炎の画家とトラウマ。
2002年11月2日 オタク話いろいろ。 ゴッホ展に行きたかったんだが……。
結局、あきらめました。
いつでも行ける、と思っていたから、行きそびれた。11月4日までだけど、もう行けない。
だって……つい先日行ってきた人の話を聞いたのよ。平日だったのに、2時間待ち。どの絵も30人くらいが群がっているそーな。小さな絵を1枚見るために30人が場所取りをし、待ち続ける。よーやく見たら次の絵のためにまた30人が場所取りを繰り返す。
小学校の頃の恩師の話なんだが、彼はもー、絵を見るのはあきらめて、音声ガイダンスだけを聞いて帰ってきたそーだ。
見たかったな、ゴッホ……。
しかも今回は、もうひとりのゴッホ、弟のテオにもスポットがあたっている。
この兄弟の関係ってけっこー萌え……ゲフンゲフン。
わたしとゴッホの出会いは、とある幼児向けテレビ番組でだ。
『ママと遊ぼうピンポンパン』という番組が、その昔あった。
小学生だったわたしは、毎朝時計代わりにその番組を見ていた。
「ビッグマンモス」という少年だけのコーラスグループがお気に入りだった。おそろいの衣装を着た長髪(当時の流行)の10代はじめから半ばくらいのかわいい少年たちで構成されていて、オリジナルの曲も歌ったり踊ったりしていた。今思うと、ジャニーズみたいなノリのグループだったな。ジャニとちがうのは、ほんとに歌がうまかったこと(笑)。
おたのしみはその男の子たちの歌だったんだけど、いつどこで誰が歌うかわかんなかったから、番組は最初から最後まで全部見ていた。
そして番組の最後の方には、いつも人形劇があった。
ブチャネコとワンタンという、ベタな名前の人形2体がベタベタなコントをするコーナーだ。
最初のうちはただのコントだったんだけど、そのうちネタが切れてきたんだろう。1週間連載で、「偉人伝」をするようになった。
猫と犬の人形、2体だけでいろんな役をやりながら、偉人の人生を物語るわけだ。
特別、おもしろいものでもなかった。朝っぱらから幼児番組で「偉人伝」なんぞやらなくていいだろうに。しかも続き物。企画的に失敗している気が、するんだけど……。
そこでわたしは、「炎の画家・ゴッホ」に出会った。
ゴッホ役は猫のブチャネコ。声は富山敬氏。彼は通し役。
弟テオ他、出てくる他のすべての役(もちろん女役含む)は犬のワンタン。声は富田耕生氏。
2大声優がその実力を駆使して演じるふたり芝居。表情乏しい(なんせ猫と犬だ)人形に、命を吹き込む。
最初、変だなと思ったんだ。
ブチャネコが大きな肌色の「耳」をつけていたから。
なんせブチャネコは猫だ。頭の上に三角の猫耳がついている。
なのにわざわざ目の横に、人間のような肌色の耳をつけているんだ。
「偉人伝」だからそりゃ、人間の話だよ。でもそれまでやったどんな話だって(エジソンとか野口英世とか、そーゆーやつだな)わざわざ人間の耳なんかつけてなかったし、猫は猫のまま、犬は犬のままで演じていたのに。
わざわざ耳がついていて、変だった。猫の顔に人間の耳……茶トラ猫の顔に肌色の耳……キモ。
なんのために「耳」がついていたのか……知ったのは、最終回の金曜日だ(月〜金の5回完結)。
ブチャネコ・ゴッホは、ナイフで自分の耳(肌色の人間耳)を削ぎ落とした!!
ちょ〜〜っと待てぇっっ。
幼児番組なんですけどっ。
人形劇なんですけどっ。
朝なんですけどっ。
引きました、わたし。
そりゃーもー、盛大に。
こわかったんだよ、「耳を削ぎ落とす」なんてシーンをなんの予備知識も心構えもない、さわやかな朝からビジュアルで見せつけられて。
びっくりしたよ。
強烈だよ。
わたしゃまだ小学生だよ。
ゴッホなんて人、カケラも知らないよ。興味もないよ。
ぜんぜん知らないし記憶にとめる気もない、見終わったらそのまま忘れるだろーどーでもいい番組で……突然の残酷シーン。
赤いライトに照らされ、ナイフを手にして立つ、片耳のブチャネコの姿が忘れられない……。富山敬氏の絶叫もね。
「こうして彼は、『炎の画家・ゴッホ』と呼ばれるようになったのです……」とかなんとか、力強いナレーションが流れてね。
うう、ぶるぶる。
忘れられない幼少の記憶のひとつが、この片耳のブチャネコ。
トラウマです、はっきりいって。
おかげで、わたしにとっての「ゴッホ」はこの片耳のブチャネコ。
わたしにとっての富山敬の代表作は、古代くんでもデューク・フリードでもテリィでもなく、ブチャネコ。
「炎の画家・ゴッホ」。
燃える深紅のライト、めらめら揺れる炎の効果、仁王立ちするブチャネコ、片耳とナイフ。
画家としてのゴッホに出会うのは、そのずーっとずーっとあと。
つーか、あのトラウマのネタになった人が画家だったことも、わかっていても実感としてはつながってなかったよ。ブチャネコの印象強すぎて。
ゴッホ展に行きたかった。
わたしのなかの、永遠の炎の人(ただし姿はブチャネコ)。
結局、あきらめました。
いつでも行ける、と思っていたから、行きそびれた。11月4日までだけど、もう行けない。
だって……つい先日行ってきた人の話を聞いたのよ。平日だったのに、2時間待ち。どの絵も30人くらいが群がっているそーな。小さな絵を1枚見るために30人が場所取りをし、待ち続ける。よーやく見たら次の絵のためにまた30人が場所取りを繰り返す。
小学校の頃の恩師の話なんだが、彼はもー、絵を見るのはあきらめて、音声ガイダンスだけを聞いて帰ってきたそーだ。
見たかったな、ゴッホ……。
しかも今回は、もうひとりのゴッホ、弟のテオにもスポットがあたっている。
この兄弟の関係ってけっこー萌え……ゲフンゲフン。
わたしとゴッホの出会いは、とある幼児向けテレビ番組でだ。
『ママと遊ぼうピンポンパン』という番組が、その昔あった。
小学生だったわたしは、毎朝時計代わりにその番組を見ていた。
「ビッグマンモス」という少年だけのコーラスグループがお気に入りだった。おそろいの衣装を着た長髪(当時の流行)の10代はじめから半ばくらいのかわいい少年たちで構成されていて、オリジナルの曲も歌ったり踊ったりしていた。今思うと、ジャニーズみたいなノリのグループだったな。ジャニとちがうのは、ほんとに歌がうまかったこと(笑)。
おたのしみはその男の子たちの歌だったんだけど、いつどこで誰が歌うかわかんなかったから、番組は最初から最後まで全部見ていた。
そして番組の最後の方には、いつも人形劇があった。
ブチャネコとワンタンという、ベタな名前の人形2体がベタベタなコントをするコーナーだ。
最初のうちはただのコントだったんだけど、そのうちネタが切れてきたんだろう。1週間連載で、「偉人伝」をするようになった。
猫と犬の人形、2体だけでいろんな役をやりながら、偉人の人生を物語るわけだ。
特別、おもしろいものでもなかった。朝っぱらから幼児番組で「偉人伝」なんぞやらなくていいだろうに。しかも続き物。企画的に失敗している気が、するんだけど……。
そこでわたしは、「炎の画家・ゴッホ」に出会った。
ゴッホ役は猫のブチャネコ。声は富山敬氏。彼は通し役。
弟テオ他、出てくる他のすべての役(もちろん女役含む)は犬のワンタン。声は富田耕生氏。
2大声優がその実力を駆使して演じるふたり芝居。表情乏しい(なんせ猫と犬だ)人形に、命を吹き込む。
最初、変だなと思ったんだ。
ブチャネコが大きな肌色の「耳」をつけていたから。
なんせブチャネコは猫だ。頭の上に三角の猫耳がついている。
なのにわざわざ目の横に、人間のような肌色の耳をつけているんだ。
「偉人伝」だからそりゃ、人間の話だよ。でもそれまでやったどんな話だって(エジソンとか野口英世とか、そーゆーやつだな)わざわざ人間の耳なんかつけてなかったし、猫は猫のまま、犬は犬のままで演じていたのに。
わざわざ耳がついていて、変だった。猫の顔に人間の耳……茶トラ猫の顔に肌色の耳……キモ。
なんのために「耳」がついていたのか……知ったのは、最終回の金曜日だ(月〜金の5回完結)。
ブチャネコ・ゴッホは、ナイフで自分の耳(肌色の人間耳)を削ぎ落とした!!
ちょ〜〜っと待てぇっっ。
幼児番組なんですけどっ。
人形劇なんですけどっ。
朝なんですけどっ。
引きました、わたし。
そりゃーもー、盛大に。
こわかったんだよ、「耳を削ぎ落とす」なんてシーンをなんの予備知識も心構えもない、さわやかな朝からビジュアルで見せつけられて。
びっくりしたよ。
強烈だよ。
わたしゃまだ小学生だよ。
ゴッホなんて人、カケラも知らないよ。興味もないよ。
ぜんぜん知らないし記憶にとめる気もない、見終わったらそのまま忘れるだろーどーでもいい番組で……突然の残酷シーン。
赤いライトに照らされ、ナイフを手にして立つ、片耳のブチャネコの姿が忘れられない……。富山敬氏の絶叫もね。
「こうして彼は、『炎の画家・ゴッホ』と呼ばれるようになったのです……」とかなんとか、力強いナレーションが流れてね。
うう、ぶるぶる。
忘れられない幼少の記憶のひとつが、この片耳のブチャネコ。
トラウマです、はっきりいって。
おかげで、わたしにとっての「ゴッホ」はこの片耳のブチャネコ。
わたしにとっての富山敬の代表作は、古代くんでもデューク・フリードでもテリィでもなく、ブチャネコ。
「炎の画家・ゴッホ」。
燃える深紅のライト、めらめら揺れる炎の効果、仁王立ちするブチャネコ、片耳とナイフ。
画家としてのゴッホに出会うのは、そのずーっとずーっとあと。
つーか、あのトラウマのネタになった人が画家だったことも、わかっていても実感としてはつながってなかったよ。ブチャネコの印象強すぎて。
ゴッホ展に行きたかった。
わたしのなかの、永遠の炎の人(ただし姿はブチャネコ)。
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