偽善者はきらい。@宙バウ・春ふたたび
2003年1月10日 タカラヅカ 仕事が切羽詰まっていると、別のことをしたくなる。
……てことで、ついつい行ってしまいました、宙バウ・ワークショップ。千秋楽。……どーせ行くなら挨拶付きがいいなー、と。
つっても、往復の電車内と休憩時間はちゃんと仕事してましたよ、パソコン持ち込みで。家にいるよりはかどっているよーな……。
相変わらず、予備知識はナシ。
んでもって。
順番逆だが、『春ふたたび』を語らせてくれ。
この作品の出来がどうこう、わたしには言えない。わからない。
何故ならば、「生理的に」大嫌いだからだ。
生理的だ。ゴキブリ見て悲鳴あげるのと同レベルの反応だ。なんでゴキブリ見て悲鳴あげるのか、自分でもよくわからないし、論理的に説明もできない。「生理的に」嫌いだからとしか、言いようがない。
わたしがこれまで観てきたヅカ作品で、「生理的に嫌い」だった作品がひとつだけある。
それが、植田紳爾作『皇帝』だ。
『皇帝』は、とにかく気持ち悪くて気持ち悪くて、わきあがる嫌悪感と戦うのに体力気力を総動員した。
それと似た嫌悪感を持った。
たぶん、『皇帝』の方が作品的に壊れている分、嫌悪はひどかったと思う。しかしもう喉もと過ぎてるから、どれほど気持ち悪かったか、比べようがない。二度と観るつもりがないので、完全に忘却の海に沈めてしまったさ。
『春ふたたび』の物語は簡単、出世した息子が生き別れの母親を捜して、ある老婆にたどり着く。だが老婆は認めない。証拠も挙がって、どっから見てもあんたら親子、なのに、ひとり強情に真実を拒絶しつづける。我が子を捨てたことを恥じているのさ母は。それでお涙頂戴ときたもんだ。
描きようによっては、おもしろくすることは可能だと思う。人間的な弱さ故に過ちを起こし、その過ち故に、差し出された手をこばむことしかできない、よわく愛しい人間の姿を描くわけだから。
だがな。
この作品はダメだ。
わたしの逆ツボ直撃。逆鱗ジャストミート。
わたしは弱い人間やまちがった人間が好きだが、それはその人物の持つ「弱さ」や「まちがい」をフェアに描いたものに限る。それらを歪めて描かれるのが、いちばん嫌いだ。
たとえば、ある女がいたとする。女は現在恋をしていて、それに夢中だ。仕事なんか手につかない。彼のことを考えていてつい、ケアレスミスをしてしまった。そのことで、嫌味な上司にねちねちと叱られた。
ドラマでよくあるよーなエピソードだわな。
ここで、この女の行為を正当化して描かれた場合が、わたしの逆ツボだ。
公私混同して仕事でミスしたのに、正しいのは女で、まちがっているのが上司、という描かれ方をすると、ゆるせない。
ヒロインの苦しみばかりを正当化して、彼女を叱る上司は、その苦しみを理解せずに、さらにひどい言葉をあびせ追い打ちをかける悪役なのな。
大抵の恋愛ドラマはこーゆー描き方をする。とほほなことに。
どーしてそこで、女をプラスの存在のみにする?
仕事を放り出している段階で、彼女はマイナスの存在だ。人としてマイナスな地点に陥ってまで、それでもこの恋を捨てられないのだ、という描き方を何故しない。
もちろん、何故女の行動が正当化されるのかはわかっている。
恋愛ドラマの視聴者が「女性」だからだ。
視聴者の気分が悪くなるよーな描き方はしないのさ。
だから、ヒロインが人としてまちがった行動をしても、カメラは彼女を「正義」として映し続ける。そうすることで、彼女に同調して見ている視聴者に媚びているのさ。
それと同じ不快さで描かれていたのだわ、この『春ふたたび』という作品は。
この場合の「母」はまちがいなく「悪」なんだわ。てめえ勝手に子どもを捨てたのも悪なら、せっかく過去を水に流して迎えにきてくれた子どもをまた拒絶し、捨てるのも「悪」。
どー考えたって、客観的に見れば彼女は「悪」。
なのに、カメラは彼女視点。彼女が「正義」。歪められる世界。
「悪」である彼女を正当化するために、あらゆる努力が成されている。
泣け、さあ泣けッ!! 彼女は可哀想なんだ、けなげなんだ、さあ泣け!!
悪を転嫁し、お涙頂戴に。
わたしは嫌悪感と戦うので精一杯。
「悪」ならば「悪」として描け!! 卑怯者め。偽善者め。
たとえばオギー作の『左眼の恋』は、とことんまで「悪」を描ききったぞ。容赦なく心の深淵を、闇を描き、絶望の泥のなかの人間を描こうとしていたぞ。完成度なんぞわたしは知らないが、少なくともオギーははじめから「悪」を描こうとしていた。「彼が悪なのには、理由があるんだよ。彼だって、可哀想なんだ。根っからの悪人じゃないんだ」なんて描き方はしてないぞ。
道理を曲げて無理を通すわけだから、「悪」を「同情」と「偽善」に転嫁するためにかなりの労力が使われている。
つまり、「悪」の母親の「お涙頂戴」シーンがやたらめったら長い。語る語る。ひとりで語りまくる。
それくらいやらないと、「悪」を転嫁できないからなのさ。
この悪の母親役は、タキちゃん。さすがにうまい。すごい。
しかし。
彼女がうまければうまいほど、熱演すればするほど、わたしには反感だけがつのる。気持ち悪い。
そして、この舞台が梅コマではなく、腐ってもタカラヅカであることを思うと、よけいに気持ち悪さが強くなる。
この舞台の主役は、はるひくんだ。
公達姿も美しい、売り出し中の若手だ。なのに。
はるひくんに出番はない。ほとんどない。
登場してきたところぐらいだ、見せ場らしい見せ場は。
あとはほぼ出ずっぱりで、ただ舞台の上にいる。
主役のはずなのに、物語の中心にいないのさ。
物語の中心は、タキちゃんなんだ。タキちゃんの一挙一動によって、物語がすすむ。はるひくんは、その他大勢と同じ。彼女の言動に揺れ動くだけ。
しかも、舞台の上に役者ただひとりで長台詞、ここがいちばんの決め所!!てゆーのが、主役のはずのはるひくんでなく、タキちゃんってのは、どうよ? どーゆーことよ?
わたしの目には、はるひくんはただのまぬけに映りました。悪のタキちゃんが自己正当化するためにやっているお涙頂戴に、ころりとだまされるおつむの弱い美形。30歳近くにもなって「ママ〜、どこなの、そばにいてよ♪」な大男。
悪を偽善でお涙頂戴に転嫁させるから、こんなことに。
しくしく。
こんなものすごい話だったんですか、『春ふたたび』って。
わたしはただ、美しいはるひくんを観られるんだと思って、たのしみにしていたのに。
いちばん長いシーンが、登場人物全員が舞台上でまったく動かず(坐っているので、動きようがない)、タキちゃんひとりがセンターで芝居をする(立っているのが彼女だけだから、動けるのが彼女ひとり)、ての、「舞台」として見た場合にも相当まずくないか? いちばん長いシーンなんだよ?
ストーリーが破綻していない、とゆーだけしか評価ポイントがないんだが……それでもこれは「佳作」なのか? 世の中的に?
まあ、世の中「お涙頂戴」好きだからなー。
自分の中の「よわさ」や「まちがった部分」は見たくないから、そーゆーところから目をそらして、「お涙頂戴」にしてしまうのよね。
彼だってつらかったんだ! 彼だって根っから悪い人じゃないんだ!! てさ。
根っから悪人じゃなくても、罪は罪、悪は悪なんだけどな。
だから人間は救われなくて、痛くて哀しくて絶望的で、……そして、いとしいんだがな。
ああそして、『おーい春風さん』の感想を書く文字数がない……。
明日の欄に続く。
……てことで、ついつい行ってしまいました、宙バウ・ワークショップ。千秋楽。……どーせ行くなら挨拶付きがいいなー、と。
つっても、往復の電車内と休憩時間はちゃんと仕事してましたよ、パソコン持ち込みで。家にいるよりはかどっているよーな……。
相変わらず、予備知識はナシ。
んでもって。
順番逆だが、『春ふたたび』を語らせてくれ。
この作品の出来がどうこう、わたしには言えない。わからない。
何故ならば、「生理的に」大嫌いだからだ。
生理的だ。ゴキブリ見て悲鳴あげるのと同レベルの反応だ。なんでゴキブリ見て悲鳴あげるのか、自分でもよくわからないし、論理的に説明もできない。「生理的に」嫌いだからとしか、言いようがない。
わたしがこれまで観てきたヅカ作品で、「生理的に嫌い」だった作品がひとつだけある。
それが、植田紳爾作『皇帝』だ。
『皇帝』は、とにかく気持ち悪くて気持ち悪くて、わきあがる嫌悪感と戦うのに体力気力を総動員した。
それと似た嫌悪感を持った。
たぶん、『皇帝』の方が作品的に壊れている分、嫌悪はひどかったと思う。しかしもう喉もと過ぎてるから、どれほど気持ち悪かったか、比べようがない。二度と観るつもりがないので、完全に忘却の海に沈めてしまったさ。
『春ふたたび』の物語は簡単、出世した息子が生き別れの母親を捜して、ある老婆にたどり着く。だが老婆は認めない。証拠も挙がって、どっから見てもあんたら親子、なのに、ひとり強情に真実を拒絶しつづける。我が子を捨てたことを恥じているのさ母は。それでお涙頂戴ときたもんだ。
描きようによっては、おもしろくすることは可能だと思う。人間的な弱さ故に過ちを起こし、その過ち故に、差し出された手をこばむことしかできない、よわく愛しい人間の姿を描くわけだから。
だがな。
この作品はダメだ。
わたしの逆ツボ直撃。逆鱗ジャストミート。
わたしは弱い人間やまちがった人間が好きだが、それはその人物の持つ「弱さ」や「まちがい」をフェアに描いたものに限る。それらを歪めて描かれるのが、いちばん嫌いだ。
たとえば、ある女がいたとする。女は現在恋をしていて、それに夢中だ。仕事なんか手につかない。彼のことを考えていてつい、ケアレスミスをしてしまった。そのことで、嫌味な上司にねちねちと叱られた。
ドラマでよくあるよーなエピソードだわな。
ここで、この女の行為を正当化して描かれた場合が、わたしの逆ツボだ。
公私混同して仕事でミスしたのに、正しいのは女で、まちがっているのが上司、という描かれ方をすると、ゆるせない。
ヒロインの苦しみばかりを正当化して、彼女を叱る上司は、その苦しみを理解せずに、さらにひどい言葉をあびせ追い打ちをかける悪役なのな。
大抵の恋愛ドラマはこーゆー描き方をする。とほほなことに。
どーしてそこで、女をプラスの存在のみにする?
仕事を放り出している段階で、彼女はマイナスの存在だ。人としてマイナスな地点に陥ってまで、それでもこの恋を捨てられないのだ、という描き方を何故しない。
もちろん、何故女の行動が正当化されるのかはわかっている。
恋愛ドラマの視聴者が「女性」だからだ。
視聴者の気分が悪くなるよーな描き方はしないのさ。
だから、ヒロインが人としてまちがった行動をしても、カメラは彼女を「正義」として映し続ける。そうすることで、彼女に同調して見ている視聴者に媚びているのさ。
それと同じ不快さで描かれていたのだわ、この『春ふたたび』という作品は。
この場合の「母」はまちがいなく「悪」なんだわ。てめえ勝手に子どもを捨てたのも悪なら、せっかく過去を水に流して迎えにきてくれた子どもをまた拒絶し、捨てるのも「悪」。
どー考えたって、客観的に見れば彼女は「悪」。
なのに、カメラは彼女視点。彼女が「正義」。歪められる世界。
「悪」である彼女を正当化するために、あらゆる努力が成されている。
泣け、さあ泣けッ!! 彼女は可哀想なんだ、けなげなんだ、さあ泣け!!
悪を転嫁し、お涙頂戴に。
わたしは嫌悪感と戦うので精一杯。
「悪」ならば「悪」として描け!! 卑怯者め。偽善者め。
たとえばオギー作の『左眼の恋』は、とことんまで「悪」を描ききったぞ。容赦なく心の深淵を、闇を描き、絶望の泥のなかの人間を描こうとしていたぞ。完成度なんぞわたしは知らないが、少なくともオギーははじめから「悪」を描こうとしていた。「彼が悪なのには、理由があるんだよ。彼だって、可哀想なんだ。根っからの悪人じゃないんだ」なんて描き方はしてないぞ。
道理を曲げて無理を通すわけだから、「悪」を「同情」と「偽善」に転嫁するためにかなりの労力が使われている。
つまり、「悪」の母親の「お涙頂戴」シーンがやたらめったら長い。語る語る。ひとりで語りまくる。
それくらいやらないと、「悪」を転嫁できないからなのさ。
この悪の母親役は、タキちゃん。さすがにうまい。すごい。
しかし。
彼女がうまければうまいほど、熱演すればするほど、わたしには反感だけがつのる。気持ち悪い。
そして、この舞台が梅コマではなく、腐ってもタカラヅカであることを思うと、よけいに気持ち悪さが強くなる。
この舞台の主役は、はるひくんだ。
公達姿も美しい、売り出し中の若手だ。なのに。
はるひくんに出番はない。ほとんどない。
登場してきたところぐらいだ、見せ場らしい見せ場は。
あとはほぼ出ずっぱりで、ただ舞台の上にいる。
主役のはずなのに、物語の中心にいないのさ。
物語の中心は、タキちゃんなんだ。タキちゃんの一挙一動によって、物語がすすむ。はるひくんは、その他大勢と同じ。彼女の言動に揺れ動くだけ。
しかも、舞台の上に役者ただひとりで長台詞、ここがいちばんの決め所!!てゆーのが、主役のはずのはるひくんでなく、タキちゃんってのは、どうよ? どーゆーことよ?
わたしの目には、はるひくんはただのまぬけに映りました。悪のタキちゃんが自己正当化するためにやっているお涙頂戴に、ころりとだまされるおつむの弱い美形。30歳近くにもなって「ママ〜、どこなの、そばにいてよ♪」な大男。
悪を偽善でお涙頂戴に転嫁させるから、こんなことに。
しくしく。
こんなものすごい話だったんですか、『春ふたたび』って。
わたしはただ、美しいはるひくんを観られるんだと思って、たのしみにしていたのに。
いちばん長いシーンが、登場人物全員が舞台上でまったく動かず(坐っているので、動きようがない)、タキちゃんひとりがセンターで芝居をする(立っているのが彼女だけだから、動けるのが彼女ひとり)、ての、「舞台」として見た場合にも相当まずくないか? いちばん長いシーンなんだよ?
ストーリーが破綻していない、とゆーだけしか評価ポイントがないんだが……それでもこれは「佳作」なのか? 世の中的に?
まあ、世の中「お涙頂戴」好きだからなー。
自分の中の「よわさ」や「まちがった部分」は見たくないから、そーゆーところから目をそらして、「お涙頂戴」にしてしまうのよね。
彼だってつらかったんだ! 彼だって根っから悪い人じゃないんだ!! てさ。
根っから悪人じゃなくても、罪は罪、悪は悪なんだけどな。
だから人間は救われなくて、痛くて哀しくて絶望的で、……そして、いとしいんだがな。
ああそして、『おーい春風さん』の感想を書く文字数がない……。
明日の欄に続く。
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