絶望しないために。@Romance de Paris
2003年8月25日 タカラヅカ 物語は、3つのことが同時進行している。
クーデター。
ヴァンサンとナディアの恋
ヴァンサン家のお家騒動
『Romance de Paris』をこの3つの視点でそれぞれ再構築してみる。
正塚的「自分探し」で男のロマンなのは、ヴァンサン家のお家騒動だろうなあ。
父役に専科の実力派の力を借り、ヴァンサン、ディディエ、パトリシアの人間関係をねーっとり描く。
ヴァンサンの出生、異母姉パトリシアとの関係、ディディエとの確執。クラブ経営者と会社社長、立場のちがいとそこに至る問題、葛藤。
もちろん、クーデターとナディアとの恋も絡めるのよ。ディディエが将軍一派に肩入れしていたという筋は変わらないわけだから。
ディディエへの反抗心、亡き父の意志の尊重からナディアを匿うヴァンサン。最初はただのコマとしか考えてなかったナディアに、次第に惹かれていくの。生まれたときから「王女」としての責任を負い、真摯に生きる彼女に自分の人生を省みる。そして彼は成長するのよ。男として、人間として。
この物語が本筋なら、クライマックスはヴァンサンとディディエの対決でかまわない。この一連の事件で成長したからこそ、ディディエと対決することができるよーになったのさ。
じつはいちばん観たかった物語だわ。あ、もちろんディディエはじゅりちゃんでお願い。
これこそ正塚! みたいな物語ができたと思うから。……バウホール向きの作品になったろうけど。
大劇場向きというなら、クーデター中心。
敵の将軍は専科のおじさま。敵側の動きもちゃんと描き、エンタメに徹する。王女だとかクーデターだとか、ふつーに生きている一般市民がぴんとこないような異世界と、それに対峙する、パリの酒場のオーナーでしかないヴァンサン。敵が大きければ大きいほど、エンタメ的には盛り上がるでしょう。
キーパーソンはラシッド。はじめは敵、だけどじつは味方、という筋立ては変わらず。だが本舞台のよーに口先だけで「じつはいい人なんだよ」で終わらせず、彼がなにを考えどう行動するのかを明確にする。
一般人でしかないヴァンサンが巨悪と戦うなんていう「非日常」に足をつっこんでしまったってことで、彼の男の美学や自分探しを表現してください。ネタとしては十分過ぎるだろう。
そこにディディエを軽く絡め、ナディアとはちゃんと恋をすること。
クライマックスはクーデター解決シーン。武装した兵士たちと対峙するくらい派手にやれ。「1日だけのデート」はいらん。
タカラヅカ的に行くなら、ナディアとの恋を中心に描く。
ヴァンサンがクーデターに関わる理由は、ずはり恋。ナディアを愛したから、彼女を匿う。父が死んだとかなんとかはいらん。ディディエ絡みの話は縮小。
恋ゆえにヴァンサンは、しがない酒場のオーナーでしかない身で、巨悪と戦うのさ。その過程で、ふたりの恋がじれったく展開していく。甘あまになる必要はない。正塚だからな。ヴァンサンにはあくまでも「やせ我慢の美学」(ハードボイルドとも言う)を徹してもらおう。障害だらけの恋をすることで、得意の「自分探し」をしてくれよ。
クライマックスはもちろんクーデター解決シーン。ナディアをかばって撃たれるぐらいしろ。もちろん死んじゃダメだぞ、かすり傷だ(笑)。そして「1日だけのデート」をするんだ、ただし短く。
ふたりの恋が段階を踏んで盛り上がっているならば、「別れを前提とした関係」、「1日だけのデート」が短くてもせつなさを盛り上げるはずだ。だらだらやる必要ナシ。
と。
いろいろ考えたよ。
この失敗作をもとに、3つのバージョンで物語が作れるじゃん。
話の流れは全部同じだし、キャラも同じよ?
それでもこれだけチガウものが作れるんじゃん。
つまりそれくらい、中途半端で失敗してるんじゃん。
じれったいなあ。
つらつらと考えちゃったよ。
とりあえず言えることは、「恋を明確にしろ」「クライマックスを作れ」のふたつかな。
この作品が失敗しているのは単純に、「物語としての組み立てが間違っている」せいだから。
1から作り直すのがいちばんいいんだけど、このまま使うとしたらせめて、「恋」と「クライマックス」だけを補強すればまだなんとかなると思うんだ。
ヴァンサンがナディアに恋しているんだということを、描こうよ。危険な事件に自ら関わる理由は「恋」だって明確にしようよ。
一目惚れしろとは言わない。それは正塚の矜持に関わるんだろう。どーゆー矜持かわからんけども。
最初は気づいてなくても、無意識に恋に落ちていることにすればいいじゃん。支配人@ハマコとかに止められるのを振り切ってナディアを匿い、「なんで俺、こんなやっかいなことに関わってるんだ?」とつぶやかせるとか。クールなキャラのままで、できるはずだよ。
とんでもないことなのに、それでもなお、やっているんだと強調するんだ。彼の勇気と頭の良さと、かっこよさと、そして愛の強さを示せ。
そしてあちこちで、ナディアとヴァンサンの気持ちを表現するんだ。見つめ合うでもよし、指が触れてはっとするでもよし、ベタでかまわないから、ふたりの気持ちが近づいていることを表せ。
遊び相手の女たちといるところを目撃され、ナディアを怒らせてしまって、あわててみたり。そして「今まで複数の女たちが鉢合わせをしたって平気だったのに、何故俺は……」てなシーンがあると、個人的には萌えだわ。つーか、こーゆー使い方しないと、最初の遊び相手の女たちの登場シーン、不必要でしょうが。
クーデターが解決したら、わたしたちお別れね、とか、星空をバックにナディアにせつなげにつぶやかせろ。そこでもクール(というか本当の恋をしたことがないからまだ自覚に至っていない)ヴァンサンは、彼女につれない態度を取るのさ。
クライマックスを作ろうよ。盛り上げようよ。それまでが多少タルくても、このシーンのこの感動だけで全部帳消し!なくらいの派手なシーンを一発作ろうよ。
安全なパリのオフィスで、いかにも頭の悪そうなディディエ(いっぽくん……泣)を問いつめて終わり、なんていうアホなシーンがクライマックスなわけないじゃん。
クライマックスといえば、クーデターでしょう。暴力で権力を得ようとする悪者に、正義の鉄槌を下すシーンでしょう。
そのいちばんおいしい、クーデター解決シーンに主役たちを全員絡ませろ。
これはもー、絶対条件。
盛り上がること必至の出来事なのよ? 盛り上がらない方が変、てな出来事よ? なんで使わなかったのかわからん。
舞台がパリでないとイカンというなら、ヴァンサンの店に罠を張ることにして、ナディアを暴力で捕らえに来た将軍一派を、テレビで生中継しちゃえ。そこでナディアに平和の歌でも歌わせて、ついでにその場にいるみんなで合唱しちゃえ。
んで、いちばんいいところは主役が持って行かなきゃイカンから、ヴァンサンが前に出て、将軍一派のこの暴挙を今世界中が見ていることを、かっこよく宣言するのよ。
そして絶妙のタイミングで、テレビ局の人間が叫ぶ。本国の方でもラシッド@じゅりちゃんの活躍により、将軍が捕らえられ、国王が無事解放されたと。ディディエもこのときヴァンサンの店にいて、がっくり膝をつくぐらいやればいい。パトリシアがそれでも彼に寄り添うことで、ふたりの立場も関係もクリアできる。
こうしてハッピーエンド、みんな大喜び。……だけど何故か、主役ふたりだけはせつない……目だけで語り合うふたりは、こっそりと「1日だけのデート」をする。
この「1日だけのデート」は、短くていい。長くするなら、物語に絡ませろ。
将軍一派の残党が襲ってくるぐらいの事件を起こせ。
目の前で彼女が襲われてはじめて、ヴァンサンが自分の気持ちに気づくのでもいいさ。
もちろんナディアは無事で、ふたりは『ローマの休日』のやうな別れを迎える、と。
自分探しもやせ我慢も、男は背中で語る、も、「恋」と「クライマックス」を正しく盛り上げても表現できると思うけどねえ。
なんで物語としての根幹を壊してまで、中途半端にいろいろやって、あげくすべてをぶち壊しているんだ?
もちろん、正塚先生のセンスは好きだ。
ダンスではじまるプロローグ、通行人のひとりひとりまでもが人生を感じさせる群衆のシーン(ワンパターンだけどな・笑)だとかは好きさ。華美にならないけれど美しい服装(ヒロインの服はすでにワンパターンだが・笑)も好きさ。彼の永遠のテーマ「自分探し」も、ナルシシズムだけでできあがったよーなつぶやき系の物語スタンスも好きさ。
しかし、「ストーリーを組み立てる」能力が欠如してきているよね? ここ数年。わざと? ヅカなんか、ヅカファンなんかバカだから、壊れた物語でもスターさえかっこよければ、主役カップルのラヴラヴいちゃいちゃシーンがあれば構成のめちゃくちゃさなんか気づかないだろ、って思ってる? 植田や谷の作品でもまかり通るんだから、自分が本気で仕事しなくてもあのレベルは作れるんだから文句ないだろ、とか?
創作者としての正塚の再起を願う。心から、のぞむ。
結局わたしは、絶望したくないんだよ。
クーデター。
ヴァンサンとナディアの恋
ヴァンサン家のお家騒動
『Romance de Paris』をこの3つの視点でそれぞれ再構築してみる。
正塚的「自分探し」で男のロマンなのは、ヴァンサン家のお家騒動だろうなあ。
父役に専科の実力派の力を借り、ヴァンサン、ディディエ、パトリシアの人間関係をねーっとり描く。
ヴァンサンの出生、異母姉パトリシアとの関係、ディディエとの確執。クラブ経営者と会社社長、立場のちがいとそこに至る問題、葛藤。
もちろん、クーデターとナディアとの恋も絡めるのよ。ディディエが将軍一派に肩入れしていたという筋は変わらないわけだから。
ディディエへの反抗心、亡き父の意志の尊重からナディアを匿うヴァンサン。最初はただのコマとしか考えてなかったナディアに、次第に惹かれていくの。生まれたときから「王女」としての責任を負い、真摯に生きる彼女に自分の人生を省みる。そして彼は成長するのよ。男として、人間として。
この物語が本筋なら、クライマックスはヴァンサンとディディエの対決でかまわない。この一連の事件で成長したからこそ、ディディエと対決することができるよーになったのさ。
じつはいちばん観たかった物語だわ。あ、もちろんディディエはじゅりちゃんでお願い。
これこそ正塚! みたいな物語ができたと思うから。……バウホール向きの作品になったろうけど。
大劇場向きというなら、クーデター中心。
敵の将軍は専科のおじさま。敵側の動きもちゃんと描き、エンタメに徹する。王女だとかクーデターだとか、ふつーに生きている一般市民がぴんとこないような異世界と、それに対峙する、パリの酒場のオーナーでしかないヴァンサン。敵が大きければ大きいほど、エンタメ的には盛り上がるでしょう。
キーパーソンはラシッド。はじめは敵、だけどじつは味方、という筋立ては変わらず。だが本舞台のよーに口先だけで「じつはいい人なんだよ」で終わらせず、彼がなにを考えどう行動するのかを明確にする。
一般人でしかないヴァンサンが巨悪と戦うなんていう「非日常」に足をつっこんでしまったってことで、彼の男の美学や自分探しを表現してください。ネタとしては十分過ぎるだろう。
そこにディディエを軽く絡め、ナディアとはちゃんと恋をすること。
クライマックスはクーデター解決シーン。武装した兵士たちと対峙するくらい派手にやれ。「1日だけのデート」はいらん。
タカラヅカ的に行くなら、ナディアとの恋を中心に描く。
ヴァンサンがクーデターに関わる理由は、ずはり恋。ナディアを愛したから、彼女を匿う。父が死んだとかなんとかはいらん。ディディエ絡みの話は縮小。
恋ゆえにヴァンサンは、しがない酒場のオーナーでしかない身で、巨悪と戦うのさ。その過程で、ふたりの恋がじれったく展開していく。甘あまになる必要はない。正塚だからな。ヴァンサンにはあくまでも「やせ我慢の美学」(ハードボイルドとも言う)を徹してもらおう。障害だらけの恋をすることで、得意の「自分探し」をしてくれよ。
クライマックスはもちろんクーデター解決シーン。ナディアをかばって撃たれるぐらいしろ。もちろん死んじゃダメだぞ、かすり傷だ(笑)。そして「1日だけのデート」をするんだ、ただし短く。
ふたりの恋が段階を踏んで盛り上がっているならば、「別れを前提とした関係」、「1日だけのデート」が短くてもせつなさを盛り上げるはずだ。だらだらやる必要ナシ。
と。
いろいろ考えたよ。
この失敗作をもとに、3つのバージョンで物語が作れるじゃん。
話の流れは全部同じだし、キャラも同じよ?
それでもこれだけチガウものが作れるんじゃん。
つまりそれくらい、中途半端で失敗してるんじゃん。
じれったいなあ。
つらつらと考えちゃったよ。
とりあえず言えることは、「恋を明確にしろ」「クライマックスを作れ」のふたつかな。
この作品が失敗しているのは単純に、「物語としての組み立てが間違っている」せいだから。
1から作り直すのがいちばんいいんだけど、このまま使うとしたらせめて、「恋」と「クライマックス」だけを補強すればまだなんとかなると思うんだ。
ヴァンサンがナディアに恋しているんだということを、描こうよ。危険な事件に自ら関わる理由は「恋」だって明確にしようよ。
一目惚れしろとは言わない。それは正塚の矜持に関わるんだろう。どーゆー矜持かわからんけども。
最初は気づいてなくても、無意識に恋に落ちていることにすればいいじゃん。支配人@ハマコとかに止められるのを振り切ってナディアを匿い、「なんで俺、こんなやっかいなことに関わってるんだ?」とつぶやかせるとか。クールなキャラのままで、できるはずだよ。
とんでもないことなのに、それでもなお、やっているんだと強調するんだ。彼の勇気と頭の良さと、かっこよさと、そして愛の強さを示せ。
そしてあちこちで、ナディアとヴァンサンの気持ちを表現するんだ。見つめ合うでもよし、指が触れてはっとするでもよし、ベタでかまわないから、ふたりの気持ちが近づいていることを表せ。
遊び相手の女たちといるところを目撃され、ナディアを怒らせてしまって、あわててみたり。そして「今まで複数の女たちが鉢合わせをしたって平気だったのに、何故俺は……」てなシーンがあると、個人的には萌えだわ。つーか、こーゆー使い方しないと、最初の遊び相手の女たちの登場シーン、不必要でしょうが。
クーデターが解決したら、わたしたちお別れね、とか、星空をバックにナディアにせつなげにつぶやかせろ。そこでもクール(というか本当の恋をしたことがないからまだ自覚に至っていない)ヴァンサンは、彼女につれない態度を取るのさ。
クライマックスを作ろうよ。盛り上げようよ。それまでが多少タルくても、このシーンのこの感動だけで全部帳消し!なくらいの派手なシーンを一発作ろうよ。
安全なパリのオフィスで、いかにも頭の悪そうなディディエ(いっぽくん……泣)を問いつめて終わり、なんていうアホなシーンがクライマックスなわけないじゃん。
クライマックスといえば、クーデターでしょう。暴力で権力を得ようとする悪者に、正義の鉄槌を下すシーンでしょう。
そのいちばんおいしい、クーデター解決シーンに主役たちを全員絡ませろ。
これはもー、絶対条件。
盛り上がること必至の出来事なのよ? 盛り上がらない方が変、てな出来事よ? なんで使わなかったのかわからん。
舞台がパリでないとイカンというなら、ヴァンサンの店に罠を張ることにして、ナディアを暴力で捕らえに来た将軍一派を、テレビで生中継しちゃえ。そこでナディアに平和の歌でも歌わせて、ついでにその場にいるみんなで合唱しちゃえ。
んで、いちばんいいところは主役が持って行かなきゃイカンから、ヴァンサンが前に出て、将軍一派のこの暴挙を今世界中が見ていることを、かっこよく宣言するのよ。
そして絶妙のタイミングで、テレビ局の人間が叫ぶ。本国の方でもラシッド@じゅりちゃんの活躍により、将軍が捕らえられ、国王が無事解放されたと。ディディエもこのときヴァンサンの店にいて、がっくり膝をつくぐらいやればいい。パトリシアがそれでも彼に寄り添うことで、ふたりの立場も関係もクリアできる。
こうしてハッピーエンド、みんな大喜び。……だけど何故か、主役ふたりだけはせつない……目だけで語り合うふたりは、こっそりと「1日だけのデート」をする。
この「1日だけのデート」は、短くていい。長くするなら、物語に絡ませろ。
将軍一派の残党が襲ってくるぐらいの事件を起こせ。
目の前で彼女が襲われてはじめて、ヴァンサンが自分の気持ちに気づくのでもいいさ。
もちろんナディアは無事で、ふたりは『ローマの休日』のやうな別れを迎える、と。
自分探しもやせ我慢も、男は背中で語る、も、「恋」と「クライマックス」を正しく盛り上げても表現できると思うけどねえ。
なんで物語としての根幹を壊してまで、中途半端にいろいろやって、あげくすべてをぶち壊しているんだ?
もちろん、正塚先生のセンスは好きだ。
ダンスではじまるプロローグ、通行人のひとりひとりまでもが人生を感じさせる群衆のシーン(ワンパターンだけどな・笑)だとかは好きさ。華美にならないけれど美しい服装(ヒロインの服はすでにワンパターンだが・笑)も好きさ。彼の永遠のテーマ「自分探し」も、ナルシシズムだけでできあがったよーなつぶやき系の物語スタンスも好きさ。
しかし、「ストーリーを組み立てる」能力が欠如してきているよね? ここ数年。わざと? ヅカなんか、ヅカファンなんかバカだから、壊れた物語でもスターさえかっこよければ、主役カップルのラヴラヴいちゃいちゃシーンがあれば構成のめちゃくちゃさなんか気づかないだろ、って思ってる? 植田や谷の作品でもまかり通るんだから、自分が本気で仕事しなくてもあのレベルは作れるんだから文句ないだろ、とか?
創作者としての正塚の再起を願う。心から、のぞむ。
結局わたしは、絶望したくないんだよ。
コメント