またしても、医者からコンタクト禁止令が出た。
 コンタクトレンズを入れられない、ということは、視界が悪い状態で生きるということ。眼鏡はコンタクトほど視力の矯正ができないからねえ。

 つーことで、洋画は見られないな、邦画だ邦画。字幕を読まずに済む邦画を見るべ。
 なににしようか。

 てことで、『ジョゼと虎と魚たち』。
 監督・犬童一心、出演・妻夫木聡、池脇千鶴。

 公開からもうずいぶん経ったし、そろそろ空いているころだろうと思って出かけたんだけど、甘かったよ。

 なんですか、この満員具合は。
 上演1時間も前に行ったのに、手に入った整理券はかなり後ろの番号。そして実際、わたしの少し後に来た人たちは「お立ち見になりますが、よろしいですか?」だった。
 はじまって見れば、もちろん満席、立ち見ぎっしりの盛況ぶり。映画館内、空気薄っ。
 終わったあとも、次回の上演を待つ人(座席列だけでなく、立ち見列も)、でロビーはいっぱい。

 梅田だからかな? いつも自転車で行くあの映画館なら、ここまで混むことはないんだろうな、田舎だから。

 てゆーか、若者しかいないよ、映画館。
 おばさん、肩身狭いわ。こーゆー映画は、若者のモノなんだろーなー、とも思うよ。
 でもおばさんも、昔は若者だったから、こーゆー映画が好きなのさ。

 ひとことで言うなら、恋の物語。

 一昔前のフォークソングみたいな。
 若いふたりが出会って恋に落ちて、若さゆえに恋におぼれ、若さゆえに傷ついて別れる。
 振り返ると、その傷跡さえもが愛しいような、恥ずかしくてもどかしい、あたたかくてやさしい、せつない記憶。

 ふつーの大学生・恒夫@妻夫木聡が出会った脚の不自由な少女ジョゼ@池脇千鶴。
 古い感覚の老婆に育てられたジョゼは、現実社会を知らない。だっておばーちゃん、「足が不自由な孫」は「外聞が悪いから世間に知られてはいけない」と思いこみ、家に閉じこめて育てたんだもの。福祉制度も知らないしね。
 とーぜんジョゼは学校にも行っていない。おばーちゃんがゴミ捨て場から拾ってくる本だけが、彼女の知識の泉。教科書もエロ本も主婦マンガも、純文学も同じように読み、吸収する柔軟な知性を持つジョゼ。
 そんなジョゼに、恒夫は「外の世界」を教える。
 光の届かない海の底にいたジョゼに、美しい地球を見せる。教える。
 太陽を、空を、波を、砂浜を。
 そして、恋を。セックスを。
 幸福を。
 生きる、ということを。
 そして。

 そして、別れを。

 ジョゼはエキセントリックだし、身体障害者というネタを使ってはいるけれど、そこにあるのはふつーの恋物語。
 たぶん、この世の誰もがあたりまえに経験するだろう、出会いと別れ。
 だからこんなに、痛い。
 せつない。

 誰もが、「永遠」が存在しないことを知っている。
 ……知っている、よね?
 でもさ、若いうちはソレ、意識にのぼってこないんだよね。目の前の現実がめまぐるしくて、活気に満ちているから。
 永遠なんかないよ。
 あなたはいつか彼を愛さなくなる、ぼくもまた、いつかあなたを愛さなくなる……サガンの小説にあるように。
 だけど今、つないだ手が永遠であるって、信じたい。信じたいんだ。

 渇望が、破片になってきらきら光る。

 恒夫は漠然と有限であることを感じながら、ジョゼは事実として覚悟しながら。

 明日には存在しないかもしれない束の間のしあわせが、いくつかの言葉をあえて飲み込んだうえでの微笑みが、波のように寄せては返し、きらめいて消える。

「ぼくが、逃げたからだ」−−これが、最後の台詞。
 こんな台詞で終わる、美しくせつない物語。

 ハッピーエンドでしょ? このラスト。
 わたしはそう思っているよ。
 

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