恋を閉じこめた瞳。@新版・四谷怪談−左眼の恋−
2002年9月18日 タカラヅカ 少年は飢えていた。
自分がなにに飢えているのかは、わからない。
だが少年は飢えていた。
孤独だった。
彼には父親も妹もいたけれど、名家に生まれ裕福に育ったけれど、それでも彼は孤独だった。
そして、自分が何故孤独なのか、なにを求めているのかわからなかった。
いや。
ひょっとしたら彼は、なにも気づいていなかったのだ。
自分が飢えていることにも。
自分が孤独であることにも。
そんな少年を、抱きしめる女がいた。
その女は、孤独な女だった。心の飢えを日常とし、すべてをあきらめた女だった。
孤独な女は、少年の孤独を見抜いた。
少年の孤独ごと抱きしめた。
孤独な女と孤独な少年は抱き合った。互いをむさぼった。
それは、必要なことだった。
それは、必然だった。
彼らの不幸は、少年がまだ人生のはじめを生きる年若い存在であるのに対し、女が人生がなんたるかを知った成熟した存在であったことだ。
少年はいつまでも少年のままではない。彼はすぐに大人になる。彼はすぐに男になる。
女はおそれた。孤独な少年がひとりの男となり、かれらの蜜月が終わってしまうことを。
恋ゆえに、女は狂う。
変わっていく少年、過ぎていく時、指の隙間を滑り落ちる幸福な瞬間。
狂うことでしか、時を止められない。
少年を止められない。
女は狂い、己れの左眼をえぐりとり、己れの顔をずたずたに切り裂く。
そして少年の手で、屠られる。
少年に殺されることで、女は永遠を手に入れる。
少年は業を背負う。はじめて抱いた女を、狂わせた業。その手で殺した業。
孤独を抱きしめてくれたたったひとりの存在であった女を、少年は自らの手で殺した。淵に沈めた。
もう少年の心を癒すものはなにもない。
少年は心を壊したまま、大人になる。男になる。
少年を癒すものは、この世にはない。
そして、大人になり男になった彼は、育ての親でもある舅をその手で殺し、妹を苦界へ売り飛ばす。妹の婚約者を陥れ、殺す。妻を毒殺し、利益だけを求めた再婚をしようとする。
この世でもっとも醜い心を持つ彼は、それでもこの世でもっとも美しい姿をした人間だった。
彼と出会う者たちは誰もが彼に惹かれ、彼を欲し、彼に溺れ、破滅する。
その昔、少年だった彼に恋をし、左眼をくりぬいて狂い死にしたあの女のように。
彼は、不幸だった。
愛され、求められ、溺れられても、不幸だった。
奪い、犯し、殺し、他人の生き血を吸うがごとく、傍若無人に生きながら。
彼は、飢えていた。
彼は、孤独だった。
彼の魂は、誰にも救えない。
……救われることを、彼ものぞんでいない。
彼の妻は、彼の手で殺された。
妻は成仏などしない。
妻は彼の再婚相手に取り憑き、その相手をも彼の手で殺させた。
妻は彼を許さない。許す意味も必要もない。
この世でもっとも醜い姿をした彼女は、この世でもっとも醜い心を持った彼に、恋をしていた。
彼女は死してなお、彼の前に現れる。
うらめしや。
彼女の恋が、死ぬことはない。
彼の魂が、救われることがないのと、同じに。
☆
すみません、WHITEちゃん。
わたしきれーにカンチガイしてました。
『新版・四谷怪談−左眼の恋−』千秋楽。
日付を見事にカンチガイしてたのよー。
わたしのミスのせいで、WHITEちゃんもわたしも、最初の10分が観られませんでした。Be-Puちゃんにも迷惑をかけました。
ごめんね。
東京で初日を観、大阪で千秋楽を観る。
オギーファンのわたしとしては、ハズせない大行事。
痛くて痛くて、大好きな『左眼の恋』。もういちど観るのをたのしみにしてたのよー。
なのになんだ、あの会場。
HEP HALLってば、客席すべてフラットなの。そして舞台は、低い。
ふつーの芝居ならいいよ。しかし『左眼の恋』は、寝転がり芝居だ。肝心なシーンのほとんどが板の上に寝転がったり坐り込んだ状態でつづく。
舞台の高さは、観客の首くらいの位置だ。
つまり、最前列の人しか舞台のすべてを観ることができない。
ものすごいストレスだった。
考えるべきだったね、会場選び。
ふつーの芝居ならともかく、アレはまずいよ。肝心のシーンのほとんどを、大半の客は見ることができない。
見えなくてもそりゃ、筋はわかるけどね。
「芝居はよかったよ。でも、いちいち水を差される。現実に引き戻される。前の人の頭で視界を遮られるから」
と、Be-Puちゃん。
床に寝転がられたら、役者の顔が見えないから、客はみんなそれぞれ頭を動かすわけだ。前が動くから、後ろまで順番に動かざるを得ない。そしてそのたび、感動は水を差され、作品世界から現実へ引き戻される。
東京まで行ってよかった。
わたしは心から思った。
大阪でしか観てなかったら、感動がちがっただろうよ。
個人的に、みえちゃんお岩は、大阪で観た方が好き。吸引力が増していた。
ところで、客席のジェンヌ率の高さにおどろいた。10分の1ぐらいか、ジェンヌ率?(笑) 客席の10人にひとりはタカラジェンヌ、ってくらいの、ものすごい数。(それくらい会場は小さく、また客の数が少ない)
休憩時間に扉の前で喋ってたら、目の前にうようよジェンヌさん。うひゃー、右京くんだよ、どーしよーうれしー。と、内心うかれていたわたし。
ふと振り向くと、わたしの真横にきりやんがいた。び、びっくりした。……きりやん、きれー、でも小さい……わたしより、はるかに……。
「今日は緑野さんが小柄に見えた」
と、Be-Puちゃん。
宙組の巨大なジェンヌさんたちが、いっぱいいたからな(笑)。彼女たちに比べれば、わたしだって小柄な女(笑)。
自分がなにに飢えているのかは、わからない。
だが少年は飢えていた。
孤独だった。
彼には父親も妹もいたけれど、名家に生まれ裕福に育ったけれど、それでも彼は孤独だった。
そして、自分が何故孤独なのか、なにを求めているのかわからなかった。
いや。
ひょっとしたら彼は、なにも気づいていなかったのだ。
自分が飢えていることにも。
自分が孤独であることにも。
そんな少年を、抱きしめる女がいた。
その女は、孤独な女だった。心の飢えを日常とし、すべてをあきらめた女だった。
孤独な女は、少年の孤独を見抜いた。
少年の孤独ごと抱きしめた。
孤独な女と孤独な少年は抱き合った。互いをむさぼった。
それは、必要なことだった。
それは、必然だった。
彼らの不幸は、少年がまだ人生のはじめを生きる年若い存在であるのに対し、女が人生がなんたるかを知った成熟した存在であったことだ。
少年はいつまでも少年のままではない。彼はすぐに大人になる。彼はすぐに男になる。
女はおそれた。孤独な少年がひとりの男となり、かれらの蜜月が終わってしまうことを。
恋ゆえに、女は狂う。
変わっていく少年、過ぎていく時、指の隙間を滑り落ちる幸福な瞬間。
狂うことでしか、時を止められない。
少年を止められない。
女は狂い、己れの左眼をえぐりとり、己れの顔をずたずたに切り裂く。
そして少年の手で、屠られる。
少年に殺されることで、女は永遠を手に入れる。
少年は業を背負う。はじめて抱いた女を、狂わせた業。その手で殺した業。
孤独を抱きしめてくれたたったひとりの存在であった女を、少年は自らの手で殺した。淵に沈めた。
もう少年の心を癒すものはなにもない。
少年は心を壊したまま、大人になる。男になる。
少年を癒すものは、この世にはない。
そして、大人になり男になった彼は、育ての親でもある舅をその手で殺し、妹を苦界へ売り飛ばす。妹の婚約者を陥れ、殺す。妻を毒殺し、利益だけを求めた再婚をしようとする。
この世でもっとも醜い心を持つ彼は、それでもこの世でもっとも美しい姿をした人間だった。
彼と出会う者たちは誰もが彼に惹かれ、彼を欲し、彼に溺れ、破滅する。
その昔、少年だった彼に恋をし、左眼をくりぬいて狂い死にしたあの女のように。
彼は、不幸だった。
愛され、求められ、溺れられても、不幸だった。
奪い、犯し、殺し、他人の生き血を吸うがごとく、傍若無人に生きながら。
彼は、飢えていた。
彼は、孤独だった。
彼の魂は、誰にも救えない。
……救われることを、彼ものぞんでいない。
彼の妻は、彼の手で殺された。
妻は成仏などしない。
妻は彼の再婚相手に取り憑き、その相手をも彼の手で殺させた。
妻は彼を許さない。許す意味も必要もない。
この世でもっとも醜い姿をした彼女は、この世でもっとも醜い心を持った彼に、恋をしていた。
彼女は死してなお、彼の前に現れる。
うらめしや。
彼女の恋が、死ぬことはない。
彼の魂が、救われることがないのと、同じに。
☆
すみません、WHITEちゃん。
わたしきれーにカンチガイしてました。
『新版・四谷怪談−左眼の恋−』千秋楽。
日付を見事にカンチガイしてたのよー。
わたしのミスのせいで、WHITEちゃんもわたしも、最初の10分が観られませんでした。Be-Puちゃんにも迷惑をかけました。
ごめんね。
東京で初日を観、大阪で千秋楽を観る。
オギーファンのわたしとしては、ハズせない大行事。
痛くて痛くて、大好きな『左眼の恋』。もういちど観るのをたのしみにしてたのよー。
なのになんだ、あの会場。
HEP HALLってば、客席すべてフラットなの。そして舞台は、低い。
ふつーの芝居ならいいよ。しかし『左眼の恋』は、寝転がり芝居だ。肝心なシーンのほとんどが板の上に寝転がったり坐り込んだ状態でつづく。
舞台の高さは、観客の首くらいの位置だ。
つまり、最前列の人しか舞台のすべてを観ることができない。
ものすごいストレスだった。
考えるべきだったね、会場選び。
ふつーの芝居ならともかく、アレはまずいよ。肝心のシーンのほとんどを、大半の客は見ることができない。
見えなくてもそりゃ、筋はわかるけどね。
「芝居はよかったよ。でも、いちいち水を差される。現実に引き戻される。前の人の頭で視界を遮られるから」
と、Be-Puちゃん。
床に寝転がられたら、役者の顔が見えないから、客はみんなそれぞれ頭を動かすわけだ。前が動くから、後ろまで順番に動かざるを得ない。そしてそのたび、感動は水を差され、作品世界から現実へ引き戻される。
東京まで行ってよかった。
わたしは心から思った。
大阪でしか観てなかったら、感動がちがっただろうよ。
個人的に、みえちゃんお岩は、大阪で観た方が好き。吸引力が増していた。
ところで、客席のジェンヌ率の高さにおどろいた。10分の1ぐらいか、ジェンヌ率?(笑) 客席の10人にひとりはタカラジェンヌ、ってくらいの、ものすごい数。(それくらい会場は小さく、また客の数が少ない)
休憩時間に扉の前で喋ってたら、目の前にうようよジェンヌさん。うひゃー、右京くんだよ、どーしよーうれしー。と、内心うかれていたわたし。
ふと振り向くと、わたしの真横にきりやんがいた。び、びっくりした。……きりやん、きれー、でも小さい……わたしより、はるかに……。
「今日は緑野さんが小柄に見えた」
と、Be-Puちゃん。
宙組の巨大なジェンヌさんたちが、いっぱいいたからな(笑)。彼女たちに比べれば、わたしだって小柄な女(笑)。
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