一家団欒。

2004年1月24日 家族
 父は人の話を聞かない。

「明日、氷点下だってよ」
「えー。はるばるムラに行くときに限ってどーしてそんな気温になるのよー」
 てな会話を母とわたしがしていると、
「宝塚か! もうずいぶん宝塚には行ってないな。あの川の見えるレストランはまだあるか?」
 などと、横にいた父が会話に加わってくる。
 そして、ひとしきりひとりで喋ったあと、お約束のよーに、

「で、明日、こあらは家にいるんだな?」

 と、ボケてくれる。

「明日はその宝塚に出かけるっちゅーとるやろーがっ」

 と、仕方がないのでお約束のツッコミを入れる。
 この場合の「お約束」とは、いわゆる「お笑い」のお約束ではない。

 「人の話を聞く気はないが、会話にまざりたがる」父との「お約束」ツッコミなのだ。

 父にもらったタダ券で、弟とふたりで『ラスト・サムライ』を見てきたときもそうだ。
 前日から、『ラスト・サムライ』を見に行く話をし、
「そうか、これから『ラスト・サムライ』を見に行くのか!」
 と言う父に見送られて、家を出たというのに。

「とにかくいろんな意味で、アメリカ的な映画だったよな」
「そこはほれ、『人魚姫』をハッピーエンドに作りかえちゃうお国柄ですから」
 てなふーに、『ラスト・サムライ』の感想を話していると、いつものよーに父が会話に混ざってくる。
「映画、見てきたのか。おもしろかったか」
「ツッコミどころは満載だけど、まあ、とりあえずたのしかったよねえ?」
「……うーん、まあ、おもしろかった、かな? ぼくはツッコミの方が多くてどうかと思うけど」
「日本が舞台なんだろう?」
「日本に似た別の国。西郷に似た人や大久保に似た人が出てるけど、あくまでも別の話」
「明治天皇も出てくるけど、明言は一切してないしね」
 てなふーに、さんざん3人で会話したあとで。

「で、今日はなにを見てきたんだ?」

 と、お約束。

「だから、『ラスト・サムライ』を見てきたと言うてるだろうっ!」

 と、お約束。

 そして、今日もまた。

 NHKのからくり人形の番組を、父が見ていた。
 緑野家の居間のテレビのチャンネル権は、父のモノである。民放を軽蔑している父は、基本的にNHKしか見ない。
 従って、緑野家の家族団らん時には、いつもNHKが流れている。

 からくり人形。
 不気味な笑顔を浮かべる古い人形たちを見て、『零』のことやホラーなことをいろいろ考えたし、もちろん『からくりサーカス』のことも考えたが、それとは別に、実体験に基づく記憶もよみがえった。

 なんかコレ、知ってるぞ。
 見たことある。
 たしか、弟の学園祭で見た。

 ヨーグルトを食べながらわたしがそう思っていると、隣で同じようにヨーグルトを食していた弟が、

「段返り人形か……これだけはどうしても作れなかったな」

 と、つぶやいている。

 そう。弟は大学のゼミで、江戸時代の玩具やからくり人形を作っていたのだ。(江戸時代のコスプレしてお伊勢参りしたりと、変なゼミだよ)

 テレビではちょうど、その「段返り人形」とやらが紹介されていた。
 子どもの姿をした小さな人形が、とてもリアルな動作ででんぐり返りしながら、段を下りていく。

「ほう、こんなものも作ってたのか」
 と、まざりたがりの父はすぐさま会話にくちばしを挟む。
「だから、コレは作れなかったんだってば。中に入れる水銀が手に入らなくてな」
「水銀ってたしか、取り扱うのに資格がいるのよね?」
 と、母も会話にまざってくる。
「そう。劇薬だからってことで、許可が下りなかったんだ。それでどうしても、作れないままに大学生活が終わった」
「水銀ってことは、液体を移動させることで、重心を移動させて動かすからくりってこと?」
 と、わたし。
「そう……だったんだけど」

 画面では、段返り人形の仕組みの話になっている。
 バネやギアなどは使われていない……ではどうやって動いているのか?! てな引き。

 なんと、水銀を使っているのです!!

 そこで父、お約束。

「ほほう、水銀かあ!!」

 今さっき、水銀の話したじゃん!! あんた聞いてたじゃん!

「水銀が移動することで、重心が変化するから、動くのか!」

 今さっき……以下略。

 人の話を聞く気はないが、いつも会話にまざりたくてうずうずしている父。
 そして、要領よく話をまとめることができないのに、父の茶々入れにいちいち反応して論点のずれた広大な物語を話し出す母。
 もちろん、母の語りの冒頭部分で、父は自分が言ったことなど忘れてまったく聞いていないので、母の長大な講釈はただ空間にだらだらと吐き出されるだけ。とてもうるさい。

 考えてみれば、似合いの夫婦だ……。

 しかし、わたしも弟も会話は会話として機能することをのぞんでいるので、彼らの意味のない茶々入れと長演説がはじまると、逃げ出すことにしている。

 人生は短すぎる。

 

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