いちばんのツボは、岩お手製の「幸薄そーなダルマ」たち(笑)。@嗤う伊右衛門
2004年3月4日 映画 『嗤う伊右衛門』鑑賞。
監督・蜷川幸雄、出演・唐沢寿明、小雪、椎名桔平、香川照之。
原作は読んでない。
てゆーか、京極作品を読まなくなって、ずいぶん経つなあ。読まない理由はべつにないよ。たんに縁がないだけ。
京極がものすげーブームになったときがあったよね。あれは前世紀のことですか。あのころに読んだままだなあ。
えーと、物語のベースは、『四谷怪談』。だから、見に行こうと思ったわけなんだが。オギーの『四谷怪談』にハマりまくったからなあ。
暗い過去なんぞを背負って人生斜めな浪人・伊右衛門@唐沢寿明は、御行乞食・又市@香川照之の計らいで、民谷家の娘・岩@小雪と縁組みし、その家督を継ぐ。岩は病のせいで美しい顔に醜い傷を負っていたが、卑屈さなど微塵もない気丈な女だった。家督目当ての政略結婚ってことで、最初はぎこちないふたりだったが、どうやらいつの間にかラヴラヴになっていたらしい。しかし、そこへ伸びる魔の手。岩に執心していた筆頭与力・伊東喜兵衛@椎名桔平がふたりを引き裂こうと画策する……。
まず、役者の好みの話をしておこう。
映像作品を見る場合、好みの役者が出ている場合はそれだけで興味が湧くし、好意的にもなる。逆もしかり。
わたしには苦手俳優が何人かいる。生理的にダメで、見ることもできない人だって、いる。これはもー、好みの問題だから、その俳優のすばらしさには関係がない。
そこまで拒絶反応は出なくても、「あー、主役がこの俳優かぁ。んじゃ無理してまで見なくてもいいかな」ぐらいには萎える人がいる。「生理的嫌悪感はないから、見ることはできるけど、作品がつまんなかったら速攻視聴中止して悔いはないな」というよーな。
唐沢寿明は、わたしにとっての「主役だと萎える俳優」のひとりだ。
理由はわからない。昔からそうだった。92年ごろだっけ、彼がブレイクしてドラマに出まくってたのって。あのころからすでに、苦手だったんだよなあ。
脇役なら別に気にならない。主役だとダメなんだわ……。
いちばんダメだったのが、『ホームワーク』かな。ドラマの。あ、チガウ、『ラブコンプレックス』だ。主役が唐沢でなければっ、と歯がみしたなあ。
とまあ、萎え俳優主演なので、この映画はわたしにとってかなり分が悪かった。アウェー戦みたいなもんだな。
さて、不利な条件の下で、ちゃんと映画を愉しむことができるだろうか……。
映画を見ていちばん引っかかったのは、「お岩と伊右衛門は、いつの間にそんなにラヴラヴになっていたのか」だった。
純愛モノだってのは予告からすでにわかってるんで、「そーゆーもんだ」と思って見てはいるけど、あまりに「ふたりの物語」が描かれていなくてびっくりだ。
主役であるはずの男と女が、どーやって歩み寄り、心をつないでいくかを、きちんと描写して欲しかった。
ふたりの心の機微がわからないと、そのあと「引き裂かれる」意味がないじゃん。
ふたりのラヴをこれでもかと書き込んであればあるほど、物語が効果的になるのに……何故だ? 何故肝心の部分は端折られてるんだ?
突然「半年後」とかに話が飛ぶんだ?
わたしが見たかったのは、その飛ばされてしまった「半年の間のふたり」なんだけど。いくら台詞で「あれから半年、結婚できてしあわせだわ」って言われても、「はあ?」としか思えない。
ふたりが愛し合う過程は端折られて、そのままストーリーは怒濤のよーに進む。
「愛し合っている」という設定を、仕方なく自分の脳内で補完してついていくしかない。けっこう大変。
プロットはさあ、BL系メロドラマで好みなのよ。
「愛のない関係」ってことでお互いかたくなだったのが、徐々に心を開き、愛し合い、だけどハンデがあると思い込んでいる受が「相手のために身を引き」、受に愛されていないと誤解した攻が自暴自棄になり……てな。
オイシイ部分はやっぱり、受と攻の心の葛藤部分なのよ。
「愛されていない」と思ってかたくなになっているふたりが、「なんだオレたち、両想いなんじゃん」と気づく第一段階までが、たのしいのよ。
誤解してすれ違ったり、傷つけ合ったりさー。
恋愛モノは、両想いになるまでがいちばんたのしいんだからさ。
なのに、その過程はすっ飛ばし。
そのあとの悲劇ばっかりがんばって描いちゃってさ。
エロスもいいけど、ハートも大事にしてほしいわ……。
というあたりは、好みからはずれておりました。
後半の悲劇ぶっちぎりが悪いと言ってるわけじゃなくて、ソレをやるならどーして前半のラヴをちゃんと描かないんだ、と不満なわけですな。
手抜きな気がして残念。
ドラマとして派手な部分ばかりを描いて、面倒くさいところはすっ飛ばした印象だったから。
時間がばこばこすっ飛んでいって、「半年後」「そのまた半年後」と、心がぶつ切りになっているのも、手抜きテイスト。
いちいち盛り上がりに水を差されるんだが、あとはそれを観客がどれだけ脳内補完できるかですな。
わたしは、BL系メロドラマプロットが好みだったので、補完しまくって見ました。
ので、たのしく号泣しました。
やはりお岩さんの「うらめしや」はいいですな。
究極の愛の言葉。
愛して愛して、壊れてしまうくらい愛したから、だからこそ彼女は繰り返す。「恨めしや」と。
桔平の悪役は、とーっても気持ち悪かったっす。
もう少し美しくしても罰は当たらないんじゃないか……? ひたすらキモいぞ。
小雪にしろ桔平にしろ、時代劇には合わないな、と、最初の登場で思った。本人の資質ではなくて、サイズの問題。
とくに桔平なんか、鴨居より背が高いんだもん……(笑)。
あと、全編通してホモくさいのは、わざとなんでしょうか。ホンモノくさいというか。
同じプロットで、他の話を書いてみたいと思う映画でした。
かゆいところに手が届いてなくてさー。おしいなー。
これって、苦手俳優が主役だったせい?
わたしが悪いのかもな。
監督・蜷川幸雄、出演・唐沢寿明、小雪、椎名桔平、香川照之。
原作は読んでない。
てゆーか、京極作品を読まなくなって、ずいぶん経つなあ。読まない理由はべつにないよ。たんに縁がないだけ。
京極がものすげーブームになったときがあったよね。あれは前世紀のことですか。あのころに読んだままだなあ。
えーと、物語のベースは、『四谷怪談』。だから、見に行こうと思ったわけなんだが。オギーの『四谷怪談』にハマりまくったからなあ。
暗い過去なんぞを背負って人生斜めな浪人・伊右衛門@唐沢寿明は、御行乞食・又市@香川照之の計らいで、民谷家の娘・岩@小雪と縁組みし、その家督を継ぐ。岩は病のせいで美しい顔に醜い傷を負っていたが、卑屈さなど微塵もない気丈な女だった。家督目当ての政略結婚ってことで、最初はぎこちないふたりだったが、どうやらいつの間にかラヴラヴになっていたらしい。しかし、そこへ伸びる魔の手。岩に執心していた筆頭与力・伊東喜兵衛@椎名桔平がふたりを引き裂こうと画策する……。
まず、役者の好みの話をしておこう。
映像作品を見る場合、好みの役者が出ている場合はそれだけで興味が湧くし、好意的にもなる。逆もしかり。
わたしには苦手俳優が何人かいる。生理的にダメで、見ることもできない人だって、いる。これはもー、好みの問題だから、その俳優のすばらしさには関係がない。
そこまで拒絶反応は出なくても、「あー、主役がこの俳優かぁ。んじゃ無理してまで見なくてもいいかな」ぐらいには萎える人がいる。「生理的嫌悪感はないから、見ることはできるけど、作品がつまんなかったら速攻視聴中止して悔いはないな」というよーな。
唐沢寿明は、わたしにとっての「主役だと萎える俳優」のひとりだ。
理由はわからない。昔からそうだった。92年ごろだっけ、彼がブレイクしてドラマに出まくってたのって。あのころからすでに、苦手だったんだよなあ。
脇役なら別に気にならない。主役だとダメなんだわ……。
いちばんダメだったのが、『ホームワーク』かな。ドラマの。あ、チガウ、『ラブコンプレックス』だ。主役が唐沢でなければっ、と歯がみしたなあ。
とまあ、萎え俳優主演なので、この映画はわたしにとってかなり分が悪かった。アウェー戦みたいなもんだな。
さて、不利な条件の下で、ちゃんと映画を愉しむことができるだろうか……。
映画を見ていちばん引っかかったのは、「お岩と伊右衛門は、いつの間にそんなにラヴラヴになっていたのか」だった。
純愛モノだってのは予告からすでにわかってるんで、「そーゆーもんだ」と思って見てはいるけど、あまりに「ふたりの物語」が描かれていなくてびっくりだ。
主役であるはずの男と女が、どーやって歩み寄り、心をつないでいくかを、きちんと描写して欲しかった。
ふたりの心の機微がわからないと、そのあと「引き裂かれる」意味がないじゃん。
ふたりのラヴをこれでもかと書き込んであればあるほど、物語が効果的になるのに……何故だ? 何故肝心の部分は端折られてるんだ?
突然「半年後」とかに話が飛ぶんだ?
わたしが見たかったのは、その飛ばされてしまった「半年の間のふたり」なんだけど。いくら台詞で「あれから半年、結婚できてしあわせだわ」って言われても、「はあ?」としか思えない。
ふたりが愛し合う過程は端折られて、そのままストーリーは怒濤のよーに進む。
「愛し合っている」という設定を、仕方なく自分の脳内で補完してついていくしかない。けっこう大変。
プロットはさあ、BL系メロドラマで好みなのよ。
「愛のない関係」ってことでお互いかたくなだったのが、徐々に心を開き、愛し合い、だけどハンデがあると思い込んでいる受が「相手のために身を引き」、受に愛されていないと誤解した攻が自暴自棄になり……てな。
オイシイ部分はやっぱり、受と攻の心の葛藤部分なのよ。
「愛されていない」と思ってかたくなになっているふたりが、「なんだオレたち、両想いなんじゃん」と気づく第一段階までが、たのしいのよ。
誤解してすれ違ったり、傷つけ合ったりさー。
恋愛モノは、両想いになるまでがいちばんたのしいんだからさ。
なのに、その過程はすっ飛ばし。
そのあとの悲劇ばっかりがんばって描いちゃってさ。
エロスもいいけど、ハートも大事にしてほしいわ……。
というあたりは、好みからはずれておりました。
後半の悲劇ぶっちぎりが悪いと言ってるわけじゃなくて、ソレをやるならどーして前半のラヴをちゃんと描かないんだ、と不満なわけですな。
手抜きな気がして残念。
ドラマとして派手な部分ばかりを描いて、面倒くさいところはすっ飛ばした印象だったから。
時間がばこばこすっ飛んでいって、「半年後」「そのまた半年後」と、心がぶつ切りになっているのも、手抜きテイスト。
いちいち盛り上がりに水を差されるんだが、あとはそれを観客がどれだけ脳内補完できるかですな。
わたしは、BL系メロドラマプロットが好みだったので、補完しまくって見ました。
ので、たのしく号泣しました。
やはりお岩さんの「うらめしや」はいいですな。
究極の愛の言葉。
愛して愛して、壊れてしまうくらい愛したから、だからこそ彼女は繰り返す。「恨めしや」と。
桔平の悪役は、とーっても気持ち悪かったっす。
もう少し美しくしても罰は当たらないんじゃないか……? ひたすらキモいぞ。
小雪にしろ桔平にしろ、時代劇には合わないな、と、最初の登場で思った。本人の資質ではなくて、サイズの問題。
とくに桔平なんか、鴨居より背が高いんだもん……(笑)。
あと、全編通してホモくさいのは、わざとなんでしょうか。ホンモノくさいというか。
同じプロットで、他の話を書いてみたいと思う映画でした。
かゆいところに手が届いてなくてさー。おしいなー。
これって、苦手俳優が主役だったせい?
わたしが悪いのかもな。
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