暗い舞台こそ、光は輝く。@雪組新公
2003年9月9日 タカラヅカ 雪組新人公演『Romance de Paris』観劇。
配役発表までは、期待していたんだよ。
いづるん主役、いづるん主役、1回ぐらいは頼むよ、劇団! キムにはまだ来年があるじゃないか、いづるんに1回ぐらい主役をさせてやってくれえええ。
…………配役発表で、ヘコみました。
結局、キムか……。
いづるんはなに、樹里ちゃんの役? あれ、チガウ。
んじゃ、カシゲか。あれ、チガウ。
ええっ、どこよいづるん!!
……いっぽくんの、役?
ここまで落ちるの? 劇団はいづるんをその程度にしか思ってないってことよね。しょぼん。
ところが、本公演を観て、希望ができた。
だっていっぽくんの役って、本来なら樹里ちゃんがやっていそうな、2番手格の役じゃん!
いっぽくんのディディエに失望した瞬間から、希望は新公になった。
いづるんなら、いっぽくんよりうまいに決まってる!(失礼)
痛感したのは、「正塚芝居」であるということだった。
某理事長だの古狸作家だのの作品とちがい、正塚作品は「地味」であり「ナチュラル」である。
主役登場、ジャ・ジャーン!! なんていう手法を取らない。主役だけ不自然な超絶豪華な衣装を着ていたりしない。
群衆が歩き回るなかに、主役たちもまざる。もちろん、周囲と同じレベルの服装しかしない。
「スター」とは、群衆のなかであっても、同じ服であっても、光り輝かなければならない存在なのだ。
理事長作品ではわからない、その生徒自身が持つ「華」がむきだしになる。
それが、正塚作品なんだ。
いづるん……。
演技は、いっぽくんよりうまいよ。ディディエという書き込み不足で半端な役を、それでもよく演じていたよ。心の動きが見えて、納得できる人物像になっているよ。
だけどね。
君は……「スター」では、ないんだね……。
思い知らされた。
群衆シーンになると、いづるんはどこにいるのか、わからなくなる。ちゃんとライトはあたっているのに。
いっぽくんを思う。たしかに、彼はへたっぴだ。花組にいたときから、「あちゃー」な下手さだ。だが、彼には「華」がある。群衆のなかで、「あそこにスターがいる」とわからせる光がある。輝きがある。
そっか……いづるんが新公主役できない意味が、よーっくわかったよ……かなしいけど。
いづるんは光より影、太陽より月の魅力を持つ男役。その魅力を大切に、耽美キャラのままでいてくれ。男役を惑わせる、妖しい男役でいてくれ。
その、本来の「華」がむきだしになる正塚芝居。
主役ふたりの「華」の、あでやかなこと!
舞台が暗かろうが、地味だろうが、群衆のなかだろうが、関係ナシ。そこが中心、彼らが主役、彼らがスター。
底上げナシの「華」が開花しているのが見える。
同じ役に見えません。
つーか、同じ作品に見えないっていうか。
なんなんだろう、この力強さは。
キムもとなみも、「タカラヅカ」だと思った。スター中心のピラミッドの頂点に立つ力。劇団員全員でそのピラミッドを作り、維持し、もてはやす、その特殊な世界の図式を、キムととなみのふたりに改めて気づかされたというか。
やっぱタカラヅカっちゅーのは、スターあってのもんなんだよなあ。実力より華だよなあ。しかも、キムととなみも実力もあるからなあ。
このふたりの時代になるときが、たのしみだ。素直にそう思えたよ。
わたしは本役のコム姫が、正塚の美学を正しく表現しているとは思えない。あんなもんぢゃねえ、と思っている。
だが、新公のキムはさらに、別モノだ。
それでも最初は、正塚らしく演じようとしていたように見えた。だからなんとなく、おさまりが悪い。無理をしている感じ。
ところが、途中からどんどん彼は変化していく。
抑えていた「華」があふれ出てくる感じ。
ラストまで行くと、もー開き直りか?
別モン上等! かかってきな! 状態。
正塚が描きたかった「ヴァンサン」という男はどこにもいない、「タカラヅカのスター、キム」がそこにいた。
ラストの銀橋の歌はどうだ、観客まで味方につけて、今までと温度のチガウ拍手のなかで「新しいヴァンサン」として爽快に笑ってやがったぞ?!
1時間半の芝居の中で、キャラクターがここまで変化するなんて……えらいもん見たなー。
となみちゃんはひたすら、美しい。まさしく王女様。威厳がありすぎる気はするが、市井の小娘にしか見えないよりはるかにマシさ。
正真正銘の姫役者なんだなと思う。最近のヅカでは希少な存在。保護せよ保護。
凛とした風情が、感情移入を加速させる。わたしたちが「見たい」と思えるよーなお姫様だから。
とにかく、「立っているだけでお姫様」に見える、ってのは、得難い才能だよ。
……主役ふたりに関しては、明日から本公演に立っていてくれても、わたしはぜんぜんかまわないぞ……。(小さな声)
だってコム姫は光より影、太陽より月の魅力を持つ男役。影より光、月より太陽のキムとは持ち味逆じゃん。だから好きなのにさー。
つーかもともと、真ん中に立つタイプでは……ゲフンゲフン。
ところで、ひじりんってのは、なんであの位置にいるんですかねえ。
前回の新公でも、そのへたっぴさにおどろかせてもらったんだけど、今回もまた、ひとり群を抜いて下手なんですが。
華があるようでもなく、とりたてて美しいわけでもなく……何故あの役なの?
スタイルはいいけどさー。それだけであれほどの扱いが続いている、というのはわたしには理解不能。
小天狗くらまちゃんはかわいいなあ、元気だなあ。きりやんとアサコを足して2で割ったよーな男の子顔に、さわやかな華。目がいくわー。
舞咲りんちゃん、WHITEちゃんとふたりでひそかにファンしてるんだけど、ほんと横顔に特徴ありすぎ(笑)。正面からと横からの、ビジュアルのギャップにいつも息をのむ。
あとはひたすら、真波そらくんの美しさに見とれていました。
うおー、なんて美しいんだー。
台詞がねーから、演技力はぜんぜんわかんないけど、それにしたってかっこいいぞーっ。
目の保養だ、寿命が延びるぞー。
「チケットを譲ってくれたキムファンのココちゃんに、感想を言う約束してるんだけど……どう言えばいいのか、わからないよ」
と、キティちゃんはわめく。
「ふつーに言えばいいじゃない。キムちゃん、よかったよ、って」
「だって、ココちゃんはコムのファンでもあるのよっ?! コムを悪く言わずに、キムを誉めるなんてできないわ! キムの方がよかった、としか言えないのに!」
「……だから、コムのことはなにも言わず、キムを誉めればいいんだってば」
「だから、そんなことできないって! キムの方がよかったんだから!」
比較系でしか、感想って言えないものだっけ? そりゃわたしも、比較してモノを語るけどさー。
大体、「いい」「悪い」は好きずきだから。どちらの方が、と言ってもそれは、あくまでも個人の主観の問題。コム姫の方がよくて、キムなんか最悪!な人たちもたくさんいるんだろーから、相手を傷つける目的でなく「自分の意見」として言う分にはべつに、いいんじゃないかと思うが……。
さて、キティちゃんは無事にココちゃんに感想を伝えられたのかしら。
配役発表までは、期待していたんだよ。
いづるん主役、いづるん主役、1回ぐらいは頼むよ、劇団! キムにはまだ来年があるじゃないか、いづるんに1回ぐらい主役をさせてやってくれえええ。
…………配役発表で、ヘコみました。
結局、キムか……。
いづるんはなに、樹里ちゃんの役? あれ、チガウ。
んじゃ、カシゲか。あれ、チガウ。
ええっ、どこよいづるん!!
……いっぽくんの、役?
ここまで落ちるの? 劇団はいづるんをその程度にしか思ってないってことよね。しょぼん。
ところが、本公演を観て、希望ができた。
だっていっぽくんの役って、本来なら樹里ちゃんがやっていそうな、2番手格の役じゃん!
いっぽくんのディディエに失望した瞬間から、希望は新公になった。
いづるんなら、いっぽくんよりうまいに決まってる!(失礼)
痛感したのは、「正塚芝居」であるということだった。
某理事長だの古狸作家だのの作品とちがい、正塚作品は「地味」であり「ナチュラル」である。
主役登場、ジャ・ジャーン!! なんていう手法を取らない。主役だけ不自然な超絶豪華な衣装を着ていたりしない。
群衆が歩き回るなかに、主役たちもまざる。もちろん、周囲と同じレベルの服装しかしない。
「スター」とは、群衆のなかであっても、同じ服であっても、光り輝かなければならない存在なのだ。
理事長作品ではわからない、その生徒自身が持つ「華」がむきだしになる。
それが、正塚作品なんだ。
いづるん……。
演技は、いっぽくんよりうまいよ。ディディエという書き込み不足で半端な役を、それでもよく演じていたよ。心の動きが見えて、納得できる人物像になっているよ。
だけどね。
君は……「スター」では、ないんだね……。
思い知らされた。
群衆シーンになると、いづるんはどこにいるのか、わからなくなる。ちゃんとライトはあたっているのに。
いっぽくんを思う。たしかに、彼はへたっぴだ。花組にいたときから、「あちゃー」な下手さだ。だが、彼には「華」がある。群衆のなかで、「あそこにスターがいる」とわからせる光がある。輝きがある。
そっか……いづるんが新公主役できない意味が、よーっくわかったよ……かなしいけど。
いづるんは光より影、太陽より月の魅力を持つ男役。その魅力を大切に、耽美キャラのままでいてくれ。男役を惑わせる、妖しい男役でいてくれ。
その、本来の「華」がむきだしになる正塚芝居。
主役ふたりの「華」の、あでやかなこと!
舞台が暗かろうが、地味だろうが、群衆のなかだろうが、関係ナシ。そこが中心、彼らが主役、彼らがスター。
底上げナシの「華」が開花しているのが見える。
同じ役に見えません。
つーか、同じ作品に見えないっていうか。
なんなんだろう、この力強さは。
キムもとなみも、「タカラヅカ」だと思った。スター中心のピラミッドの頂点に立つ力。劇団員全員でそのピラミッドを作り、維持し、もてはやす、その特殊な世界の図式を、キムととなみのふたりに改めて気づかされたというか。
やっぱタカラヅカっちゅーのは、スターあってのもんなんだよなあ。実力より華だよなあ。しかも、キムととなみも実力もあるからなあ。
このふたりの時代になるときが、たのしみだ。素直にそう思えたよ。
わたしは本役のコム姫が、正塚の美学を正しく表現しているとは思えない。あんなもんぢゃねえ、と思っている。
だが、新公のキムはさらに、別モノだ。
それでも最初は、正塚らしく演じようとしていたように見えた。だからなんとなく、おさまりが悪い。無理をしている感じ。
ところが、途中からどんどん彼は変化していく。
抑えていた「華」があふれ出てくる感じ。
ラストまで行くと、もー開き直りか?
別モン上等! かかってきな! 状態。
正塚が描きたかった「ヴァンサン」という男はどこにもいない、「タカラヅカのスター、キム」がそこにいた。
ラストの銀橋の歌はどうだ、観客まで味方につけて、今までと温度のチガウ拍手のなかで「新しいヴァンサン」として爽快に笑ってやがったぞ?!
1時間半の芝居の中で、キャラクターがここまで変化するなんて……えらいもん見たなー。
となみちゃんはひたすら、美しい。まさしく王女様。威厳がありすぎる気はするが、市井の小娘にしか見えないよりはるかにマシさ。
正真正銘の姫役者なんだなと思う。最近のヅカでは希少な存在。保護せよ保護。
凛とした風情が、感情移入を加速させる。わたしたちが「見たい」と思えるよーなお姫様だから。
とにかく、「立っているだけでお姫様」に見える、ってのは、得難い才能だよ。
……主役ふたりに関しては、明日から本公演に立っていてくれても、わたしはぜんぜんかまわないぞ……。(小さな声)
だってコム姫は光より影、太陽より月の魅力を持つ男役。影より光、月より太陽のキムとは持ち味逆じゃん。だから好きなのにさー。
つーかもともと、真ん中に立つタイプでは……ゲフンゲフン。
ところで、ひじりんってのは、なんであの位置にいるんですかねえ。
前回の新公でも、そのへたっぴさにおどろかせてもらったんだけど、今回もまた、ひとり群を抜いて下手なんですが。
華があるようでもなく、とりたてて美しいわけでもなく……何故あの役なの?
スタイルはいいけどさー。それだけであれほどの扱いが続いている、というのはわたしには理解不能。
小天狗くらまちゃんはかわいいなあ、元気だなあ。きりやんとアサコを足して2で割ったよーな男の子顔に、さわやかな華。目がいくわー。
舞咲りんちゃん、WHITEちゃんとふたりでひそかにファンしてるんだけど、ほんと横顔に特徴ありすぎ(笑)。正面からと横からの、ビジュアルのギャップにいつも息をのむ。
あとはひたすら、真波そらくんの美しさに見とれていました。
うおー、なんて美しいんだー。
台詞がねーから、演技力はぜんぜんわかんないけど、それにしたってかっこいいぞーっ。
目の保養だ、寿命が延びるぞー。
「チケットを譲ってくれたキムファンのココちゃんに、感想を言う約束してるんだけど……どう言えばいいのか、わからないよ」
と、キティちゃんはわめく。
「ふつーに言えばいいじゃない。キムちゃん、よかったよ、って」
「だって、ココちゃんはコムのファンでもあるのよっ?! コムを悪く言わずに、キムを誉めるなんてできないわ! キムの方がよかった、としか言えないのに!」
「……だから、コムのことはなにも言わず、キムを誉めればいいんだってば」
「だから、そんなことできないって! キムの方がよかったんだから!」
比較系でしか、感想って言えないものだっけ? そりゃわたしも、比較してモノを語るけどさー。
大体、「いい」「悪い」は好きずきだから。どちらの方が、と言ってもそれは、あくまでも個人の主観の問題。コム姫の方がよくて、キムなんか最悪!な人たちもたくさんいるんだろーから、相手を傷つける目的でなく「自分の意見」として言う分にはべつに、いいんじゃないかと思うが……。
さて、キティちゃんは無事にココちゃんに感想を伝えられたのかしら。
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