いい季節になりました。
 サイクリング日和。

 春と夏は、某マイカル・シネマズまで自転車で映画を観に行く。
 夏と冬はいかないよ。梅田で十分、電車で十分。乗車時間も10分だしな。

 某マイカル・シネマズまで自転車で行くと言ったら、周りからあきれられてしまった(笑)。
 たしかに、ふつーは自転車で行く距離じゃない。
 でもわたし、その昔、旧MBSでバイトしてたときは、週1回自転車で送迎バス乗り場まで通っていたのよ。
 某マイカルは、そこからちょっと先にあるだけ。バイトで通っていた道を走るくらい、大したことないわ。

 マイカルまで自転車をとばしていると、そのアルバイト時代を思い出すのよ。普段は通らない道だからさ。
 MBSでのバイトは、某番組のサクラ、だった。
 時給1500円、交通費なし。ヒナ段に坐って、さも「スタジオに遊びに来たいと思った視聴者が、ハガキを送って抽選で当たり、幸運にもここに坐っているんですよ」という顔をして、拍手したり笑ったりしていればOK。それでお金がもらえて、ついでにちょろりとテレビにも映ってしまうという、おいしいバイトだった。
 視聴者からの応募が少なかったんだろーなー……毎回募集のテロップ流してたのになー。
 それで、わたしのよーなバイトが活躍。金をもらって客のふりをする。
 もちろんそれは、わたしに「女子大生」という肩書きがあったときだからこそ、できたバイトだ。
 卒業したら呼んでもらえなかったもん(笑)。
 でも、わたしのバイト人生の中では、いちばんの変わり種さ。

 あのころと同じ自転車に乗って(わたしの自転車は、2回盗難に遭い、2回とも戻ってきたという剛のモノだ)、同じ道を行く。
 あのころ、一緒にサクラをやっていた友人たちは、今はどうしているかしら……とか思いつつな。
 わたしは自分がブスだと自覚していたから、ヒナ段では率先していちばん後ろで隅っこの、TVに映りにくい場所に坐っていたなー。
 TVに映った自分のイケてなさに目眩がしたからさ……できるだけ映りたくないと思ったのよ。
 あれから何年だ?
 ああ、トシくったよね、わたし。

          ☆

 でもって、『竜馬の妻とその夫と愛人』を観た。

 予告編を観ただけで、それ以上の予備知識はまったくなし。
 タイトルをどこで区切るのかも知らなかった。

 「竜馬の妻とその夫と、愛人」かと思ってたよ。
 つまり、竜馬の妻がいて、彼女に夫がいて、その夫に愛人がいるのかと。
 「竜馬の妻と、その夫と愛人」だったのね。
 竜馬の妻がいて、彼女に夫と愛人がいる、と。

 よくわかんねーけど、三谷幸喜原作脚本つーならとりあえず行っておけ! てなもんだ。『ラヂオの時間』も『みんなのいえ』もたのしかったからさ。
 とくに『ラヂオの時間』は好きよ。泣いたわ。
 あと、舞台『笑の大学』では、魂溶けそうなほど泣いたわ。
 三谷幸喜は好き。
 映画なら無条件で観に行く。

 そして、『竜馬の妻と…』。
 たのしかった。
 いっぱい笑った。
 そして泣いた。

 あの坂本竜馬の妻・おりょうと、彼女にベタ惚れの甲斐性ナシばか亭主・松兵衛と、彼女の愛人で竜馬にそっくりな男・虎蔵。そして、竜馬を愛し、竜馬の妻であるおりょうを愛する男・覚兵衛。
 この4人のはちゃめちゃな四角関係。
 竜馬をめぐる物語なのに、竜馬はもうどこにもいない。
 だけどその存在と名前は残ってるっていうか、ひとり歩きしていて。
 まともに描けば、とんでもなく重いテーマを、コメディにして描いた物語。

 いやあ、みんなかわいいよー。
 どいつもこいつも、かわいいっ。
 とくに覚兵衛。中井貴一をかわいいと思う日が来ようとは(笑)。
 鈴木京香はさすがの美しさだし、江口洋介の竜馬コスプレはすごい。似てる。つーかイメージぴったしだー。
 竜馬は33歳で死んでるんだからさ、世の時代劇よ、享年よりはるかにトシくった役者に竜馬をやらせるのはよせ。いつだったかの新撰組なんか、近藤勇(主役)が渡哲也だったもんなー。おいおい、近藤勇の死んだ歳の倍ほどの年齢の役者ぢゃん……。
 世の時代劇って、役者不足と視聴者の年齢に合わせたキャスティングするから、めちゃくちゃなんだもんなぁ。
 てなことを、考えさせてくれる、年相応のキャスティング。
 若者の役を若い俳優がやる、って、そんな当たり前のことにも感動する時代劇という不思議ワールド。
 いや、江口洋介やトータス松本はいいっすよ(笑)。

 されどわたし、テーマ部分というか、いちばん良いシーンで、他のことにアタマがいってしまったの。
 それはある作家さんの書いた小説だ。
 このシーンとまるきし同じよーなシーンと台詞があったのさ。
 ……やほひなんだけどな。
 それもやはり、未亡人ものでさ。やほひだけど、未亡人もの(笑)。
 天才と呼ばれた男がいて、彼には妻というべき親友がいた。天才が死んだあと、妻は天才の意志を継ぎ、彼の夢を実現させる。
 天才の夢を実現させてしまったあと、妻に残ったのは「愛した彼はもういない」という現実だけ。
 そんな妻を、愛する男がいた。かつては敵だったが、今は妻のけなげな姿に打たれ、味方になっている。
 男にとって、死んだ天才はどうあがいてもかなわない相手だ。生きているときだってかなわなかったのに、死んだ今では完敗が決定事項。覆されることなんかあり得ない。
 妻は今も、死んだ天才を愛している。他の者たちにはなんの意味もない。どんなすばらしい者が現れたって、「死んだ天才ではない」というただそれだけのことで、決して妻の心は開かれない。
 男は妻の愛を得ることができない。死んだ天才に勝てない。
 ただひとつ、彼が天才に勝てることがあるとすれば。
「おれは生きている」
 今生きて、お前を抱きしめることができる。それだけだ。

 ……てな話。大好きな作家さんの小説でさ。同人誌で、しかも某サッカー漫画(ジャンプじゃないよ)のパロディだったんだけど。
 先にそれを読んでるから、途中からアタマがトリップしちゃったよ。
 うわー、キャラの立ち位置が同じだー。台詞が同じだー。
 よくある話っちゃー、そうなんだけどさ。
 同人誌は、その作家さんがプロデビウする前のものだから、ずーっと昔の作品だしねー。この映画の元となったお芝居はたかが2年前のものだし、関係はまったくないとわかってるけど、いちいち同じだから、つい反応してしまふ……。

 そしてわかったことは、わたしがこのテのネタが好みだってことですわ(笑)。

 今生きている、っていうことは、もっともすばらしい才能なの。
 誰かをしあわせにできる、誰かを癒し、救うことができる、ということだから。
 誰かを愛することができる、ということだから。

 生きている。
 それがいちばんの才能。 

 そして、この映画のオチ。
 あれって……どうよ?
 いや、作品としては、うまいよ。なるほど、こうきたか、と、プロットの巧みさに膝を打ちましたさ。
 しかしさ……。
 わたしやっぱし、竜馬ファンで歴史好きなんだわ。
 あのオチはやっぱ、心情的にゆるせないものがあるよ……。いくらギャグでもさー。

 

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