ひねくれてる?@ザ・ビッグ・ワン
2003年8月20日 映画 マイケル・ムーア監督の日本未公開ドキュメンタリー『ザ・ビッグ・ワン』の試写会に行って来ました。
アタマのよくないわたしは、アカデミー賞受賞作『ボウリング・フォー・コロンバイン』も世間での評価ほど、たのしめなかったクチなんですけど。
なんせわたし、アメリカ人じゃないんで。立ち位置がチガウもんで、完全理解や感情移入にはいろいろハードルがあってねー。努力してハードルを越えたいとも思わなかったし。
だからまあ、単なる興味本位。俗な人間だから、こーゆータイプの映画を「見た」と言うと、ちょっとアタマよさげに聞こえるかしら、なんてな。
まー、俗物ぅ(笑)。
んで、『ザ・ビッグ・ワン』。
ひとことで言うと、巨大企業告発ドキュメンタリー。
利潤だけを追求し、社員は使い捨て。弱い人々は泣き寝入り。そーゆー悪の大企業に恒例のアポなし取材で突撃。最大の見所は、VSナイキ社。
監督・脚本・主演マイケル・ムーア。
たのしく見ました。
『ボウリング・フォー・コロンバイン』とちがって、企業モノだから、ちゃんと見ることができましたよ。
自分に関係ないことでも、自分の生きてきた社会にある価値観をベースにした問題なら、理解できる。
好みかどうかは別として。
たのしませるドキュメンタリー、というスタンスはすごい。
このテンポのよさと、緻密に計算された構成。
社会問題のドキュメンタリーなんか、ふつーおもしろくないから、見る気にもならないもんだが、そーゆー人たちをもたのしませて、「オレの懐に取り込んでやるぜ!」な気合いをばんばん感じる。
才能のある人なんだなあ、と思う。
自分の言いたいことを、自分の顔と名前で堂々と叫び、さらにそれをネタにして、「作品」として昇華する。なんと複合的な才能かしら。
自分の主義主張を声に出す、ってだけでも、希有な才能のひとつだと思うんだけどな。
ただ主張するだけでなく、それで他人の共感を呼び、しかもたのしませる。という、エンターテイナーとしての才能。
そのライヴを映像に治め、編集し、さらに主張をクリアに、エンタメとしての魅力を加え「作品」にする才能。
これだけ複数の才能を、すべて持っているわけだねえ。
才能ってのは、正しい場所にたどり着くもんなんだな、とわたしはよく感心する。
その最たるものが、荻田浩一。
よくぞこの人、タカラヅカの演出家になったなあ、と。
無数にあるカルチャーの中で、よりによってヅカの演出家になるなんて。
ヅカは彼の才能をもっとも発揮できるジャンルのひとつであると思うが、ふつーの青年はここにはたどり着かないだろう。もっとメジャーで、ふつーの若者が知っているジャンルに行くんじゃないか?
才能は、正しい場所にたどり着く。
あるべきものは、あるべき場所へ。
それこそが才能、天から授かった能力なんだと思うよ。
そーゆーことを思った。
マイケル・ムーア作品を見ながら。
しかし、わたしはやはり、ドキュメンタリーは苦手だなあ。
「真実」の部分と、それを「作品」にするうえでの「演出」の部分を、必死に分析して見ている。……だから、疲れる。
たくさんある「真実」のうちの、ほんの「一部分」だけを「演出」を加えて見せられているわけだから、それをそのまま信じることができない。
裏の部分を考える。
切り捨てられたモノはなにか、作者の思惑はなにか、計算はなにか、騙されないぞ騙されないぞ、そんな気持ちで見てしまう。
……ひねくれモノっすか、わたし?
『プロジェクトX』を泣きながら見るけれど、その反面「で、真実はどうなのよ?」とか思ってるしな。
「敵」として「悪」として描かれる側の「言い分」を考えてしまう。
わたしは「絶対悪」を信じられない。
虐げられる善人たちに涙する反面、加害者たちのそうせざるを得ない事情などに、想像の翼をはばたかせてしまう。
素直に、悪と戦うマイケル・ムーアに同調できない。
マイケル・ムーアにシンクロできたら、最高に痛快なんだろうけどなあ。
どこに行っても人気者で、サイン会やって講演会やって、ファンにきゃーきゃー言われて、そして弱い人たちのために巨悪と戦って、その戦う姿を映画にしてさらに富と名誉を得るわけだからなー(ついでに敵も多く作ってるんだろーけど、それは映画には出てこない)。
彼を「MY ヒーロー」だと思って見られたら、たのしいだろうなあ。
おもしろい作品だと思うけど。
やっぱり苦手だ。
でも、無視できない。
苦手だと言いながら、またなにかあったら見てるよーな気がする。
やっぱ才能あるひとの作品ってのは、好みを超えて惹きつける力があるからなー。
☆
映画のあと、ごはんを食べながらWHITEちゃんとトシの話をしていた。
いや、うちの父はもう少し若いころ、一回りトシをごまかしていたんだよ。
一回りだよ? 12歳ごまかして生きていたの。
もちろん、女たちにちやほやされたくて。
自分より年下の女たちに「年下の男」として甘やかされるのがたのしかったらしい。……女好きめ。
父に言わせると、3つとか5つとか半端にごまかすと、干支の話題でボロが出るからよくないんだって。それならいっそ一回りごまかしちゃえば、問題なしってことで。
そして父は、一回りごまかしてもばれない男だった……。
んで、うちの弟。
某店に1日だけ助っ人として借り出されたらしい。その店は社員もネクタイ禁止、カジュアルな服装で接客がルール。
とゆーことで弟はジーンズにシャツという、まったくの普段着で出勤した。
その話を、深夜のファミレスでパフェを食いながら(甘いモノが苦手なわたしが何故。……半分は甘党の弟の腹に収まった)聞いたのさ、昨夜。
「……ひょっとして、学生バイトにまちがえられたんじゃないの、アンタ」
わたしがそう言うと、弟はそれには答えずニヤリと笑い、
「トシを言ったら、店にいた全員に叫ばれた」
とだけ答えた。
……やはり、学生にまちがえられたな、こいつ。今年で33だとは、誰も思うまいよ。
弟もまちがいなく、一回りトシをごまかして生きていけるヤツだ。父のDNAは正しく受け継がれている。
「あたしもこの間、高校生にまちがえられたけどな」
と、WHITEちゃん。
そう、彼女もまた一回りごまかして生きていける女。
わたしの周りには、年齢不詳の連中が多い。
わたしが年相応に見える分、彼らの「若さ」とのギャップが痛いぞ(笑)。
「ところでWHITEちゃん」
わたしはさらに、トシの話をする。
「ケロがまだ20代だって知ってた?」
「え?!」
固まるWHITEちゃん。
彼女はぼーぜんとつぶやく。
「あたしより年上だと思ってた……」
年齢ミラクル(笑)。
アタマのよくないわたしは、アカデミー賞受賞作『ボウリング・フォー・コロンバイン』も世間での評価ほど、たのしめなかったクチなんですけど。
なんせわたし、アメリカ人じゃないんで。立ち位置がチガウもんで、完全理解や感情移入にはいろいろハードルがあってねー。努力してハードルを越えたいとも思わなかったし。
だからまあ、単なる興味本位。俗な人間だから、こーゆータイプの映画を「見た」と言うと、ちょっとアタマよさげに聞こえるかしら、なんてな。
まー、俗物ぅ(笑)。
んで、『ザ・ビッグ・ワン』。
ひとことで言うと、巨大企業告発ドキュメンタリー。
利潤だけを追求し、社員は使い捨て。弱い人々は泣き寝入り。そーゆー悪の大企業に恒例のアポなし取材で突撃。最大の見所は、VSナイキ社。
監督・脚本・主演マイケル・ムーア。
たのしく見ました。
『ボウリング・フォー・コロンバイン』とちがって、企業モノだから、ちゃんと見ることができましたよ。
自分に関係ないことでも、自分の生きてきた社会にある価値観をベースにした問題なら、理解できる。
好みかどうかは別として。
たのしませるドキュメンタリー、というスタンスはすごい。
このテンポのよさと、緻密に計算された構成。
社会問題のドキュメンタリーなんか、ふつーおもしろくないから、見る気にもならないもんだが、そーゆー人たちをもたのしませて、「オレの懐に取り込んでやるぜ!」な気合いをばんばん感じる。
才能のある人なんだなあ、と思う。
自分の言いたいことを、自分の顔と名前で堂々と叫び、さらにそれをネタにして、「作品」として昇華する。なんと複合的な才能かしら。
自分の主義主張を声に出す、ってだけでも、希有な才能のひとつだと思うんだけどな。
ただ主張するだけでなく、それで他人の共感を呼び、しかもたのしませる。という、エンターテイナーとしての才能。
そのライヴを映像に治め、編集し、さらに主張をクリアに、エンタメとしての魅力を加え「作品」にする才能。
これだけ複数の才能を、すべて持っているわけだねえ。
才能ってのは、正しい場所にたどり着くもんなんだな、とわたしはよく感心する。
その最たるものが、荻田浩一。
よくぞこの人、タカラヅカの演出家になったなあ、と。
無数にあるカルチャーの中で、よりによってヅカの演出家になるなんて。
ヅカは彼の才能をもっとも発揮できるジャンルのひとつであると思うが、ふつーの青年はここにはたどり着かないだろう。もっとメジャーで、ふつーの若者が知っているジャンルに行くんじゃないか?
才能は、正しい場所にたどり着く。
あるべきものは、あるべき場所へ。
それこそが才能、天から授かった能力なんだと思うよ。
そーゆーことを思った。
マイケル・ムーア作品を見ながら。
しかし、わたしはやはり、ドキュメンタリーは苦手だなあ。
「真実」の部分と、それを「作品」にするうえでの「演出」の部分を、必死に分析して見ている。……だから、疲れる。
たくさんある「真実」のうちの、ほんの「一部分」だけを「演出」を加えて見せられているわけだから、それをそのまま信じることができない。
裏の部分を考える。
切り捨てられたモノはなにか、作者の思惑はなにか、計算はなにか、騙されないぞ騙されないぞ、そんな気持ちで見てしまう。
……ひねくれモノっすか、わたし?
『プロジェクトX』を泣きながら見るけれど、その反面「で、真実はどうなのよ?」とか思ってるしな。
「敵」として「悪」として描かれる側の「言い分」を考えてしまう。
わたしは「絶対悪」を信じられない。
虐げられる善人たちに涙する反面、加害者たちのそうせざるを得ない事情などに、想像の翼をはばたかせてしまう。
素直に、悪と戦うマイケル・ムーアに同調できない。
マイケル・ムーアにシンクロできたら、最高に痛快なんだろうけどなあ。
どこに行っても人気者で、サイン会やって講演会やって、ファンにきゃーきゃー言われて、そして弱い人たちのために巨悪と戦って、その戦う姿を映画にしてさらに富と名誉を得るわけだからなー(ついでに敵も多く作ってるんだろーけど、それは映画には出てこない)。
彼を「MY ヒーロー」だと思って見られたら、たのしいだろうなあ。
おもしろい作品だと思うけど。
やっぱり苦手だ。
でも、無視できない。
苦手だと言いながら、またなにかあったら見てるよーな気がする。
やっぱ才能あるひとの作品ってのは、好みを超えて惹きつける力があるからなー。
☆
映画のあと、ごはんを食べながらWHITEちゃんとトシの話をしていた。
いや、うちの父はもう少し若いころ、一回りトシをごまかしていたんだよ。
一回りだよ? 12歳ごまかして生きていたの。
もちろん、女たちにちやほやされたくて。
自分より年下の女たちに「年下の男」として甘やかされるのがたのしかったらしい。……女好きめ。
父に言わせると、3つとか5つとか半端にごまかすと、干支の話題でボロが出るからよくないんだって。それならいっそ一回りごまかしちゃえば、問題なしってことで。
そして父は、一回りごまかしてもばれない男だった……。
んで、うちの弟。
某店に1日だけ助っ人として借り出されたらしい。その店は社員もネクタイ禁止、カジュアルな服装で接客がルール。
とゆーことで弟はジーンズにシャツという、まったくの普段着で出勤した。
その話を、深夜のファミレスでパフェを食いながら(甘いモノが苦手なわたしが何故。……半分は甘党の弟の腹に収まった)聞いたのさ、昨夜。
「……ひょっとして、学生バイトにまちがえられたんじゃないの、アンタ」
わたしがそう言うと、弟はそれには答えずニヤリと笑い、
「トシを言ったら、店にいた全員に叫ばれた」
とだけ答えた。
……やはり、学生にまちがえられたな、こいつ。今年で33だとは、誰も思うまいよ。
弟もまちがいなく、一回りトシをごまかして生きていけるヤツだ。父のDNAは正しく受け継がれている。
「あたしもこの間、高校生にまちがえられたけどな」
と、WHITEちゃん。
そう、彼女もまた一回りごまかして生きていける女。
わたしの周りには、年齢不詳の連中が多い。
わたしが年相応に見える分、彼らの「若さ」とのギャップが痛いぞ(笑)。
「ところでWHITEちゃん」
わたしはさらに、トシの話をする。
「ケロがまだ20代だって知ってた?」
「え?!」
固まるWHITEちゃん。
彼女はぼーぜんとつぶやく。
「あたしより年上だと思ってた……」
年齢ミラクル(笑)。
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