ふと思いついて、『パッサージュ』のビデオを見た。

 歌が聴きたくてな。
 最近アタマの中を回っている歌ときたら、「牡丹と薔薇はぁどちらがきれい〜〜♪」だったり、「逃げて、逃げて♪」「追って、追って♪」だったりするから、あまりに不毛でな。

 最後に生『パッサージュ』を観たのは博多版だったので、どうしてもその印象が強い。
 大劇版と博多版は『パッサージュ1』と『パッサージュ2』と区別していいくらい、別物だった。
 『夜明けの天使たち』といい、オギーは同じ世界観の別物を作るのうまいよね。

 全部観たかったけど時間がなかったので、「玻璃の街角・地獄」を中心に観た。
 これがほんと、大劇版と博多版は別物でねえ。
 構成的には変化ナシのシーンなのよ。他の場面なんかはまったく別の物語や音楽になっていたりしたのに、ここは同じ。
 同じなのに、別物。

 玻璃(パリ)の夜、闇の中。
 繊細さが美しい青年がひとり、うつしよから迷い込んでくる。
 そこは世紀末のサーカス小屋。ブランコの上で、片翼の少女がかなしい声で歌っている。

 囚われの少女と、迷い込んだ青年。
 のばした手と手が触れ合うことなく、少女は闇の向こうに消える。

 片目のサーカス団長は鞭を鳴らし、ナイフ使いたちが光を集めた刃をもてあそび、人形のような女たちが踊る。道化の少年と少女が漂う。
 いつしか青年は影のような男たちに囲まれ、サーカス小屋は地獄の王の宮廷となる。
 氷めいた美貌の地獄の王のもと、堕天使たちが踊る。

 そこへ、あの片翼の少女が現れた。白かったはずの翼は漆黒に染まり、闇の少女として堕天使と踊る。
 迷い込んだ青年もまた、黒い衣装で堕天使に翻弄され、踊る。彼の手を取る堕天使は、少女の魔性を浮かべた美少年。
 そしてついに、地獄の王が青年をとらえた。抱擁のあと、青年はすべてを受け入れ、闇の少女と婚礼を挙げる。

 ……てなシーン。記憶だけで書いてるので、作者の意図やら他の観客の観点との差異なんぞ知りません。

 お耽美爆発な、妖しく美しい物語。
 迷い込んだ青年@ぶんちゃんのたおやかな美しさ。匂い立つ、とはこーゆーことを言うのでしょう。う・わー、この男泣かせてみてえ、と大抵の腐女子が思うだろう受男のオーラを漂わせての登場(笑)。
 そして、片翼の少女@まひるちゃんの、可憐な美しさ。「もがれた翼の少女」を演じて絵になる清らかな美貌はすばらしい。闇に堕ちたあとの無邪気な邪悪っぷりもな。
 片目のサーカス団長@萬ケイ様ってのは、正気ですか、全年齢対象にしていていいんですか、年齢制限つけないとやばいでしょう!というハマり具合。エロ美中年を演じさせて、この人の右に出る人はいません(チャルさんはまた別のエロ美中年No.1・笑)。
 他の方々も雰囲気にぴったり合ってますが、とくに道化師美少年@キムの笑顔の奥の毒がたまりません。

 それから、『パッサージュ』の主役だと信じて疑わない、堕天使@コム姫。清らかな天使であろうと、真っ黒な堕天使であろうと、このひとの「重力のない存在感」はすごい。
 天使がいる。
 その事実だけが、そこにある。
 片翼の少女@まひるちゃんと踊る堕天使@コム姫は、魔的に美しいです。

 泣かせてやりたい男No.1(笑)迷い込んだ青年@ぶんちゃんと踊るのは、魔性の美少年堕天使@いづるん。誘い受をやったら天下一品、悪魔ですかあんた、堕天使ですかそうですか、のいづるん! ぶんちゃんを誘惑するその妖しさ、いやらしさ。すみれコードぶっちぎりのエロエロ全開。

 そして、地獄の王の名にふさわしい、トドロキ御大。
 どこのビジュアル系の方ですか、というよーな派手こい美形ぶり。彫刻が動いて歌ってます、てな完璧な美貌。
 美少年堕天使たちをかしずかせ、闇に君臨する美貌の君主。
 この鋭角的な美貌の王が、たおやかな美青年を抱擁するさまがもー、「ええっ、マジっすか?!」という耽美っぷり。
 てか、チューするんだと思ったよ。してもいいのに(ヲイ)。
 あの美少年に誘惑され、とどめにこの美貌の王に抱きしめられたら、ノーマルな青年もそりゃ堕ちるわな、と納得させるビジュアル。

 物語自体は、大劇も博多も同じ。
 キャスティングは少々ちがったのものの(コム姫やまひるちゃんは博多版には出ていなかった)、ストーリーラインは同じなのよ。メインどころのキャスティングは同じだったわけだし。
 ちがったのは。

 地獄の王、はしゃぎすぎ。

 博多版の地獄の王は、やたら陽気でした……。

 大劇版の王様は、冷たいのを通り越して凍り付いたよーなお方でしたが、博多版の王様はハイテンションに大騒ぎする方でした。
 いや、それはそれで、狂気を感じさせてくれて、いいんだけど……ただ、びっくりしたのよ。
 王様@トド様なんか、うれしそーじゃない? 青年@ぶんちゃんを手に入れることがそんなにうれしーの? 愛? ラヴゆえなのね?
 と、微笑ましかったっす。
 ……地獄の王が微笑ましいって、どうなのよソレ……というツッコミは置いておいて。

 博多版の「陽気な王様」のイメージが強すぎてな……。
 ビデオで大劇版の「氷の美貌王」を改めてみると、……いかん、「ぷっ」なんて笑いたくなってしまう! いかんいかんいかん!! 美貌のトド様に向かって「ぷっ(笑)」なんて、ダメよわたし!
 それにしても美しい……。美しいのに、なまあたたかい笑いが……。

 出かける時間が来たので、そこでビデオを切って立ち上がった。
 が、アタマの中は引き続き『パッサージュ』。
 ビデオで幾度となく見ている大劇版と、最後にナマで観た博多版がわたしのアタマの中でせめぎ合う。

 作品のテーマ部分である、「硝子の空の記憶」のシーン。
 男と死にゆく女が踊り、痛みに充ちた男女の睦み合いの場面が終わり、傷ついた青年@トド様が硝子のかけらを拾う。
 硝子のかけらの向こうにひろがる、いつか見た世界。
 無垢な少女@まひるちゃんが踊り、天使@コム姫が舞う。
 波が打ち寄せ、白い光が集まる。

 この作品中、もっとも美しいシーン。

 美しく、清らかで……そしてかなしい、場面。

 自分の重みに耐えかねて堕ちる水滴の、一瞬のきらめき。
 壊れること、汚れることを前提とした、はかない美しさ。

 夢が美しければ美しいほど、夢がしあわせであればあるほど、眼覚めたとき、それを失ったときの悲しみは深い。慟哭は深い。
 そのことを知っているからこそ、「夢」だとわかっているこの場面は、残酷なほど美しい。痛いほど、幸福。

 このもっとも美しいシーンに登場するのは、雪組きっての美青年たち。
 顔立ちはもちろん、スタイルの良さも重視。
 そりゃそーさ、美しくなければ説得力に欠けるもの! ここはいちばんの踏ん張りどころだ、美形勢揃いだ、行け行け雪組、美を表現するのだ!!

 ああ、大劇版の「白い光」たちは美しかったわ……カシゲを筆頭に、若手の美形をこれでもかと並べていたわ。
 ここを美しくしないでどこを美しくするのよ!てな場面だもんなあ。わたしが演出家でも、魂懸けて美形を投入するよ。

 そして、忘れられない博多版。
 雪組若手美形の何割かはバウホール公演中。半分の人数で演じられた、博多版『パッサージュ』。

 いちばんの美形たちが踊る「白い光」という役の中に。

 まちかめぐる氏がいたのが、忘れられません……。

 ああ……。
 瞼を閉じるとそこに、まちかめぐる……。

 いちばん美しいシーン、よりすぐりの美形たちの役に、まちかめぐ…

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