彼の耳には、どう聞こえているのだろうか。

 「1万人の第九」練習もクライマックス。
 佐渡裕先生の特別レッスン日なり。
 なつかしの中之島中央公会堂で、1000人規模で練習をする。

 なんでなつかしかというと、中央公会堂にはその昔、毎週通っていたからだ。
 同人誌即売会があったの。毎週(笑)。
 若いころはすごい情熱で早朝から並んでたなあ。
 今ではもう、地方の小さなイベントには行かなくなった。コミケに遊びに行くだけ。

 改築された中央公会堂は、たたずまいは昔のまま、とても新しくきれいになってました。これは正しい改築だね。大正時代に建てられたというこの美しい西洋建築は、保護するべきだよ。
 地下の喫茶店も、めちゃお洒落になってたし。あの雰囲気で、おいしいケーキセットが税込み700円ですよ。すばらしい。

 そんなこんなで、合同練習。
 第九の練習は好きだし、他の先生もたのしいのだけど、やっぱり佐渡先生はまた少し、ちがうんだ。
 存在にパワーのある人だ。

 ここ数日で、1000人単位の練習会を何回もつづけてやっているはず。
 登場してきたときすでに、彼は疲労の色が濃かった。

 彼の耳には、どう聞こえているのだろう。

 わたしたち素人の歌声は。

 彼は一流のオーケストラや合唱団と仕事をしているはずだ。天才たちと同じ舞台に立つ、彼自身が豊かな才能を持つ人だ。
 そんな人の耳に、わたしたちの歌はどう響いているのだろう。

 たとえばわたしは、文章の下手な人が苦手だ。
 基本からしてできていない、読めない文章を見ると、イライラする。うまい下手とは別に、センスのない文章を見ても、辟易する。
 自分の実力はさておき、他人の粗は気になるんだ。

 佐渡先生から見れば、わたしたちの歌なんて、「てにをは」の使い方もわかっていない読めない文章みたいなもんなんだろうなと思う。
 疲労の濃い彼は、イライラと腕を振る。
 だめだめ、やり直し。そこはそうじゃない。

 何度やったところで、彼が満足するレベルになんか、到達するはずがない。それがわかっているから彼も、不満そうなままレッスンをすすめていく。

 不満なら、素人となんか組まなければいい。
 いくらもらえるのか知らないけど、そんなに必死になって指導なんかしなければいい。仕事なんか、いくらでも選べる立場でしょう?

 わたしは、佐渡先生が「1万人の第九」に初参加した年から、参加している。
 だから最初の年の佐渡先生が、どれほどきらきらしていたかを知っている。
 最初佐渡先生は、期待にきらきらしていた。「1万人で第九を歌う。なんてすばらしいんだ」と。
 やる気も満々。「おれはやるぜ。おれが変えてやるぜ」と意欲に燃えていた。
 2年目までは、まだそんな感じだった。
 しかし、3年目になると。
 佐渡先生は明らかに、落胆していた。
 たぶん、自分が思っていたほどすばらしい世界でもなかったんだろう。「1万人で第九を歌う」ってことは。
 素人合唱団なんてタカがしれているし、そんな連中が1万人も集まったら、収拾がつかなくなるだけだ。へたっぴがよけいへたっぴになるだけだ。
 なげやりだった3年目。1万人の素人になんか目もくれず、自分の友だちをステージに呼んで、自分たちだけたのしそうに演奏していた。
 少し持ち直したのが、4年目。
 1万人の素人には、やはりアマチュアの楽団を。
 関西を中心とした学生たちを集めて、オーケストラを結成した。そして、世界トップクラスの演奏者たちを助っ人として召喚。
 野球で言ったら、高校球児がメジャーリーグの大選手と練習試合をさせてもらうようなもん? 学生たちにとっては、またとない機会だろう。このアイディアはすばらしい。
 1万人の素人合唱団に対しても、前年より力を入れて指導していた。オケがアマだからかな? と思っていたら、音大卒のキティちゃんは言い捨てる。
「助っ人の演奏者たちに対しての面子でしょ」
 なるほど。あまりにレベルが低すぎると、佐渡先生の面子が立たないのか。
 まあなんにせよ、まだマシだったのが4年目。

 そして、今年。
 今年もまた、学生たちと海外からの助っ人でオーケストラを結成するらしい。最初は新しいことにこだわっていたはずの佐渡先生だが、同じことの繰り返しに甘んじている。仕方ないのかもしれない。
 3年目のときの、佐渡先生のやる気のなさを目の当たりにしているので、わたしと友人たちは「来年も佐渡先生かな?」と毎回不安に思っている。いつ指揮者が交代しても、不思議じゃないからな。
 どれだけやっても、所詮わたしたちは素人。音楽で食べていく人じゃない。佐渡先生の納得する合唱ができるはずがない。
 だからこそ、考える。
 彼の耳には、どう聞こえているのだう。
 うんざりしているのかな。どんなに自分が熱意を持って指導しても、箸にも棒にも掛からない出来だから。

 疲労も濃いし、熱意にも欠ける。
 そんな感じではじまった、合同練習。

 それでも。

 それでも、佐渡先生は熱くなる。
 わたしたちになんか期待していないだろうに、指導しているうちに必死になっていく。
 ベートーベンはすばらしいんだ。第九はすばらしいんだ。汗をかき、つばを飛ばしながら熱弁する。指導する。

 ほんとに、好きなんだなあ。

 好きだからこそ、わたしたちの低レベルさがゆるせないし、好きだからこそ、わたしたちにもそれのすばらしさを知ってほしいんだ。
 仕事だというだけなら、お金というだけなら、たぶんもっと、他にやるべきことがあるよね。
 苛立ちながらも「1万人の第九」の指揮をするのは、やっぱり「なにか」あるんだろうな。物理的な損得だけじゃない、なにか。
 それゆえに彼は、熱くなる。

 それゆえにわたしは、やっぱり佐渡裕という人が好きだ。

 苛立ちや不満が、けっこー丸わかりなあたり、アーティストであってふつーの社会人じゃないっぽいところとか、それでもなお、好きなものを好きなままあがいているところとか。
 彼の強いオーラが、伝わってくる。
 たったひとりで、1000人の人を相手にこれだけオーラを出し続けて、1日に何度もこの人数のレッスンをして。
 その並大抵じゃない強さに惹かれる。

 すごい人だよ。

 それに、なんだかんだいっておもしろいしね。佐渡先生のレッスン。
 恒例の肩組み(マーチの部分を歌うとき、男たちは全員で肩を組んで左右に揺れながら歌うんだ。佐渡先生名物)をする姿を眺めながら、ああ1年経ったんだなあ、と実感した。
 

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