なんか、なつかしい歌をいろいろ検索してみました。

 拒否権のない子どものころに、教師から命令されて歌っていた歌。

 いちばんひどかったのが、中学時代。
 わたしは中学のとき、音楽教育を受けさせてもらえなかった。
 わたしだけでなく、わたしの学年全部。

 もちろん科目に「音楽」はあった。
 あったけど、あれは授業じゃなかった。

 3年間ずーっと、音楽教師の子どもの話を聞かされてたんだよね(教師は持ち上がりだったから、3年間同じ人)。

 楽器も習わなかったし、楽譜の読み方も習わなかったし、レコード鑑賞もなかった。音楽史も作曲家の名前も知らない。
 ただひたすら、来る日も来る日も、せんせーの赤ちゃんの話を聞いていた。

 おかげで、高校に入ってから苦労したよ。
 中学生のときに習っていて当然のことを、なにも知らなかったから。
 中学で購入しているはずの楽器も、クラスでわたしひとりだけ持ってなかったし、触ったこともなかった。
 高校の音楽の先生に、「あなた中学3年間なにやってたの?」と真顔で質問されて、こまったよ。

 同じ中学出身の他の高校に行った友だちに愚痴ったら、
「音楽を選択するからいけないのよ。うちの中学出身の人は、音楽を選択しないものよ」
 と言われてさらにびっくりさ。
 そっか、うちの中学出身者は、高校の選択科目の枠が他の中学の人より少ないのか……当然だよな、教育受けてないもんな。
 ってしかし、うちの高校、音楽は選択じゃなくて必須科目だったんだよ。泣。

 中学時代の音楽の授業では、教科書を開くこともなかった。
 だから教科書に載っている歌はまったく知らない。

 中学3年間の音楽の授業でひたすら歌った歌は、

 『バラライカ』

 だった。

 おかげで、時折ものすごーくこの歌が聴きたくなる。歌いたくなる(笑)。

 ビバ、インターネット。
 ブラボー、インターネット。

 聞くことができたわ、『バラライカ』。ああ、なつかしい。

 暗い暗い曲調で、生きる苦しみを歌う歌。
 4番まであるけど、3番まではただただ苦しみ。ひたすら苦しみ。とにかく苦しみ。
 呪うような感じで、「バラライカ」と繰り返す。
 4番でようやく、苦しみを乗り越えて生きよう、と歌う。しかし曲調は暗い呪い歌のまま。

 「苦しい仕事に疲れ果てて 帰って寝るだけ」だとか「着た切りすずめの貧乏暮らし 優しい言葉に いつも飢えている」とか、そんな歌だよ?
 これ、中学生に歌わせる意味があるのか?

 3年間、毎時間2回以上歌わされたんだけど?
 授業開始に1回、終わりに1回。声が小さいと、やりなおし。
 歌わされていない間はずーっと、せんせーの赤ちゃんが立ったの坐ったの喋ったのって話。

 今も、ノブヨ先生の呪うよーな暗い歌声が耳に残っているよ……。
 バラライカ、バラライカ……。

 あと忘れられないのが、『ポーリシュカ・ポーレ』。
 教科書に載っている『ポーリシュカ・ポーレ』は日本人が勝手に詩をつけただけの嘘の歌で、ほんとうの歌詞はチガウんだ、と言って、プリントが配られた。
 貧しい民衆が立ち上がって戦う歌だと教えられ、みんなで歌いました……。
 たしか教育実習生が指揮を執っていたと思うけど、その後ろでうなずいていたのが、ノブヨ先生。

 たしかに、教科書に載っていた美しい言葉ばかりの歌詞とはまったくちがい、血なまぐさい戦いを連想させる勇ましい歌だったよ。
 少し前に、アイドルドラマで『ポーリシュカ・ポーレ』が使われていることがあった。友人が「なんでロシア民謡が主題歌なのかしら」と言っていたので、「さあ? 戦いの歌だからじゃないの?」と答えておいたんだが、この認識は世界的に正しいのだろうか?

 なんにせよ、強烈に印象に残っている想い出の1曲であることには、ちがいない。

 ビバ、インターネット。
 ブラボー、インターネット。

 聞くことができたわ、『ポーリシュカ・ポーレ』。ああ、なつかしい。

 生きる苦しみの歌を毎時間歌い、戦う民衆の歌を熱唱する中学生たち。

 ……あー……なんであんなに偏った歌しか歌わせてもらえなかったんだ……。

 でもやっぱり、歌いたいなあ、『バラライカ』。
 カラオケに入ってないかなあ。
 世の中を呪うよーな暗い声で歌うのよー。もの悲しくされど力強く大きな声で歌うのよー。
 ストレス解消にいいかもしれない(笑)。

 

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