ネタバレ注意。犯人もオチも語ってます。@ケイティ
2003年11月18日 映画 ひさしぶりに、おもしろくない映画を見た。
映画ってのはまあ、大抵ある程度はおもしろいもんなんだが。
とくに洋画は、わざわざいろんな人の手とお金を使って、輸入されてくるわけだからな。邦画の駄作よりは、いくらかマシだったりする可能性が高い。
「アンバランスなハートが絡み合う、衝撃のラブ・サスペンス」というコピーのつけられた『ケイティ』という映画を見てきた。
監督・脚本スティーブン・ギャガン、出演ケイティ・ホルムズ、ベンジャミン・ブラッド、チャーリー・ハナム。
女子大生ケイティ@ケイティ・ホルムズの恋人エンブリー@チャーリー・ハナムは2年前に失踪した。そのことについて、ハンドラー刑事@ベンジャミン・ブラッドが調査にやってきた。
それをきっかけにするかのように、ケイティの周りにエンブリーらしき人影がつきまとうようになった。そこへ、新たな失踪事件が起こる。ケイティをずっと愛していた友人が、彼女に愛を告白した日から行方を絶ったのだ。
エンブリーは果たして生きているのか? 行方不明になった友人は、エンブリーの手にかかったのか?
緊張の続く毎日のなか、ケイティはいつしか、ハンドラー刑事に惹かれていくが……。
いやあ、長かった。
2時間半くらいある?
……と思ったら実際は、1時間半くらいしかなかった。
あまりにつまらなくて、時間の感覚が狂っちゃったよ。
けっこう早いウチから、オチが読めてしまうのに、いつまでたってもスクリーンの中では同じよーなことをちんたらやっている。
なんなんだろうなあ、このタルさは。
ネタ自体はべつに、悪くない。
オチは読めたが、それでももっとサスペンスらしく盛り上げることはできただろう。
だからすべては、演出が悪いってことだろうな。
見ている者を退屈させるよーな演出は、勘弁してくれよ。
わたしは退屈で退屈で、仕方なかった。
なまじ青春映画風の繊細物語を意識しているよーな感じだから、サスペンス部分との相性の悪いこと。どっちも中途半端。
オチが読めすぎてしまうのは、ズルをしていないからなんだろうな。
ヒロイン・ケイティは、正しくサイコ女だった。……はっ、いかんコレはネタバレか? タイトルにネタバレ注意出しておかなきゃだな。
エンブリーはハンサムでお金持ちで、しかも天才劇作家ときたもんだ。そんな彼に、才能を見いだされ、愛されたケイティ。
「君は他の凡人どもとはチガウ。愛しているよ。さあ、ボクと天才だけの世界を共有しよう」
……平凡な女の子があこがれる最高峰。まあ、わたしって実は天才だったんだわ。天才であるわたしは、天才であるうえにハンサムでお金持ちのダーリンに愛されて当然なんだわ。
そのハンサムな天才が行方不明になり。
気がつくと、ケイティの周りには、彼女を愛する男たちばかり。
友人として彼女を見守ってきたやさしい彼、超一流企業の人事権を持つ彼、繊細な彼女のセラピーをする精神科医の彼、心に傷を持ったセクシーな刑事の彼。
彼女に出会う男たちは、みーんな彼女の虜。
当然よね、だってわたしは、天才で美人でエレガントなんですもの。
この世のすべての男が、わたしを求めて争っても仕方のないことだわ。
失踪したはずの天才ハンサムのエンブリーが、ストーカーと化してわたしを監視している。わたしに近づく男を許さないと言う。
ああ、当然だわ! だってわたしは、天才で美人でエレガントなんですもの。天才のエンブリーは、わたしを独り占めしたがっているんだわ!
……えーと。
これって彼女の、妄想だよね?
と、オチがわかりきってしまうんだよなあ。
もちろん、男たちは彼らなりにちゃんとケイティを愛してはいるけど、彼女が思う「だってわたしは天才で……以下略」とはちがっているだろう。いくらでも代わりのきく、ふつーレベルの恋愛感情だろう。
つまり、ふられたらあきらめられる、ケイティがいなくてもふつーに生きて生活していける、ふつーの好意。
それが、ケイティ視点になると「わたしを愛するゆえに犯罪者になる」「わたしを愛するゆえに死んでしまう」とかになる。
ケイティがゆがみまくってるからなあ。
彼女視点でどんなに「何者かにねらわれているわたし!」をやられても、しらけるだけ。それ、君の妄想でしょ? ちっともこわくないです。
オチに気づかなければ、おびえるケイティに感情移入して、一緒にこわがることができたのかなあ。
エンブリーはとっくに死んでいて、その犯人がケイティだった、てのがどうやら最大のどんでん返しらしいのだが、とにかく、早い段階からその「最大のどんでん返し」がバレちゃってるもんだから、そこにたどりつくまでが退屈で退屈で。
「君は他の凡人どもとはチガウ。愛しているよ。さあ、ボクと天才だけの世界を共有しよう」
という、才能と愛と二本立ての欲を満たしていてくれたダーリンが、
「君はダサいだけで才能なんかないし、もちろん愛してもいないよ。もうボクにつきまとわないでくれ!」
てなことを言って捨ててくれたら、そりゃ逆ギレするしかないよなあ。
どっちかひとつならまだ、救われたかもしれないが、両方だからな。
才能と愛、両方を否定されたら、存在意義が崩壊してしまう。
天才のわたしってすてき! 天才に愛されてるわたしってすてき! と、舞い上がってたんだもんなあ。
とまあ、ズルなしで、ヒロインのキャラクタ造形も、ストーリー展開も伏線も、正しく造られています。
しかし。
いくらズルなしでも、つまらなかったらなんの意味もない。
という見本のような話。
いくらフェアでも、犯人も動機もトリックもまるわかりのミステリは、読むに値しない。
とゆー見本のような話、でしたよ。
ほんと、これほどつまらない映画は、ある意味見る価値があったかもしれない(矛盾・笑)。
映画ってのはまあ、大抵ある程度はおもしろいもんなんだが。
とくに洋画は、わざわざいろんな人の手とお金を使って、輸入されてくるわけだからな。邦画の駄作よりは、いくらかマシだったりする可能性が高い。
「アンバランスなハートが絡み合う、衝撃のラブ・サスペンス」というコピーのつけられた『ケイティ』という映画を見てきた。
監督・脚本スティーブン・ギャガン、出演ケイティ・ホルムズ、ベンジャミン・ブラッド、チャーリー・ハナム。
女子大生ケイティ@ケイティ・ホルムズの恋人エンブリー@チャーリー・ハナムは2年前に失踪した。そのことについて、ハンドラー刑事@ベンジャミン・ブラッドが調査にやってきた。
それをきっかけにするかのように、ケイティの周りにエンブリーらしき人影がつきまとうようになった。そこへ、新たな失踪事件が起こる。ケイティをずっと愛していた友人が、彼女に愛を告白した日から行方を絶ったのだ。
エンブリーは果たして生きているのか? 行方不明になった友人は、エンブリーの手にかかったのか?
緊張の続く毎日のなか、ケイティはいつしか、ハンドラー刑事に惹かれていくが……。
いやあ、長かった。
2時間半くらいある?
……と思ったら実際は、1時間半くらいしかなかった。
あまりにつまらなくて、時間の感覚が狂っちゃったよ。
けっこう早いウチから、オチが読めてしまうのに、いつまでたってもスクリーンの中では同じよーなことをちんたらやっている。
なんなんだろうなあ、このタルさは。
ネタ自体はべつに、悪くない。
オチは読めたが、それでももっとサスペンスらしく盛り上げることはできただろう。
だからすべては、演出が悪いってことだろうな。
見ている者を退屈させるよーな演出は、勘弁してくれよ。
わたしは退屈で退屈で、仕方なかった。
なまじ青春映画風の繊細物語を意識しているよーな感じだから、サスペンス部分との相性の悪いこと。どっちも中途半端。
オチが読めすぎてしまうのは、ズルをしていないからなんだろうな。
ヒロイン・ケイティは、正しくサイコ女だった。……はっ、いかんコレはネタバレか? タイトルにネタバレ注意出しておかなきゃだな。
エンブリーはハンサムでお金持ちで、しかも天才劇作家ときたもんだ。そんな彼に、才能を見いだされ、愛されたケイティ。
「君は他の凡人どもとはチガウ。愛しているよ。さあ、ボクと天才だけの世界を共有しよう」
……平凡な女の子があこがれる最高峰。まあ、わたしって実は天才だったんだわ。天才であるわたしは、天才であるうえにハンサムでお金持ちのダーリンに愛されて当然なんだわ。
そのハンサムな天才が行方不明になり。
気がつくと、ケイティの周りには、彼女を愛する男たちばかり。
友人として彼女を見守ってきたやさしい彼、超一流企業の人事権を持つ彼、繊細な彼女のセラピーをする精神科医の彼、心に傷を持ったセクシーな刑事の彼。
彼女に出会う男たちは、みーんな彼女の虜。
当然よね、だってわたしは、天才で美人でエレガントなんですもの。
この世のすべての男が、わたしを求めて争っても仕方のないことだわ。
失踪したはずの天才ハンサムのエンブリーが、ストーカーと化してわたしを監視している。わたしに近づく男を許さないと言う。
ああ、当然だわ! だってわたしは、天才で美人でエレガントなんですもの。天才のエンブリーは、わたしを独り占めしたがっているんだわ!
……えーと。
これって彼女の、妄想だよね?
と、オチがわかりきってしまうんだよなあ。
もちろん、男たちは彼らなりにちゃんとケイティを愛してはいるけど、彼女が思う「だってわたしは天才で……以下略」とはちがっているだろう。いくらでも代わりのきく、ふつーレベルの恋愛感情だろう。
つまり、ふられたらあきらめられる、ケイティがいなくてもふつーに生きて生活していける、ふつーの好意。
それが、ケイティ視点になると「わたしを愛するゆえに犯罪者になる」「わたしを愛するゆえに死んでしまう」とかになる。
ケイティがゆがみまくってるからなあ。
彼女視点でどんなに「何者かにねらわれているわたし!」をやられても、しらけるだけ。それ、君の妄想でしょ? ちっともこわくないです。
オチに気づかなければ、おびえるケイティに感情移入して、一緒にこわがることができたのかなあ。
エンブリーはとっくに死んでいて、その犯人がケイティだった、てのがどうやら最大のどんでん返しらしいのだが、とにかく、早い段階からその「最大のどんでん返し」がバレちゃってるもんだから、そこにたどりつくまでが退屈で退屈で。
「君は他の凡人どもとはチガウ。愛しているよ。さあ、ボクと天才だけの世界を共有しよう」
という、才能と愛と二本立ての欲を満たしていてくれたダーリンが、
「君はダサいだけで才能なんかないし、もちろん愛してもいないよ。もうボクにつきまとわないでくれ!」
てなことを言って捨ててくれたら、そりゃ逆ギレするしかないよなあ。
どっちかひとつならまだ、救われたかもしれないが、両方だからな。
才能と愛、両方を否定されたら、存在意義が崩壊してしまう。
天才のわたしってすてき! 天才に愛されてるわたしってすてき! と、舞い上がってたんだもんなあ。
とまあ、ズルなしで、ヒロインのキャラクタ造形も、ストーリー展開も伏線も、正しく造られています。
しかし。
いくらズルなしでも、つまらなかったらなんの意味もない。
という見本のような話。
いくらフェアでも、犯人も動機もトリックもまるわかりのミステリは、読むに値しない。
とゆー見本のような話、でしたよ。
ほんと、これほどつまらない映画は、ある意味見る価値があったかもしれない(矛盾・笑)。
コメント