漢字と、それに加えてひらがなで名前を書く。
必ず。
初対面の方へのメールでは、必ず。
ひらがなをそえるのは、ひらがなのやわらかさが好きなこともあるけど、ほぼ100%名前の読みをまちがえられるせいでもある。
まちがえられないように、正しい読み方を、わざわざひらがなで書いておくわけだ。
しかし。
どんなにひらがなで、正しい読みを書いても、最後の署名がひらがなであっても、実際に会うときに相手は必ず、まちがった読み方で、わたしの名を呼ぶ。
ははは、100%。
例外なし。
FCにも入っていない、なんのコネもない一般ヅカファンであるわたしは、ネットの掲示板を介してチケットのやりとりをよくするのだけど。
そこで出会う方々は、今のところ100%、わたしの名前をまちがっておぼています。
たとえメール上では正しく表記してくれたとしても(わたしがひらがなで名前を書くもんで、相手もひらがなで書いてくれたりする)、いざ会ってみると。
……まちがってます。泣。
思えば子どものころから、正しく読んでもらえなかったな……。
そしてウチの親が、名前をまちがえられても訂正しない人たちだったので、わたしも訂正しないまま育った。どっちでもいいじゃん、わかれば。……そんな感じ。
親しくつきあう人たちだけが、わたしの名前を正しく発音してくれている。
親しくない人は、まちがった音のまま。
いずれ親しくなれば、周囲の人がわたしをどう呼んでいるか耳に入るだろうから、まちがっておぼえていた人たちも、自然と正しい呼び方になっていく。
だから、大人になった今も、わたしは名前の訂正をいちいちしない。
しないけど、自分からメールなどで名乗るときは、できるだけ正しく呼んでもらえるように、漢字とひらがなを併記する。
そして、100%のまちがえられ率に、感心しているわけだ。
わたしの名前、と書いたが、正確には名前ではなく、名字だ。
名字だから、初対面の人に呼ばれたときに「まちがい」がわかるの。初対面だからこそ、名字で呼ぶわけだから。
例としてあげるなら、
「中島なつみ」という名を、メールでいちいち、
中島なつみ(なかしま・なつみ)
と書いているよーなもん。
わざわざ( )で、読みをそえている。
にも関わらず、実際に会うと、
「なかじまさん」
と、呼ばれてしまうよーなもん。
山崎やえ(やまさき・やえ)
と書いたのに、実際に会うと、
「やまざきさん」
と、呼ばれてしまうよーなもんだ。
ちゃんとひらがなで書いたのに。わたしの名字は、濁点つかないのに。清音なのに。
これはやはり、漢字の方が「強い」ってことなのかな。
いくらひらがなをそえても、一度でも漢字を見ると、その漢字の一般的な読みの方をインプットしてしまう。
……厄年のとき、大枚(わたしにとって・笑)はたいて祈祷してもらったのに、お坊さんが読み上げたわたしの名字は、やはりまちがっていた……ちゃんとふりがなふったのに(てゆーか、ふりがなの欄がわざわざ設けてあったのに)、意味ナシ。まちがった名字で祈祷されても、御利益ない気が……。ねえ、門戸厄神さん(笑)。
受験だろうが、面接だろうが、人生節目だろうが、どんなときでも必ず、名字はまちがえられたまま。
漢字のインパクトは大きい。
声に出して正しい名字を名乗っても、一度漢字を見た人は必ず、まちがった読み方で返してくる。
まちがえられ率、100%。
こうなるともう、かえってたのしみだ。
どこまで記録更新できるかな。
ちゃんと正しい読みを書いているにもかかわらず、まちがった読みでしか、わたしの名を呼んでくれない方々と出会う記録。
漢字のある国に生まれてよかったと思っているよ。
「音」だけがすべてじゃないなんて、愉快だもの。
必ず。
初対面の方へのメールでは、必ず。
ひらがなをそえるのは、ひらがなのやわらかさが好きなこともあるけど、ほぼ100%名前の読みをまちがえられるせいでもある。
まちがえられないように、正しい読み方を、わざわざひらがなで書いておくわけだ。
しかし。
どんなにひらがなで、正しい読みを書いても、最後の署名がひらがなであっても、実際に会うときに相手は必ず、まちがった読み方で、わたしの名を呼ぶ。
ははは、100%。
例外なし。
FCにも入っていない、なんのコネもない一般ヅカファンであるわたしは、ネットの掲示板を介してチケットのやりとりをよくするのだけど。
そこで出会う方々は、今のところ100%、わたしの名前をまちがっておぼています。
たとえメール上では正しく表記してくれたとしても(わたしがひらがなで名前を書くもんで、相手もひらがなで書いてくれたりする)、いざ会ってみると。
……まちがってます。泣。
思えば子どものころから、正しく読んでもらえなかったな……。
そしてウチの親が、名前をまちがえられても訂正しない人たちだったので、わたしも訂正しないまま育った。どっちでもいいじゃん、わかれば。……そんな感じ。
親しくつきあう人たちだけが、わたしの名前を正しく発音してくれている。
親しくない人は、まちがった音のまま。
いずれ親しくなれば、周囲の人がわたしをどう呼んでいるか耳に入るだろうから、まちがっておぼえていた人たちも、自然と正しい呼び方になっていく。
だから、大人になった今も、わたしは名前の訂正をいちいちしない。
しないけど、自分からメールなどで名乗るときは、できるだけ正しく呼んでもらえるように、漢字とひらがなを併記する。
そして、100%のまちがえられ率に、感心しているわけだ。
わたしの名前、と書いたが、正確には名前ではなく、名字だ。
名字だから、初対面の人に呼ばれたときに「まちがい」がわかるの。初対面だからこそ、名字で呼ぶわけだから。
例としてあげるなら、
「中島なつみ」という名を、メールでいちいち、
中島なつみ(なかしま・なつみ)
と書いているよーなもん。
わざわざ( )で、読みをそえている。
にも関わらず、実際に会うと、
「なかじまさん」
と、呼ばれてしまうよーなもん。
山崎やえ(やまさき・やえ)
と書いたのに、実際に会うと、
「やまざきさん」
と、呼ばれてしまうよーなもんだ。
ちゃんとひらがなで書いたのに。わたしの名字は、濁点つかないのに。清音なのに。
これはやはり、漢字の方が「強い」ってことなのかな。
いくらひらがなをそえても、一度でも漢字を見ると、その漢字の一般的な読みの方をインプットしてしまう。
……厄年のとき、大枚(わたしにとって・笑)はたいて祈祷してもらったのに、お坊さんが読み上げたわたしの名字は、やはりまちがっていた……ちゃんとふりがなふったのに(てゆーか、ふりがなの欄がわざわざ設けてあったのに)、意味ナシ。まちがった名字で祈祷されても、御利益ない気が……。ねえ、門戸厄神さん(笑)。
受験だろうが、面接だろうが、人生節目だろうが、どんなときでも必ず、名字はまちがえられたまま。
漢字のインパクトは大きい。
声に出して正しい名字を名乗っても、一度漢字を見た人は必ず、まちがった読み方で返してくる。
まちがえられ率、100%。
こうなるともう、かえってたのしみだ。
どこまで記録更新できるかな。
ちゃんと正しい読みを書いているにもかかわらず、まちがった読みでしか、わたしの名を呼んでくれない方々と出会う記録。
漢字のある国に生まれてよかったと思っているよ。
「音」だけがすべてじゃないなんて、愉快だもの。
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