。……まあ、いいんだけど。どーせわたし、いつも人垣のいちばん後ろ、壁にもたれて観るから、前に何人いても同じだしな。
ただ、いつものテレビカメラ横の壁は取れなかったので、ミキサー室の下にいました。……これがなかなか愉快。
ミキサー室のモニターが見えるのよー。
オケピと左右の舞台袖、そしてコーラス室がずっと映っている。舞台袖でスタンバイしている人たちや、うろうろしている人たちが見える(芝居は白づくめなんで、誰が誰だか。翁と媼だけはわかったけど)。
そして、『スサノオ』のラストシーン。
みんなで愉快に歌い踊るシーンで、コーラス室にふたり登場。
……ええ、コーラス室が見えるとわかったときから、期待していました。ラストシーンで陰コーラスをしているふたりの男のことを。
アオセトナ@みずしぇんと、アシナヅチ@ハマコ!!
舞台上では一度も顔を合わせないまま死んでいくこのふたりの男が、仲良く陰コーラスしている様を、期待していたんですが。
……ふたりとも、ガウン姿でした……。
そ、それもそうか……とっくに出番済んでるんだもんな。いつまでも扮装したままのわけないよな……。
しかも、マイクが邪魔で、顔見えないし。
どっちが水くんで、どっちがハマコなの?
手前の黒いガウンの人は、男前に両腕を組んだまま歌ってました。腕組みしたままかよー、男らしいなあ(笑)。
奥の黄緑のガウンの人は、ノリノリで踊りまくってました。
黒が水くんで、黄緑がハマコかな。ふたりのイメージから想像して。
逆だったら、ちょっとこわいな(笑)。
ショーのときも、モニター視聴は大変愉快でした。コーラスするときって、けっこうものすごい格好してたりするんだ(笑)。
左袖のカメラの横には鏡があるのか、百面相している子とかもいた……あれは誰だろう……。
モニターで顔がわかったのは、茜ちゃんだけだったわん。
とまあ、立ち見でも値段分以上にたのしんでます(笑)。
そして今回、初志貫徹、芝居ではスサノオ@コムちゃんだけを見ました。
誰がどうしようと、なにが起ころうと、オペラグラスはスサノオ固定。……まあ多少はアオセトナ@みずしぇんに浮気はしましたが、今までで最大級に、スサノオだけを見つめていました。
スサノオ@コムちゃんは、熱演でした。
彼の後ろに、炎が見える。強く激しく、そして痛々しい少年。
わたしは、この少年が好きなんです。
彼の痛々しさが、せつないんです。
イナダヒメの台詞にあるように、「打ち捨てられて満たされずにいる愛の仮の姿」である猛々しさが、なんつーかこー、胸をきゅーんとしめつけるんですわ。
現代物でいえば、乱暴者で通っている不良少年の、魂の孤独にきゅんとなる感じっすかね。
スサノオの幼さは、他人事じゃない。
誰だって、生まれて最初に出会う社会で、愛を求める。「生まれてきてよかったんだよ」「ここにいていいんだよ」そんな言葉を求めている。無意識に。
求めているけど、ただ求めているだけで、なにをしたらいいのか、わからないまま幼い彼は、途方に暮れている。無条件にいつも自分を肯定してほしい相手だった姉には、否定されてしまったし。故郷も追われたし。
愛して欲しかった。必要だと言って欲しかった。……それだけ、だったのに。
彼は、居場所を失った。
どこにも行くあてのない少年は、同じように行くあてのない少女イナダヒメと出会った。
スサノオがイナダヒメによって変わっていくのが、ツボなの。
自責と自暴に満ちている少年が、その存在を肯定され、必要とされ、悩みながら傷つきながら、成長していくのが。
ところでわたし、スサノオが真の意味で愛していたのは、アシナヅチ@ハマコだと思っているんですが(笑)。
彼はまず、アシナヅチに惚れるんだよね。
アシナヅチの亡骸を抱きしめ、その胸に顔を埋める姿に萌え(笑)。
愛したのは、アシナヅチ。
だからこそ、その娘イナダヒメに興味を持った。
イナダヒメがただの大和の娘その1なら、目にも入ってないって。生贄であったとしても、スルーしていたでしょう。なんせ彼、絶望していて他のことまで考える余裕がなかったから。
死の間際、スサノオが月読にアシナヅチのことを言うのも、彼を愛していたためよ。アシナヅチを救うことはできなかった、だけどその娘だけは死なせたくないと。
きっかけはアシナヅチ、でもそのあとでスサノオはちゃんと、イナダヒメ自身を見、彼女に惹かれていくんだけどね。
それでも、最初の恋は、アシナヅチ(笑)。
アシナヅチがあそこで死ななかったら、生きて一緒にいたら、別の物語になってたなあ。
イナダヒメの新しいお母さんは、スサノオだったかも(笑)。
アシナヅチとスサノオの、ラヴラヴ新婚家庭。……濃いなー……。スサノオ、神様だから、子どもくらい産める気がするし。……濃いなー……。
まあ、妄想はともかく(笑)。
イナダヒメというキャラクタのポイントは、あのアシナヅチの娘、ってことでしょう。
あの人格者に育てられた娘だからこそっての、大きいと思う。
彼女自身、誇りを持って言うよね。「わたし、お父様の娘なんだ」って。
自分を見失っているスサノオと対照的に、イナダヒメは自分に誇りを持っている。父親への誇り。敬愛する人物に愛されていたという自覚、その人に恥じない自分でいたいという自負が、彼女の輝きをゆるがないものにする。
同じように行くあてがないはずの少年と少女は、こんなにもチガウ。
自分自身の力で輝くイナダヒメは、どれほどまぶしく映っただろう、スサノオの目に。
アマテラスに否定されたスサノオ。アシナヅチに肯定されたイナダヒメ。
愛する人に拒絶された少年と、愛する人に愛され守られた少女。
スサノオがイナダヒメに惹かれ、イナダヒメがスサノオに惹かれたのも、わかる。
物語の最後、スサノオがイナダヒメに「私にはあなたが必要だ」と告げたのが、心底わかる。感情移入できる。
よかったね。そう思うんだ。
出会えてよかったね。
手を取り合うことができてよかったね。
欠けたピースとピースが合うみたいに、出会えてよかったね。ひとりでは欠けたまま、さみしいまま。だからこそ、出会えてよかったね。
しあわせになれ。かなしんだぶん、くるしんだぶん。しあわせになれ。
……心から、思うんだ。
いやあ、アシナヅチの嫁になってなくてよかったね、スサノオ。……なんてな(笑)。
立ち見はいつも楽勝なので、タカをくくっていたら、なんかものすげー人口密度でした。あ、あれ? なんでこんなに混んでるの? 3重はあたりまえ、センター近くは4重ですか。TCA並みに混んでました。……まあ、いいんだけど。どーせわたし、いつも人垣のいちばん後ろ、壁にもたれて観るから、前に何人いても同じだしな。
ただ、いつものテレビカメラ横の壁は取れなかったので、ミキサー室の下にいました。……これがなかなか愉快。
ミキサー室のモニターが見えるのよー。
オケピと左右の舞台袖、そしてコーラス室がずっと映っている。舞台袖でスタンバイしている人たちや、うろうろしている人たちが見える(芝居は白づくめなんで、誰が誰だか。翁と媼だけはわかったけど)。
そして、『スサノオ』のラストシーン。
みんなで愉快に歌い踊るシーンで、コーラス室にふたり登場。
……ええ、コーラス室が見えるとわかったときから、期待していました。ラストシーンで陰コーラスをしているふたりの男のことを。
アオセトナ@みずしぇんと、アシナヅチ@ハマコ!!
舞台上では一度も顔を合わせないまま死んでいくこのふたりの男が、仲良く陰コーラスしている様を、期待していたんですが。
……ふたりとも、ガウン姿でした……。
そ、それもそうか……とっくに出番済んでるんだもんな。いつまでも扮装したままのわけないよな……。
しかも、マイクが邪魔で、顔見えないし。
どっちが水くんで、どっちがハマコなの?
手前の黒いガウンの人は、男前に両腕を組んだまま歌ってました。腕組みしたままかよー、男らしいなあ(笑)。
奥の黄緑のガウンの人は、ノリノリで踊りまくってました。
黒が水くんで、黄緑がハマコかな。ふたりのイメージから想像して。
逆だったら、ちょっとこわいな(笑)。
ショーのときも、モニター視聴は大変愉快でした。コーラスするときって、けっこうものすごい格好してたりするんだ(笑)。
左袖のカメラの横には鏡があるのか、百面相している子とかもいた……あれは誰だろう……。
モニターで顔がわかったのは、茜ちゃんだけだったわん。
とまあ、立ち見でも値段分以上にたのしんでます(笑)。
そして今回、初志貫徹、芝居ではスサノオ@コムちゃんだけを見ました。
誰がどうしようと、なにが起ころうと、オペラグラスはスサノオ固定。……まあ多少はアオセトナ@みずしぇんに浮気はしましたが、今までで最大級に、スサノオだけを見つめていました。
スサノオ@コムちゃんは、熱演でした。
彼の後ろに、炎が見える。強く激しく、そして痛々しい少年。
わたしは、この少年が好きなんです。
彼の痛々しさが、せつないんです。
イナダヒメの台詞にあるように、「打ち捨てられて満たされずにいる愛の仮の姿」である猛々しさが、なんつーかこー、胸をきゅーんとしめつけるんですわ。
現代物でいえば、乱暴者で通っている不良少年の、魂の孤独にきゅんとなる感じっすかね。
スサノオの幼さは、他人事じゃない。
誰だって、生まれて最初に出会う社会で、愛を求める。「生まれてきてよかったんだよ」「ここにいていいんだよ」そんな言葉を求めている。無意識に。
求めているけど、ただ求めているだけで、なにをしたらいいのか、わからないまま幼い彼は、途方に暮れている。無条件にいつも自分を肯定してほしい相手だった姉には、否定されてしまったし。故郷も追われたし。
愛して欲しかった。必要だと言って欲しかった。……それだけ、だったのに。
彼は、居場所を失った。
どこにも行くあてのない少年は、同じように行くあてのない少女イナダヒメと出会った。
スサノオがイナダヒメによって変わっていくのが、ツボなの。
自責と自暴に満ちている少年が、その存在を肯定され、必要とされ、悩みながら傷つきながら、成長していくのが。
ところでわたし、スサノオが真の意味で愛していたのは、アシナヅチ@ハマコだと思っているんですが(笑)。
彼はまず、アシナヅチに惚れるんだよね。
アシナヅチの亡骸を抱きしめ、その胸に顔を埋める姿に萌え(笑)。
愛したのは、アシナヅチ。
だからこそ、その娘イナダヒメに興味を持った。
イナダヒメがただの大和の娘その1なら、目にも入ってないって。生贄であったとしても、スルーしていたでしょう。なんせ彼、絶望していて他のことまで考える余裕がなかったから。
死の間際、スサノオが月読にアシナヅチのことを言うのも、彼を愛していたためよ。アシナヅチを救うことはできなかった、だけどその娘だけは死なせたくないと。
きっかけはアシナヅチ、でもそのあとでスサノオはちゃんと、イナダヒメ自身を見、彼女に惹かれていくんだけどね。
それでも、最初の恋は、アシナヅチ(笑)。
アシナヅチがあそこで死ななかったら、生きて一緒にいたら、別の物語になってたなあ。
イナダヒメの新しいお母さんは、スサノオだったかも(笑)。
アシナヅチとスサノオの、ラヴラヴ新婚家庭。……濃いなー……。スサノオ、神様だから、子どもくらい産める気がするし。……濃いなー……。
まあ、妄想はともかく(笑)。
イナダヒメというキャラクタのポイントは、あのアシナヅチの娘、ってことでしょう。
あの人格者に育てられた娘だからこそっての、大きいと思う。
彼女自身、誇りを持って言うよね。「わたし、お父様の娘なんだ」って。
自分を見失っているスサノオと対照的に、イナダヒメは自分に誇りを持っている。父親への誇り。敬愛する人物に愛されていたという自覚、その人に恥じない自分でいたいという自負が、彼女の輝きをゆるがないものにする。
同じように行くあてがないはずの少年と少女は、こんなにもチガウ。
自分自身の力で輝くイナダヒメは、どれほどまぶしく映っただろう、スサノオの目に。
アマテラスに否定されたスサノオ。アシナヅチに肯定されたイナダヒメ。
愛する人に拒絶された少年と、愛する人に愛され守られた少女。
スサノオがイナダヒメに惹かれ、イナダヒメがスサノオに惹かれたのも、わかる。
物語の最後、スサノオがイナダヒメに「私にはあなたが必要だ」と告げたのが、心底わかる。感情移入できる。
よかったね。そう思うんだ。
出会えてよかったね。
手を取り合うことができてよかったね。
欠けたピースとピースが合うみたいに、出会えてよかったね。ひとりでは欠けたまま、さみしいまま。だからこそ、出会えてよかったね。
しあわせになれ。かなしんだぶん、くるしんだぶん。しあわせになれ。
……心から、思うんだ。
いやあ、アシナヅチの嫁になってなくてよかったね、スサノオ。……なんてな(笑)。
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