昨年、あんなに鼻息の荒かった叔母がなにも言ってこない。
「変ね」
と母は言うが、わたしには予想がつく。
叔母にはきっと、連れができたんだよ。だって今年は日曜日だし。
一緒に行く人が他にいれば、わざわざわたしたちを誘いに来たりしないって。
1年に1度のおたのしみ。
淀川花火大会。
叔母がなにも言ってこないので、わたしと母だけで行くことになった。
が。
直前に母に仕事が入り、終わったのが午後7時過ぎ。
花火大会は8時から。
昨年は5時過ぎには出発していたから、2時間も遅い。
こんな時間じゃたぶん、会場にたどり着けない。
……のに、母には通じない。
「時間的に間に合うわ!」
あの、時間だけなら間に合います。電車の時間、歩く時間。
でもな、それはなんの障害もない場合だ。
花火大会開始時刻間際なんて、交通渋滞や規制があって、進むに進めないに決まってんじゃん。
日本語の通じない母に噛み砕いて説明したけれど、自分の聞きたいことしか聞かない母は、やっぱり聞いてなかった。
わたしは最初からあきらめモード。どこでもいいから、花火が見られればいいや、てな気持ちで出発。
しかし母は、例年通りの特等席で見る気満々。
規制され、進めないっちゅーのに、平気で「奥へ行くのよ、奥へ!」と言い続ける。
だから、通れないってば。放送聞きなさいよ。
「そっちは通行止めだって放送で言ってるけど、それでもあえてそっちへ行くのね?」
「通行止め? なんで? いつそんなこと言ってた?」
「駅でさんざん警察の人が言ってたよ。そっちは通行止めで会場には行けませんから、右折してくださいって。それでもママはずんずん左へ進んだよね? わかっててだよね?」
「そんなの聞いてない!」
「あれほど耳元で拡声器で怒鳴ってたでしょ?」
「あのときは帰りの切符を買うことしか考えてなかったもの!」
「帰りの切符を買う話をしながら、わたしはちゃんと聞いてたし、聞こえてた。聞こえない方がおかしい」
「どうして? わたしは聞いてない! そんなこと知らない! 切符のことしか考えてなかったもの!」
「で? 通行止めの道をわざと進むのね?」
「進まない! なんでそんなことしなきゃなんないの」
「だってママがずんずん行くから。わたしがなに言っても聞かないで」
「聞いてないもの!」
「聞けよ」
「だって周りがこんなにうるさいんだもの! 人がいっぱいで! 放送なんか聞こえないのがふつうよ!」
「わたしには聞こえた」
「わたしは聞いてない!」
万事この調子だ。
母は絶対に「わたしのミスです、ごめんなさい」とは言わない。悪いのは他人、母は悪くない。
大変だよな、警察の人も。あれほど動員して放送しても、聞く耳持たない人はまったく聞かないで「周りがうるさいから、放送なんか聞こえなくて当然。ちゃんと案内しない警察が悪い」ってことになるんだもんな。
叔母さん……今回ばかりはあなたが恋しいです。
母とふたりきりだと、わたしのストレス度は跳ね上がります。
ママと旅行した今年のはじめ、わたしは神経を磨り減らしたせいで頭痛を起こしてたっけ。
「奥へ行くのよ、奥へ! 河原に降りるの」
「無理だよ、河原に行くにはスロープを降りなきゃ。スロープは数が限られてるから、どこにでもあるわけじゃないって」
「どうしてみんな立ち止まってるの? 河原に降りればいいのに」
「だから、河原に降りる道が規制されてるんだってば。聞けよ、ひとの話」
もうここでいいじゃん、ここで見ようよ。疲労。
人混みより騒音より、母の手綱を取るのに疲れ果てる。
堤防の上、ガードレールの向こうへ行くために、母は四つん這いになってガードレールをくぐろうとした。
「ママ、下をくぐるならリュックサックは下ろした方が……」
ひとの話なんか聞いちゃいねえ。案の定、リュックサックがガードレールにつっかえた。お尻だけ出した無様な格好で、前にも後ろにも進めなくなる。
周囲の失笑。
……なまじ、「はい、ごめんなさいよっ」と人々を蹴散らしたあとだからねえ……。
なんでそう、テレビの中の「大阪のおばちゃん」まんまなことをするかな。そして、お尻だけ突き出して動けなくなるなんて、ドリフでもやらないよーなネタを、身体を張ってやるかな。
疲れたな……今年の花火大会。
それでも、花火自体はすばらしかったのだけど。
今年の新作はなんといっても「ドラえもん」だよね? あと「キティちゃん」。
昨年感動したデイジーや魚はなかった。ハートや星は健在だったけど。
花火は生で見なきゃダメだと思う。
この目で見て、この耳で聞く。
広がる光、太い音。
そして、歓声。
集まった人たちの声を聞くのが好き。
よろこびに、声を上げる。
感動に、声を上げる。
なんて素直で、無私の響き。
凝った仕掛けに声を上げ、賞賛の言葉を贈る。
だけど。
いちばん単純に感動を呼び起こすのは、
大きい、花火なんだね。
ただ大きい、小細工なしの直球勝負、シンプルに純粋に、ただ、大きいこと。
そのことに、歓声と拍手が起こる。
そしてそんなことに、わたしは感動する。
やっぱ花火は生だよなあ。
混雑がつらくても、わたしは人混みのなかでこそ、花火を味わいたいなあ。
だってやっぱし、人間が好きだもの。
テレビで見てもいいだろう、見なくても人生変わらないだろう、美しいモノを見るために苦労して集まってきて、感動して拍手をする。
人間って、愛しいイキモノだよね。
「今の花火は5段階で言うと『3』ね。んー、今度のは『4』かな」
ママ……。
隣で点数つけるのやめてください……がっくし。肩が落ちる娘の図。
「変ね」
と母は言うが、わたしには予想がつく。
叔母にはきっと、連れができたんだよ。だって今年は日曜日だし。
一緒に行く人が他にいれば、わざわざわたしたちを誘いに来たりしないって。
1年に1度のおたのしみ。
淀川花火大会。
叔母がなにも言ってこないので、わたしと母だけで行くことになった。
が。
直前に母に仕事が入り、終わったのが午後7時過ぎ。
花火大会は8時から。
昨年は5時過ぎには出発していたから、2時間も遅い。
こんな時間じゃたぶん、会場にたどり着けない。
……のに、母には通じない。
「時間的に間に合うわ!」
あの、時間だけなら間に合います。電車の時間、歩く時間。
でもな、それはなんの障害もない場合だ。
花火大会開始時刻間際なんて、交通渋滞や規制があって、進むに進めないに決まってんじゃん。
日本語の通じない母に噛み砕いて説明したけれど、自分の聞きたいことしか聞かない母は、やっぱり聞いてなかった。
わたしは最初からあきらめモード。どこでもいいから、花火が見られればいいや、てな気持ちで出発。
しかし母は、例年通りの特等席で見る気満々。
規制され、進めないっちゅーのに、平気で「奥へ行くのよ、奥へ!」と言い続ける。
だから、通れないってば。放送聞きなさいよ。
「そっちは通行止めだって放送で言ってるけど、それでもあえてそっちへ行くのね?」
「通行止め? なんで? いつそんなこと言ってた?」
「駅でさんざん警察の人が言ってたよ。そっちは通行止めで会場には行けませんから、右折してくださいって。それでもママはずんずん左へ進んだよね? わかっててだよね?」
「そんなの聞いてない!」
「あれほど耳元で拡声器で怒鳴ってたでしょ?」
「あのときは帰りの切符を買うことしか考えてなかったもの!」
「帰りの切符を買う話をしながら、わたしはちゃんと聞いてたし、聞こえてた。聞こえない方がおかしい」
「どうして? わたしは聞いてない! そんなこと知らない! 切符のことしか考えてなかったもの!」
「で? 通行止めの道をわざと進むのね?」
「進まない! なんでそんなことしなきゃなんないの」
「だってママがずんずん行くから。わたしがなに言っても聞かないで」
「聞いてないもの!」
「聞けよ」
「だって周りがこんなにうるさいんだもの! 人がいっぱいで! 放送なんか聞こえないのがふつうよ!」
「わたしには聞こえた」
「わたしは聞いてない!」
万事この調子だ。
母は絶対に「わたしのミスです、ごめんなさい」とは言わない。悪いのは他人、母は悪くない。
大変だよな、警察の人も。あれほど動員して放送しても、聞く耳持たない人はまったく聞かないで「周りがうるさいから、放送なんか聞こえなくて当然。ちゃんと案内しない警察が悪い」ってことになるんだもんな。
叔母さん……今回ばかりはあなたが恋しいです。
母とふたりきりだと、わたしのストレス度は跳ね上がります。
ママと旅行した今年のはじめ、わたしは神経を磨り減らしたせいで頭痛を起こしてたっけ。
「奥へ行くのよ、奥へ! 河原に降りるの」
「無理だよ、河原に行くにはスロープを降りなきゃ。スロープは数が限られてるから、どこにでもあるわけじゃないって」
「どうしてみんな立ち止まってるの? 河原に降りればいいのに」
「だから、河原に降りる道が規制されてるんだってば。聞けよ、ひとの話」
もうここでいいじゃん、ここで見ようよ。疲労。
人混みより騒音より、母の手綱を取るのに疲れ果てる。
堤防の上、ガードレールの向こうへ行くために、母は四つん這いになってガードレールをくぐろうとした。
「ママ、下をくぐるならリュックサックは下ろした方が……」
ひとの話なんか聞いちゃいねえ。案の定、リュックサックがガードレールにつっかえた。お尻だけ出した無様な格好で、前にも後ろにも進めなくなる。
周囲の失笑。
……なまじ、「はい、ごめんなさいよっ」と人々を蹴散らしたあとだからねえ……。
なんでそう、テレビの中の「大阪のおばちゃん」まんまなことをするかな。そして、お尻だけ突き出して動けなくなるなんて、ドリフでもやらないよーなネタを、身体を張ってやるかな。
疲れたな……今年の花火大会。
それでも、花火自体はすばらしかったのだけど。
今年の新作はなんといっても「ドラえもん」だよね? あと「キティちゃん」。
昨年感動したデイジーや魚はなかった。ハートや星は健在だったけど。
花火は生で見なきゃダメだと思う。
この目で見て、この耳で聞く。
広がる光、太い音。
そして、歓声。
集まった人たちの声を聞くのが好き。
よろこびに、声を上げる。
感動に、声を上げる。
なんて素直で、無私の響き。
凝った仕掛けに声を上げ、賞賛の言葉を贈る。
だけど。
いちばん単純に感動を呼び起こすのは、
大きい、花火なんだね。
ただ大きい、小細工なしの直球勝負、シンプルに純粋に、ただ、大きいこと。
そのことに、歓声と拍手が起こる。
そしてそんなことに、わたしは感動する。
やっぱ花火は生だよなあ。
混雑がつらくても、わたしは人混みのなかでこそ、花火を味わいたいなあ。
だってやっぱし、人間が好きだもの。
テレビで見てもいいだろう、見なくても人生変わらないだろう、美しいモノを見るために苦労して集まってきて、感動して拍手をする。
人間って、愛しいイキモノだよね。
「今の花火は5段階で言うと『3』ね。んー、今度のは『4』かな」
ママ……。
隣で点数つけるのやめてください……がっくし。肩が落ちる娘の図。
コメント