いちばんの才能。@竜馬の妻とその夫と愛人
2002年10月2日 映画 いい季節になりました。
サイクリング日和。
春と夏は、某マイカル・シネマズまで自転車で映画を観に行く。
夏と冬はいかないよ。梅田で十分、電車で十分。乗車時間も10分だしな。
某マイカル・シネマズまで自転車で行くと言ったら、周りからあきれられてしまった(笑)。
たしかに、ふつーは自転車で行く距離じゃない。
でもわたし、その昔、旧MBSでバイトしてたときは、週1回自転車で送迎バス乗り場まで通っていたのよ。
某マイカルは、そこからちょっと先にあるだけ。バイトで通っていた道を走るくらい、大したことないわ。
マイカルまで自転車をとばしていると、そのアルバイト時代を思い出すのよ。普段は通らない道だからさ。
MBSでのバイトは、某番組のサクラ、だった。
時給1500円、交通費なし。ヒナ段に坐って、さも「スタジオに遊びに来たいと思った視聴者が、ハガキを送って抽選で当たり、幸運にもここに坐っているんですよ」という顔をして、拍手したり笑ったりしていればOK。それでお金がもらえて、ついでにちょろりとテレビにも映ってしまうという、おいしいバイトだった。
視聴者からの応募が少なかったんだろーなー……毎回募集のテロップ流してたのになー。
それで、わたしのよーなバイトが活躍。金をもらって客のふりをする。
もちろんそれは、わたしに「女子大生」という肩書きがあったときだからこそ、できたバイトだ。
卒業したら呼んでもらえなかったもん(笑)。
でも、わたしのバイト人生の中では、いちばんの変わり種さ。
あのころと同じ自転車に乗って(わたしの自転車は、2回盗難に遭い、2回とも戻ってきたという剛のモノだ)、同じ道を行く。
あのころ、一緒にサクラをやっていた友人たちは、今はどうしているかしら……とか思いつつな。
わたしは自分がブスだと自覚していたから、ヒナ段では率先していちばん後ろで隅っこの、TVに映りにくい場所に坐っていたなー。
TVに映った自分のイケてなさに目眩がしたからさ……できるだけ映りたくないと思ったのよ。
あれから何年だ?
ああ、トシくったよね、わたし。
☆
でもって、『竜馬の妻とその夫と愛人』を観た。
予告編を観ただけで、それ以上の予備知識はまったくなし。
タイトルをどこで区切るのかも知らなかった。
「竜馬の妻とその夫と、愛人」かと思ってたよ。
つまり、竜馬の妻がいて、彼女に夫がいて、その夫に愛人がいるのかと。
「竜馬の妻と、その夫と愛人」だったのね。
竜馬の妻がいて、彼女に夫と愛人がいる、と。
よくわかんねーけど、三谷幸喜原作脚本つーならとりあえず行っておけ! てなもんだ。『ラヂオの時間』も『みんなのいえ』もたのしかったからさ。
とくに『ラヂオの時間』は好きよ。泣いたわ。
あと、舞台『笑の大学』では、魂溶けそうなほど泣いたわ。
三谷幸喜は好き。
映画なら無条件で観に行く。
そして、『竜馬の妻と…』。
たのしかった。
いっぱい笑った。
そして泣いた。
あの坂本竜馬の妻・おりょうと、彼女にベタ惚れの甲斐性ナシばか亭主・松兵衛と、彼女の愛人で竜馬にそっくりな男・虎蔵。そして、竜馬を愛し、竜馬の妻であるおりょうを愛する男・覚兵衛。
この4人のはちゃめちゃな四角関係。
竜馬をめぐる物語なのに、竜馬はもうどこにもいない。
だけどその存在と名前は残ってるっていうか、ひとり歩きしていて。
まともに描けば、とんでもなく重いテーマを、コメディにして描いた物語。
いやあ、みんなかわいいよー。
どいつもこいつも、かわいいっ。
とくに覚兵衛。中井貴一をかわいいと思う日が来ようとは(笑)。
鈴木京香はさすがの美しさだし、江口洋介の竜馬コスプレはすごい。似てる。つーかイメージぴったしだー。
竜馬は33歳で死んでるんだからさ、世の時代劇よ、享年よりはるかにトシくった役者に竜馬をやらせるのはよせ。いつだったかの新撰組なんか、近藤勇(主役)が渡哲也だったもんなー。おいおい、近藤勇の死んだ歳の倍ほどの年齢の役者ぢゃん……。
世の時代劇って、役者不足と視聴者の年齢に合わせたキャスティングするから、めちゃくちゃなんだもんなぁ。
てなことを、考えさせてくれる、年相応のキャスティング。
若者の役を若い俳優がやる、って、そんな当たり前のことにも感動する時代劇という不思議ワールド。
いや、江口洋介やトータス松本はいいっすよ(笑)。
されどわたし、テーマ部分というか、いちばん良いシーンで、他のことにアタマがいってしまったの。
それはある作家さんの書いた小説だ。
このシーンとまるきし同じよーなシーンと台詞があったのさ。
……やほひなんだけどな。
それもやはり、未亡人ものでさ。やほひだけど、未亡人もの(笑)。
天才と呼ばれた男がいて、彼には妻というべき親友がいた。天才が死んだあと、妻は天才の意志を継ぎ、彼の夢を実現させる。
天才の夢を実現させてしまったあと、妻に残ったのは「愛した彼はもういない」という現実だけ。
そんな妻を、愛する男がいた。かつては敵だったが、今は妻のけなげな姿に打たれ、味方になっている。
男にとって、死んだ天才はどうあがいてもかなわない相手だ。生きているときだってかなわなかったのに、死んだ今では完敗が決定事項。覆されることなんかあり得ない。
妻は今も、死んだ天才を愛している。他の者たちにはなんの意味もない。どんなすばらしい者が現れたって、「死んだ天才ではない」というただそれだけのことで、決して妻の心は開かれない。
男は妻の愛を得ることができない。死んだ天才に勝てない。
ただひとつ、彼が天才に勝てることがあるとすれば。
「おれは生きている」
今生きて、お前を抱きしめることができる。それだけだ。
……てな話。大好きな作家さんの小説でさ。同人誌で、しかも某サッカー漫画(ジャンプじゃないよ)のパロディだったんだけど。
先にそれを読んでるから、途中からアタマがトリップしちゃったよ。
うわー、キャラの立ち位置が同じだー。台詞が同じだー。
よくある話っちゃー、そうなんだけどさ。
同人誌は、その作家さんがプロデビウする前のものだから、ずーっと昔の作品だしねー。この映画の元となったお芝居はたかが2年前のものだし、関係はまったくないとわかってるけど、いちいち同じだから、つい反応してしまふ……。
そしてわかったことは、わたしがこのテのネタが好みだってことですわ(笑)。
今生きている、っていうことは、もっともすばらしい才能なの。
誰かをしあわせにできる、誰かを癒し、救うことができる、ということだから。
誰かを愛することができる、ということだから。
生きている。
それがいちばんの才能。
そして、この映画のオチ。
あれって……どうよ?
いや、作品としては、うまいよ。なるほど、こうきたか、と、プロットの巧みさに膝を打ちましたさ。
しかしさ……。
わたしやっぱし、竜馬ファンで歴史好きなんだわ。
あのオチはやっぱ、心情的にゆるせないものがあるよ……。いくらギャグでもさー。
サイクリング日和。
春と夏は、某マイカル・シネマズまで自転車で映画を観に行く。
夏と冬はいかないよ。梅田で十分、電車で十分。乗車時間も10分だしな。
某マイカル・シネマズまで自転車で行くと言ったら、周りからあきれられてしまった(笑)。
たしかに、ふつーは自転車で行く距離じゃない。
でもわたし、その昔、旧MBSでバイトしてたときは、週1回自転車で送迎バス乗り場まで通っていたのよ。
某マイカルは、そこからちょっと先にあるだけ。バイトで通っていた道を走るくらい、大したことないわ。
マイカルまで自転車をとばしていると、そのアルバイト時代を思い出すのよ。普段は通らない道だからさ。
MBSでのバイトは、某番組のサクラ、だった。
時給1500円、交通費なし。ヒナ段に坐って、さも「スタジオに遊びに来たいと思った視聴者が、ハガキを送って抽選で当たり、幸運にもここに坐っているんですよ」という顔をして、拍手したり笑ったりしていればOK。それでお金がもらえて、ついでにちょろりとテレビにも映ってしまうという、おいしいバイトだった。
視聴者からの応募が少なかったんだろーなー……毎回募集のテロップ流してたのになー。
それで、わたしのよーなバイトが活躍。金をもらって客のふりをする。
もちろんそれは、わたしに「女子大生」という肩書きがあったときだからこそ、できたバイトだ。
卒業したら呼んでもらえなかったもん(笑)。
でも、わたしのバイト人生の中では、いちばんの変わり種さ。
あのころと同じ自転車に乗って(わたしの自転車は、2回盗難に遭い、2回とも戻ってきたという剛のモノだ)、同じ道を行く。
あのころ、一緒にサクラをやっていた友人たちは、今はどうしているかしら……とか思いつつな。
わたしは自分がブスだと自覚していたから、ヒナ段では率先していちばん後ろで隅っこの、TVに映りにくい場所に坐っていたなー。
TVに映った自分のイケてなさに目眩がしたからさ……できるだけ映りたくないと思ったのよ。
あれから何年だ?
ああ、トシくったよね、わたし。
☆
でもって、『竜馬の妻とその夫と愛人』を観た。
予告編を観ただけで、それ以上の予備知識はまったくなし。
タイトルをどこで区切るのかも知らなかった。
「竜馬の妻とその夫と、愛人」かと思ってたよ。
つまり、竜馬の妻がいて、彼女に夫がいて、その夫に愛人がいるのかと。
「竜馬の妻と、その夫と愛人」だったのね。
竜馬の妻がいて、彼女に夫と愛人がいる、と。
よくわかんねーけど、三谷幸喜原作脚本つーならとりあえず行っておけ! てなもんだ。『ラヂオの時間』も『みんなのいえ』もたのしかったからさ。
とくに『ラヂオの時間』は好きよ。泣いたわ。
あと、舞台『笑の大学』では、魂溶けそうなほど泣いたわ。
三谷幸喜は好き。
映画なら無条件で観に行く。
そして、『竜馬の妻と…』。
たのしかった。
いっぱい笑った。
そして泣いた。
あの坂本竜馬の妻・おりょうと、彼女にベタ惚れの甲斐性ナシばか亭主・松兵衛と、彼女の愛人で竜馬にそっくりな男・虎蔵。そして、竜馬を愛し、竜馬の妻であるおりょうを愛する男・覚兵衛。
この4人のはちゃめちゃな四角関係。
竜馬をめぐる物語なのに、竜馬はもうどこにもいない。
だけどその存在と名前は残ってるっていうか、ひとり歩きしていて。
まともに描けば、とんでもなく重いテーマを、コメディにして描いた物語。
いやあ、みんなかわいいよー。
どいつもこいつも、かわいいっ。
とくに覚兵衛。中井貴一をかわいいと思う日が来ようとは(笑)。
鈴木京香はさすがの美しさだし、江口洋介の竜馬コスプレはすごい。似てる。つーかイメージぴったしだー。
竜馬は33歳で死んでるんだからさ、世の時代劇よ、享年よりはるかにトシくった役者に竜馬をやらせるのはよせ。いつだったかの新撰組なんか、近藤勇(主役)が渡哲也だったもんなー。おいおい、近藤勇の死んだ歳の倍ほどの年齢の役者ぢゃん……。
世の時代劇って、役者不足と視聴者の年齢に合わせたキャスティングするから、めちゃくちゃなんだもんなぁ。
てなことを、考えさせてくれる、年相応のキャスティング。
若者の役を若い俳優がやる、って、そんな当たり前のことにも感動する時代劇という不思議ワールド。
いや、江口洋介やトータス松本はいいっすよ(笑)。
されどわたし、テーマ部分というか、いちばん良いシーンで、他のことにアタマがいってしまったの。
それはある作家さんの書いた小説だ。
このシーンとまるきし同じよーなシーンと台詞があったのさ。
……やほひなんだけどな。
それもやはり、未亡人ものでさ。やほひだけど、未亡人もの(笑)。
天才と呼ばれた男がいて、彼には妻というべき親友がいた。天才が死んだあと、妻は天才の意志を継ぎ、彼の夢を実現させる。
天才の夢を実現させてしまったあと、妻に残ったのは「愛した彼はもういない」という現実だけ。
そんな妻を、愛する男がいた。かつては敵だったが、今は妻のけなげな姿に打たれ、味方になっている。
男にとって、死んだ天才はどうあがいてもかなわない相手だ。生きているときだってかなわなかったのに、死んだ今では完敗が決定事項。覆されることなんかあり得ない。
妻は今も、死んだ天才を愛している。他の者たちにはなんの意味もない。どんなすばらしい者が現れたって、「死んだ天才ではない」というただそれだけのことで、決して妻の心は開かれない。
男は妻の愛を得ることができない。死んだ天才に勝てない。
ただひとつ、彼が天才に勝てることがあるとすれば。
「おれは生きている」
今生きて、お前を抱きしめることができる。それだけだ。
……てな話。大好きな作家さんの小説でさ。同人誌で、しかも某サッカー漫画(ジャンプじゃないよ)のパロディだったんだけど。
先にそれを読んでるから、途中からアタマがトリップしちゃったよ。
うわー、キャラの立ち位置が同じだー。台詞が同じだー。
よくある話っちゃー、そうなんだけどさ。
同人誌は、その作家さんがプロデビウする前のものだから、ずーっと昔の作品だしねー。この映画の元となったお芝居はたかが2年前のものだし、関係はまったくないとわかってるけど、いちいち同じだから、つい反応してしまふ……。
そしてわかったことは、わたしがこのテのネタが好みだってことですわ(笑)。
今生きている、っていうことは、もっともすばらしい才能なの。
誰かをしあわせにできる、誰かを癒し、救うことができる、ということだから。
誰かを愛することができる、ということだから。
生きている。
それがいちばんの才能。
そして、この映画のオチ。
あれって……どうよ?
いや、作品としては、うまいよ。なるほど、こうきたか、と、プロットの巧みさに膝を打ちましたさ。
しかしさ……。
わたしやっぱし、竜馬ファンで歴史好きなんだわ。
あのオチはやっぱ、心情的にゆるせないものがあるよ……。いくらギャグでもさー。
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