ガラクタの詰まった宝石箱。@TRICK劇場版
2002年11月20日 映画 くわッぱ!!
の、かけ声とともに、見てきました映画『TRICK』。
おもしろかった……。
笑ったよー。
もー、すごい笑ったよー。
堤監督の作品の好きなところは、笑いと怖さの紙一重感なのね、わたしの場合。
本筋以外のところに、それが現れる。
なんてことはないモブシーンで、画面の端々に「変なもの」がなにげなく描かれていたりしてね。
「境界線」の怖さだと思う。
たとえば『ハンドク!』というドラマがあった。このドラマは打ち切りだったのかなんなのか、ラスト2本くらいでものすごいことになって、ひどい終わり方をする(伏線をぶちこわしたり、キャラの人格をこわしたりな)んだけど、途中まではいかにも堤ワールドでとても愉快なドラマだった。
この『ハンドク!』では、時間の経過や舞台の転換を表す記号として「老人」が使われていた。
「次の日の朝、主人公の住む町」というものを表すのなら、朝靄っぽい色で町を映せばすむ。鳥の声とか入れてな。それがふつー。
しかしこのドラマでは、その映像の中にわざわざ「老人」を入れていた。
無表情な老人が無表情な声を出しながら、ロボットのように体操をしている。
ぎょっとするよ。
なんの関係もないものが、突然画面に現れたら。
この調子で、あちこちに「老人」がいる。
大筋にはまったく関係ないし、その存在についての説明も一切ない。
だが老人は何度も何度も現れ、無表情に体操していたり、立っていたりする。
……笑えばいいのか?
怖がればいいのか?
その、「境界線」な感覚。
それがわたしには、ものすごーく、ツボだ。
『TRICK』というドラマも、堤節全開で「笑えばいいのか? 怖がればいいのか?」が隅々まで充ち満ちていた。
笑いと恐怖は近いところにある。
それを確信犯として作品にしていることに、わたしは賞賛を送る。
とゆーことで、映画『TRICK』。
さすが映画ってことですか?
「笑い」がよりグレードアップしていたことは言うまでもないですが……。
この「笑い」の部分も、ファンは期待しているわけだから、過剰にやってくれてぜんぜんOK。ファンにおもねってくれて、OK。そして、ストーリーのめちゃくちゃさ加減やギャグに頼り切っている部分も、ファンに甘えてくれてOKだ。
映画『溺れる魚』は、この「ファンにおもねる」と「ファンに甘える」が、悪い意味で出ていたと思う。だからアレ、わたし的には評価低いのよ。
見終わったあと、「堤、いい加減にせいよ」と思ったもん。いつも同じ柳の下にドジョウはいないのよ、と。
しかし、『TRICK』はこれでいいのだ。
そしてなにより「おおっ、これが映画効果というものか!」と瞠目したのは、「ロマンス度」です。
ちょっとぉ、恋愛入ってんじゃん、これ(笑)。
てゆーか、正しく「恋愛モノ」のセオリーを踏んでいます。
びっくりした。
『TRICK』で、恋愛やるか……。
その昔、友人でハーレクインロマンスが大好きな子がいました。
月に30冊以上読んでたな。高校の図書室で「予約」と称して大量の同レーベル本を毎月入荷させていた子です。
わたしとその子は図書室友だちというか、図書室に行くとたいてい顔を合わせるもんで喋るようになったって感じ。
わたしは司馬遼太郎にハマっており、司馬遼本を全読破せんとの野望に燃えて通っておったんですが。(あと栗本薫とか平井和正とか、とにかくたくさん本が出ている人を全読破することに燃えていた。おかげで卒業時には表彰されたよ……読書量と図書室利用の頻度を)
わたしはハーレクインにはなんの興味もなかったんだが、その友人があまりにたくさんの同レーベル本を読んでいるので、聞いてみた。「おもしろいの?」と。
すると彼女は答えた。
「べつにおもしろくはないよ。全部同じだし。でも、1冊30分で読めるし、アタマ使わないですむし、楽だから暇つぶしにいいの」
通学の電車が暇だから、1冊30分のペーパーバックはちょうどいいそうな。
しかし、全部同じって?
不思議がるわたしに、彼女はそのとき持っていたハーレクインの本の束から1冊を差し出した。「まあ、試しに読んでみてよ」と。
そして彼女は眼鏡の奥の理知的な瞳をクールに瞬かせて、こう言ったんだ。
「ストーリーを先に教えてあげる。まず、女が男と出会うの。そのとき女は『なんて失礼な男なの!』と怒る。そのあとで、偶然女と男は再会する。絶対に偶然、ね。男はお金持ちだったり権力があったりして、とても魅力的なの。それで女は男のことを少し見直すの。そして女はだんだん男に惹かれていくんだけど、あるとき事件が起こって『あんな男とは二度と会わないわ!』と怒る。だけどまたなにか起こって、誤解が解けてハッピーエンド」
先にストーリーを、ってあなた、この本は新着図書でまだ誰も先に読んでいない、図書室蔵書印のインクも新しい本なんですが。あなただってまだ、読んでないわけでしょ?
「読まなくてもわかるって。みんな同じだもん」
半信半疑で読んでみると……。
その通りでした。
どんな話だったか、細かいディテールはおぼえていないが、ヒロインが男と最初に出会ったときに「あんな失礼な男はいないわ!」とご立腹だったことは忘れられない……。そ、そうか。第一印象は最悪でなきゃならんのか……ハーレクインよ。
1冊読んだわたしに、その友人は「これでもう2度とハーレクインを読む必要はないわよ、あとは全部同じだから」と、にっこり笑ってくれた。同じストーリーラインの物語を、ディテールだけ変えて何度も読みたい人向けなんだそーだ。男の職業が弁護士だったり実業家だったり、はたまたアラブの大富豪だったりな。裏切られることのない世界がそこに。
この記憶はわたしに「エンターテイメントとは」を考えさせる原点のひとつになっている。
大衆に支持される物語には、法則があるのさ。
方程式があるのさ。
しかしこの方程式を、まさか『TRICK』で見ようとは。
まず起承転結の「起」の部分で、ヒロイン奈緒子は相棒の上田教授に手ひどく傷つけられる。
泣くし。
う・わー、泣いてるよ奈緒子。どんなに悲惨な状況になろうと「えへへへへっ」と超音波な笑い方をしている娘だったのに。
それで仲違いしたふたりは、それぞれ別に問題の「糸節村」へ行くことになる。
そこで奈緒子はピンチに陥る。偶然再会した上田と「仕方なく」協力。いつもの凸凹コンビの姿がそこに。だがここで、奈緒子は「上田から愛の告白をされた」と誤解してとまどう。……すぐに誤解だと気づくが、この誤解が伏線になっている。これが「承」の部分。
そして「転」では、奈緒子は「わたしにとっての本当に大切なものはなにか」という自問自答に答えを出し、なーんとっ、「数億円」のお宝を捨てて上田のもとへ走るっっ。おいおいおいっ。さきほどの「誤解」ゆえに、彼女は自分の気持ちに気づくってわけさね。おおっ、正しく方程式にあてはまっているぞ。
事件を無事解決したふたりは、なんだかんだ言いながらも、またもと通りの凸凹コンビになる。だが、例の「誤解」の伏線はここでも生きていて、上田はナチュラルなのかわざとなのか、その「誤解」をネタにして奈緒子をうろたえさせるし、しかも奈緒子は「それって告白?」めいたことを言うし。これできれーに「結」。
恋愛映画だったのか、『TRICK』??(笑)
ストーリーとしては、「予算のいっぱいあったテレビドラマ」って感じ(笑)で、特別なものではない。
まさに、いつもの『TRICK』。
ドラマの最新スペシャル番組でも見た感じ。
それでもわたしは十分だと思うんだけど。
やっぱ映画だから?
+αが必要だったのかしら。
それが「恋愛要素」ってこと?
「恋愛」ってのは、いちばんてっとり早く強力な「エンターテイメント」だからね。
奈緒子が上田に傷つけられたくらいで泣く、ってのは、どーもちがう気がするんだが(そういう意味で「生身の人間」っぽさがないキャラだもん、『TRICK』の登場人物って全員)、わたしは恋愛モノ好きだから、ぜんぜんOK(笑)。
微妙にズレた感覚で「恋愛」している奈緒子と上田はとてもかわいい。
「こんなの奈緒子と上田じゃないわっ」と思う気持ちはどこかにあるが。……ま、そこは「映画だから」ってことで。サービスサービス。
そして「恋愛モノ」として見た場合、あのラストの冗長さはどうかと思うんだが……つーか、不要だろ、アレ。
かわいいけど。
そして、その「いらんだろ」と思わせるところがまた、いかにも『TRICK』らしいと言えるんだけど。
あとでパンフレットの堤監督のインタビューを読んで、さらに納得。わたしがひとつの「作品」として見た場合「不要」だと感じた部分は、意図的に付け加えたモノなのね。
「だめ〜な感じのラブストーリーにしたかったんです」という監督の狙い通りだ(笑)。そういうところが、『TRICK』らしい。
いや、とにかくたのしかったよ、『TRICK』。見て良かった。
つーか、「もう一度見たい!」と思わせる映画だ(笑)。
映像でしか表現できない、ガラクタの詰まったすてきな宝石箱。
そーゆー映画。
の、かけ声とともに、見てきました映画『TRICK』。
おもしろかった……。
笑ったよー。
もー、すごい笑ったよー。
堤監督の作品の好きなところは、笑いと怖さの紙一重感なのね、わたしの場合。
本筋以外のところに、それが現れる。
なんてことはないモブシーンで、画面の端々に「変なもの」がなにげなく描かれていたりしてね。
「境界線」の怖さだと思う。
たとえば『ハンドク!』というドラマがあった。このドラマは打ち切りだったのかなんなのか、ラスト2本くらいでものすごいことになって、ひどい終わり方をする(伏線をぶちこわしたり、キャラの人格をこわしたりな)んだけど、途中まではいかにも堤ワールドでとても愉快なドラマだった。
この『ハンドク!』では、時間の経過や舞台の転換を表す記号として「老人」が使われていた。
「次の日の朝、主人公の住む町」というものを表すのなら、朝靄っぽい色で町を映せばすむ。鳥の声とか入れてな。それがふつー。
しかしこのドラマでは、その映像の中にわざわざ「老人」を入れていた。
無表情な老人が無表情な声を出しながら、ロボットのように体操をしている。
ぎょっとするよ。
なんの関係もないものが、突然画面に現れたら。
この調子で、あちこちに「老人」がいる。
大筋にはまったく関係ないし、その存在についての説明も一切ない。
だが老人は何度も何度も現れ、無表情に体操していたり、立っていたりする。
……笑えばいいのか?
怖がればいいのか?
その、「境界線」な感覚。
それがわたしには、ものすごーく、ツボだ。
『TRICK』というドラマも、堤節全開で「笑えばいいのか? 怖がればいいのか?」が隅々まで充ち満ちていた。
笑いと恐怖は近いところにある。
それを確信犯として作品にしていることに、わたしは賞賛を送る。
とゆーことで、映画『TRICK』。
さすが映画ってことですか?
「笑い」がよりグレードアップしていたことは言うまでもないですが……。
この「笑い」の部分も、ファンは期待しているわけだから、過剰にやってくれてぜんぜんOK。ファンにおもねってくれて、OK。そして、ストーリーのめちゃくちゃさ加減やギャグに頼り切っている部分も、ファンに甘えてくれてOKだ。
映画『溺れる魚』は、この「ファンにおもねる」と「ファンに甘える」が、悪い意味で出ていたと思う。だからアレ、わたし的には評価低いのよ。
見終わったあと、「堤、いい加減にせいよ」と思ったもん。いつも同じ柳の下にドジョウはいないのよ、と。
しかし、『TRICK』はこれでいいのだ。
そしてなにより「おおっ、これが映画効果というものか!」と瞠目したのは、「ロマンス度」です。
ちょっとぉ、恋愛入ってんじゃん、これ(笑)。
てゆーか、正しく「恋愛モノ」のセオリーを踏んでいます。
びっくりした。
『TRICK』で、恋愛やるか……。
その昔、友人でハーレクインロマンスが大好きな子がいました。
月に30冊以上読んでたな。高校の図書室で「予約」と称して大量の同レーベル本を毎月入荷させていた子です。
わたしとその子は図書室友だちというか、図書室に行くとたいてい顔を合わせるもんで喋るようになったって感じ。
わたしは司馬遼太郎にハマっており、司馬遼本を全読破せんとの野望に燃えて通っておったんですが。(あと栗本薫とか平井和正とか、とにかくたくさん本が出ている人を全読破することに燃えていた。おかげで卒業時には表彰されたよ……読書量と図書室利用の頻度を)
わたしはハーレクインにはなんの興味もなかったんだが、その友人があまりにたくさんの同レーベル本を読んでいるので、聞いてみた。「おもしろいの?」と。
すると彼女は答えた。
「べつにおもしろくはないよ。全部同じだし。でも、1冊30分で読めるし、アタマ使わないですむし、楽だから暇つぶしにいいの」
通学の電車が暇だから、1冊30分のペーパーバックはちょうどいいそうな。
しかし、全部同じって?
不思議がるわたしに、彼女はそのとき持っていたハーレクインの本の束から1冊を差し出した。「まあ、試しに読んでみてよ」と。
そして彼女は眼鏡の奥の理知的な瞳をクールに瞬かせて、こう言ったんだ。
「ストーリーを先に教えてあげる。まず、女が男と出会うの。そのとき女は『なんて失礼な男なの!』と怒る。そのあとで、偶然女と男は再会する。絶対に偶然、ね。男はお金持ちだったり権力があったりして、とても魅力的なの。それで女は男のことを少し見直すの。そして女はだんだん男に惹かれていくんだけど、あるとき事件が起こって『あんな男とは二度と会わないわ!』と怒る。だけどまたなにか起こって、誤解が解けてハッピーエンド」
先にストーリーを、ってあなた、この本は新着図書でまだ誰も先に読んでいない、図書室蔵書印のインクも新しい本なんですが。あなただってまだ、読んでないわけでしょ?
「読まなくてもわかるって。みんな同じだもん」
半信半疑で読んでみると……。
その通りでした。
どんな話だったか、細かいディテールはおぼえていないが、ヒロインが男と最初に出会ったときに「あんな失礼な男はいないわ!」とご立腹だったことは忘れられない……。そ、そうか。第一印象は最悪でなきゃならんのか……ハーレクインよ。
1冊読んだわたしに、その友人は「これでもう2度とハーレクインを読む必要はないわよ、あとは全部同じだから」と、にっこり笑ってくれた。同じストーリーラインの物語を、ディテールだけ変えて何度も読みたい人向けなんだそーだ。男の職業が弁護士だったり実業家だったり、はたまたアラブの大富豪だったりな。裏切られることのない世界がそこに。
この記憶はわたしに「エンターテイメントとは」を考えさせる原点のひとつになっている。
大衆に支持される物語には、法則があるのさ。
方程式があるのさ。
しかしこの方程式を、まさか『TRICK』で見ようとは。
まず起承転結の「起」の部分で、ヒロイン奈緒子は相棒の上田教授に手ひどく傷つけられる。
泣くし。
う・わー、泣いてるよ奈緒子。どんなに悲惨な状況になろうと「えへへへへっ」と超音波な笑い方をしている娘だったのに。
それで仲違いしたふたりは、それぞれ別に問題の「糸節村」へ行くことになる。
そこで奈緒子はピンチに陥る。偶然再会した上田と「仕方なく」協力。いつもの凸凹コンビの姿がそこに。だがここで、奈緒子は「上田から愛の告白をされた」と誤解してとまどう。……すぐに誤解だと気づくが、この誤解が伏線になっている。これが「承」の部分。
そして「転」では、奈緒子は「わたしにとっての本当に大切なものはなにか」という自問自答に答えを出し、なーんとっ、「数億円」のお宝を捨てて上田のもとへ走るっっ。おいおいおいっ。さきほどの「誤解」ゆえに、彼女は自分の気持ちに気づくってわけさね。おおっ、正しく方程式にあてはまっているぞ。
事件を無事解決したふたりは、なんだかんだ言いながらも、またもと通りの凸凹コンビになる。だが、例の「誤解」の伏線はここでも生きていて、上田はナチュラルなのかわざとなのか、その「誤解」をネタにして奈緒子をうろたえさせるし、しかも奈緒子は「それって告白?」めいたことを言うし。これできれーに「結」。
恋愛映画だったのか、『TRICK』??(笑)
ストーリーとしては、「予算のいっぱいあったテレビドラマ」って感じ(笑)で、特別なものではない。
まさに、いつもの『TRICK』。
ドラマの最新スペシャル番組でも見た感じ。
それでもわたしは十分だと思うんだけど。
やっぱ映画だから?
+αが必要だったのかしら。
それが「恋愛要素」ってこと?
「恋愛」ってのは、いちばんてっとり早く強力な「エンターテイメント」だからね。
奈緒子が上田に傷つけられたくらいで泣く、ってのは、どーもちがう気がするんだが(そういう意味で「生身の人間」っぽさがないキャラだもん、『TRICK』の登場人物って全員)、わたしは恋愛モノ好きだから、ぜんぜんOK(笑)。
微妙にズレた感覚で「恋愛」している奈緒子と上田はとてもかわいい。
「こんなの奈緒子と上田じゃないわっ」と思う気持ちはどこかにあるが。……ま、そこは「映画だから」ってことで。サービスサービス。
そして「恋愛モノ」として見た場合、あのラストの冗長さはどうかと思うんだが……つーか、不要だろ、アレ。
かわいいけど。
そして、その「いらんだろ」と思わせるところがまた、いかにも『TRICK』らしいと言えるんだけど。
あとでパンフレットの堤監督のインタビューを読んで、さらに納得。わたしがひとつの「作品」として見た場合「不要」だと感じた部分は、意図的に付け加えたモノなのね。
「だめ〜な感じのラブストーリーにしたかったんです」という監督の狙い通りだ(笑)。そういうところが、『TRICK』らしい。
いや、とにかくたのしかったよ、『TRICK』。見て良かった。
つーか、「もう一度見たい!」と思わせる映画だ(笑)。
映像でしか表現できない、ガラクタの詰まったすてきな宝石箱。
そーゆー映画。
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