ハンマーが小さかったらしい。@宙組新公
2003年10月21日 タカラヅカ 本日は宙組新人公演。
1日雨だったけど、ムラに着いたときは傘がいらないくらいの小降り。このままやむんだと期待したのに、結局夜まで降ってたねえ。
作品がカスな場合、新人公演はとてもつらい。
その公演は出演者の魅力と実力だけで持っているわけだから、それがつたなくなると、「見れたもんぢゃねえ(泣)」ということになる。
わたしが新公を好きな理由のひとつは、そこにもある。
本役以下の力しか持たない人が演じてなお、「物語」としてどう見えるか。
作品についてあーだこーだ考えるのが好きな理屈屋としては、はずせないわけだな。
『白昼の稲妻』は、作品としてのレベルはふつうだ。
破綻しているわけでもないし、センスが悪いわけでもない。
筋を追うだけを「物語」とするなら、なんの問題もない。
とゆーことを、再確認しました。
ただ。
問題は、オギーだ(笑)。
演出家荻田浩一氏の美意識は、本役の華と技術を想定して構成されているので、新公で再現するといわゆる「オギーらしい」部分に支障が発生(笑)。
はっきり言うなら、劇中劇『オセロー』。
えらいことになってました(笑)。
わたしはこの公演、1回しか観ていないし、金がないためあと1回行く予定だったのを断念したところなんで、もう観る機会はないんだが。
そのたった1回で、「納得」したクチなので、まさか新公で「?」になるとは思わなかった。
劇中劇『オセロー』。
それまでの柴田芝居をぶっとばし、オギー全開になるこのシーン。
いちばんの盛り上がり、クライマックスここにあり!のシーン。
ミステリ調にすすんできた芝居なだけに、探偵役が犯人を名指しするシーンはいちぱん重要、『水戸黄門』なら助さんが「ひかえ、ひかえ〜い!」と叫ぶシーンだ。
ランブルーズの悪事を暴き、ヤツめを「ははぁ〜〜っ!」と平伏ささねばならん場面だ。
いちばんわかりやすく、快刀乱麻してしかるべき場面なんだ。
なのにオギーったら。
このいちばんのクライマックスを、いちばんわけわかんなくしちゃうんだもの(笑)。
それまでふつーに筋を追って観ていた後頭部を、ハンマーですかーんっと殴られた感じ。
うわっ、全部吹っ飛んだ。事件だとか、真相だとか、芝居で犯人を告発するだとか。
理屈が一掃され、そこにあるのはただただ、感性のみ。
この『オセロー』を「わからない。あの芝居のどこが告発になるの?」「原作とあてはめると変よね?」「台詞が聞こえないからわからない」とか言っている人たちは、たぶんハンマーの威力が小さかった人たちでしょう(笑)。
つーか、台詞はアレ、わざと聞こえないようにしてるんだよねえ?
言葉は「音」、ときおり耳に残る「単語」が余韻を落とす程度、「音楽」の一種。
わざと、それまでの「台詞」「筋書き」とは別の次元にしている。
確信犯。
ハンマーでぶん殴り、別次元へ強引にご招待。
わたしは単純なのか、ハンマー効果で一瞬にしてオギーワールドへ着地。
真っ白な頭になだれ込む、オギー尽くしに息も絶え絶え。
わたしは「文字」をあやつることを商売にしていたいと思っている人間だから、この「言葉」を脇役に押しやった構成には、憧れと嫉妬を感じるわ。文字書きには表現不可能なことをやりやがって。
理屈ではなく、感性だけで、理解する世界。
台詞を聞くことで理解しようとしてたりしたら、そりゃ取り残されるよー。
ちゃんと劇中劇が終わったあと、舞台上の観客が「ランブルーズって言ってましたわね」とわざわざ「台詞で」説明してくれてるじゃん。巨匠作品じゃあるまいし、劇中劇で言ったことを、わざわざもう一度台詞で言うのは、劇中劇の方は「聞き取れなくてもいい」ってことでしょう、ふつー。
いや実際、わたしはこのわざわざな台詞で、現実に戻ってきたよ。
ああそうそう、そーいやそんなことを言うための劇中劇だったっけ。
てな、とっても気持ちよくトリップさせてくれる、だけどとても心臓に悪いシーン。
オギーは客を消耗させるよなー。
さて、このシーンは、新公だとどうなる?
結果。
トリップできませんでした。
ハンマー、効果極少。
正気のままこのシーンを観ると、「えーらいこっちゃ」でした。
うわー、音楽すげえなあ、台詞すげえなあ、へー、ほー、ひゃー。
トリップできなかったいちばんの要因は、「歌」。
そうか、あのシーンには「ガイチの歌」が必要不可欠なんだ!!
ふつーの歌い手さんでも、苦しい。最低限ガイチのレベルが必要なんだ。
個人的に、ガイチはオギーワールドには合わない人だと思っている。だから本公演のこのシーンでも、ガイチはあまり目に入ってなかった。
しかし、彼の歌声は必須です! 思い知ったわ。
そして、センターに立つふたりの男女には、問答無用の「美しさ」が必要だということも、痛感した。
現実感のない、少女マンガのよーな美しさを持つふたり。彼らが愛憎に堕ちる姿が、これまたカタルシスなんだ。
たかちゃんの無機質な美しさが嫉妬に「汚れる」瞬間に、あの波は観客を飲み込んでしまうんだ。
そして、水くんとかなみちゃんは、合ってましたなー、オギーワールド。いちばん似つかわしかったのではないかと。
てなことを、咄嗟にいろいろ考えてしまうくらい、トリップしそこない、取り残されたわたし。
1度だけ観た本公演で「納得」していただけに、新公で観て「わけわかんねえ、このシーン」と思ってしまった……そうか、あの日トイレの行列で「わからないわー」「台詞聞こえないしー」とか言っていたおばさま方、こーゆー気持ちだったのねっ。
舞台では、若者たちが「必死で」オギーワールドと格闘している。
あー……そんなに青筋たてられてもなあ……技術的なこともそうだけど、なんかこう、チガウんだよなあ。
舞台が大騒ぎ、って感じだった。劇中劇『オセロー』。
あとの芝居の部分は、ふつうに「新人公演」だったよ。
『白昼の稲妻』、作品としてのレベルはふつー。
しかし……やっぱりオギーがオギーだったのは、マイナスなんじゃあ……?
いや、わたしは大好きだし、本公演の『オセロー』ならもう一度観たいと心から思うけど。
新公のレベルなら、もういいです……(笑)。
WHITEちゃんとふたり、
「わたしら、ヒゲフェチ?」
と、話し合っていた。
というのも、水しぇん@ランブルーズのヒゲ姿にきゃーきゃー言ったあとなのに、さらに今回、七帆ひかるくん@ランブルーズにきゃあきゃあ言ってるから(笑)。
「ヒゲか? ヒゲがいいのか、あたしら??」
「ああでも、あのヒゲがいいのよー、かっこいいよーっ」
「顎ヒゲがまた、いいのよねっ」
「そう、ヒゲは顎まであってこそよ!」
あとWHITEちゃんは早霧せいなちゃん@サバティエを気に入っていた模様。うむ、美人さんだったねえ。
さらに、やはり目について仕方なかった「暁郷」のことをたのしそーに語る。WHITEちゃん、君もうGOくんのファンなんじゃ……?
わたしはあと、和音ちゃん@ジルダがきれいでかわいくて、目が離せなかったよー。
凪七瑠海ちゃんもさすがにかわいいしねえ。その他の男の役でも、スタイルで目立ってるし。
しかし、身長170cmで「少年」役だもんなあ……おそるべし宙組巨人集団。
まあたかこもその昔雪組で、「丁稚少年」役をやってたけどな……(笑)。
1日雨だったけど、ムラに着いたときは傘がいらないくらいの小降り。このままやむんだと期待したのに、結局夜まで降ってたねえ。
作品がカスな場合、新人公演はとてもつらい。
その公演は出演者の魅力と実力だけで持っているわけだから、それがつたなくなると、「見れたもんぢゃねえ(泣)」ということになる。
わたしが新公を好きな理由のひとつは、そこにもある。
本役以下の力しか持たない人が演じてなお、「物語」としてどう見えるか。
作品についてあーだこーだ考えるのが好きな理屈屋としては、はずせないわけだな。
『白昼の稲妻』は、作品としてのレベルはふつうだ。
破綻しているわけでもないし、センスが悪いわけでもない。
筋を追うだけを「物語」とするなら、なんの問題もない。
とゆーことを、再確認しました。
ただ。
問題は、オギーだ(笑)。
演出家荻田浩一氏の美意識は、本役の華と技術を想定して構成されているので、新公で再現するといわゆる「オギーらしい」部分に支障が発生(笑)。
はっきり言うなら、劇中劇『オセロー』。
えらいことになってました(笑)。
わたしはこの公演、1回しか観ていないし、金がないためあと1回行く予定だったのを断念したところなんで、もう観る機会はないんだが。
そのたった1回で、「納得」したクチなので、まさか新公で「?」になるとは思わなかった。
劇中劇『オセロー』。
それまでの柴田芝居をぶっとばし、オギー全開になるこのシーン。
いちばんの盛り上がり、クライマックスここにあり!のシーン。
ミステリ調にすすんできた芝居なだけに、探偵役が犯人を名指しするシーンはいちぱん重要、『水戸黄門』なら助さんが「ひかえ、ひかえ〜い!」と叫ぶシーンだ。
ランブルーズの悪事を暴き、ヤツめを「ははぁ〜〜っ!」と平伏ささねばならん場面だ。
いちばんわかりやすく、快刀乱麻してしかるべき場面なんだ。
なのにオギーったら。
このいちばんのクライマックスを、いちばんわけわかんなくしちゃうんだもの(笑)。
それまでふつーに筋を追って観ていた後頭部を、ハンマーですかーんっと殴られた感じ。
うわっ、全部吹っ飛んだ。事件だとか、真相だとか、芝居で犯人を告発するだとか。
理屈が一掃され、そこにあるのはただただ、感性のみ。
この『オセロー』を「わからない。あの芝居のどこが告発になるの?」「原作とあてはめると変よね?」「台詞が聞こえないからわからない」とか言っている人たちは、たぶんハンマーの威力が小さかった人たちでしょう(笑)。
つーか、台詞はアレ、わざと聞こえないようにしてるんだよねえ?
言葉は「音」、ときおり耳に残る「単語」が余韻を落とす程度、「音楽」の一種。
わざと、それまでの「台詞」「筋書き」とは別の次元にしている。
確信犯。
ハンマーでぶん殴り、別次元へ強引にご招待。
わたしは単純なのか、ハンマー効果で一瞬にしてオギーワールドへ着地。
真っ白な頭になだれ込む、オギー尽くしに息も絶え絶え。
わたしは「文字」をあやつることを商売にしていたいと思っている人間だから、この「言葉」を脇役に押しやった構成には、憧れと嫉妬を感じるわ。文字書きには表現不可能なことをやりやがって。
理屈ではなく、感性だけで、理解する世界。
台詞を聞くことで理解しようとしてたりしたら、そりゃ取り残されるよー。
ちゃんと劇中劇が終わったあと、舞台上の観客が「ランブルーズって言ってましたわね」とわざわざ「台詞で」説明してくれてるじゃん。巨匠作品じゃあるまいし、劇中劇で言ったことを、わざわざもう一度台詞で言うのは、劇中劇の方は「聞き取れなくてもいい」ってことでしょう、ふつー。
いや実際、わたしはこのわざわざな台詞で、現実に戻ってきたよ。
ああそうそう、そーいやそんなことを言うための劇中劇だったっけ。
てな、とっても気持ちよくトリップさせてくれる、だけどとても心臓に悪いシーン。
オギーは客を消耗させるよなー。
さて、このシーンは、新公だとどうなる?
結果。
トリップできませんでした。
ハンマー、効果極少。
正気のままこのシーンを観ると、「えーらいこっちゃ」でした。
うわー、音楽すげえなあ、台詞すげえなあ、へー、ほー、ひゃー。
トリップできなかったいちばんの要因は、「歌」。
そうか、あのシーンには「ガイチの歌」が必要不可欠なんだ!!
ふつーの歌い手さんでも、苦しい。最低限ガイチのレベルが必要なんだ。
個人的に、ガイチはオギーワールドには合わない人だと思っている。だから本公演のこのシーンでも、ガイチはあまり目に入ってなかった。
しかし、彼の歌声は必須です! 思い知ったわ。
そして、センターに立つふたりの男女には、問答無用の「美しさ」が必要だということも、痛感した。
現実感のない、少女マンガのよーな美しさを持つふたり。彼らが愛憎に堕ちる姿が、これまたカタルシスなんだ。
たかちゃんの無機質な美しさが嫉妬に「汚れる」瞬間に、あの波は観客を飲み込んでしまうんだ。
そして、水くんとかなみちゃんは、合ってましたなー、オギーワールド。いちばん似つかわしかったのではないかと。
てなことを、咄嗟にいろいろ考えてしまうくらい、トリップしそこない、取り残されたわたし。
1度だけ観た本公演で「納得」していただけに、新公で観て「わけわかんねえ、このシーン」と思ってしまった……そうか、あの日トイレの行列で「わからないわー」「台詞聞こえないしー」とか言っていたおばさま方、こーゆー気持ちだったのねっ。
舞台では、若者たちが「必死で」オギーワールドと格闘している。
あー……そんなに青筋たてられてもなあ……技術的なこともそうだけど、なんかこう、チガウんだよなあ。
舞台が大騒ぎ、って感じだった。劇中劇『オセロー』。
あとの芝居の部分は、ふつうに「新人公演」だったよ。
『白昼の稲妻』、作品としてのレベルはふつー。
しかし……やっぱりオギーがオギーだったのは、マイナスなんじゃあ……?
いや、わたしは大好きだし、本公演の『オセロー』ならもう一度観たいと心から思うけど。
新公のレベルなら、もういいです……(笑)。
WHITEちゃんとふたり、
「わたしら、ヒゲフェチ?」
と、話し合っていた。
というのも、水しぇん@ランブルーズのヒゲ姿にきゃーきゃー言ったあとなのに、さらに今回、七帆ひかるくん@ランブルーズにきゃあきゃあ言ってるから(笑)。
「ヒゲか? ヒゲがいいのか、あたしら??」
「ああでも、あのヒゲがいいのよー、かっこいいよーっ」
「顎ヒゲがまた、いいのよねっ」
「そう、ヒゲは顎まであってこそよ!」
あとWHITEちゃんは早霧せいなちゃん@サバティエを気に入っていた模様。うむ、美人さんだったねえ。
さらに、やはり目について仕方なかった「暁郷」のことをたのしそーに語る。WHITEちゃん、君もうGOくんのファンなんじゃ……?
わたしはあと、和音ちゃん@ジルダがきれいでかわいくて、目が離せなかったよー。
凪七瑠海ちゃんもさすがにかわいいしねえ。その他の男の役でも、スタイルで目立ってるし。
しかし、身長170cmで「少年」役だもんなあ……おそるべし宙組巨人集団。
まあたかこもその昔雪組で、「丁稚少年」役をやってたけどな……(笑)。
コメント