観られるとは思ってなかった、月バウ千秋楽。
 ありがとうインターネット、ありがとう某さん。

 タカラヅカのさばき制度のいいところは、どんなプラチナチケットでも、定価売買が基本なところ、だと思っていたよ。
 ところが最近は、ちがうんだねえ。
 商売にしている人が、目につく。
 ついにムラにもダフ屋の魔の手が? つーか、一般人がにわかダフ屋化してる?
 今回のチケットも、わたしが知る限り、定価のさばきはなかった。3倍以上の値をつけるって、いくらなんでもひどいんじゃない?
 劇場ロビーで商売されたら、いくら田舎者な歌劇団でも、怒って「さばき行為全面禁止、発見次第警察へ通報」とか言い出すかもよ?
 それでこまるのはわたしたち一般人だしさー。やな感じだ。

 かねすきさんにしろ、殿さんにしろ、『追憶のバルセロナ』にはご立腹だ。
 とくにかねすきさんは、唾棄すべき駄作だと気炎をあげていた。
 わたしは正塚ファンだから弁護はするけど、否定はできないのがつらいところ。

 途中まではいいんだよね。
 フランシスコが目覚める前、までは。
 あのあとはすべて、ぶっこわれてる。
 いったいいかなる横槍が入って、あの物語は壊れたのだろう?
 まさか最初から、あんなに壊れていたとは思いたくない。

 少し前のドラマで、『スウィート・シーズン』という大好きなドラマがあった。
 いちおー「不倫」という明確なテーマはあったんだが、それはただの名目で、そこにあったのは真摯な恋と、家族問題だった。
 父の不倫が原因で兄が死んだ、だから父を許せない、不倫が許せない。そんなヒロインが愛したのは、妻のある男だった……こんな二律背反を抱えるヒロインの、成長と家族の再生。
 とても丁寧に誠実に構築された物語を、たのしんでいたんだが。
 この物語はとてもわかりやすく、ぶっこわれた。
 「ただの不倫もの」に堕ちたんだ。

 「不倫もの」っていうと、どんな話を想像する?
 ドロドロのベタベタでしょ?
 愛人がヒロインなら、妻が髪振り乱して包丁持って現れる、とか、「この泥棒猫!」と愛人の髪を掴んで引きずり倒すとか。
 夫は優柔不断にふたりの女の間をふらふら、「彼女は僕がいないと生きられない女なんだ」とか言って不誠実さを正当化、勝手に苦悩してたりな。
 愛人は愛人で「わたしが身を引けば、みんなしあわせになれる」とこれまた自己完結、やってきたことの責任なんかいっさい取らずに逃げようとする。自分が悪人になるのが嫌なだけ。
 まー、そーゆーのが定番だわな。定番ってのは、つまりそーゆーのを好きな人たちが、世の中多いってことでしょう。

 『スウィート・シーズン』は、「恋愛もの」であったにもかかわらず、いきなりこの、べったべたな「不倫もの」にシフトチェンジしたんだわ。

 突然だったから、おどろいたよ。
 いきなり、登場人物の人格が変わってるの。さばさばした気っぷのいい姉御肌のおねーさんが、ドロドロの粘着気質のストーカー女に変身。彼女に常識はずれな行動を取らせ、ドラマを盛り上げる。
 いちばん笑えるのは、男がなんの脈絡もなく「記憶喪失」になったこと。夢オチと記憶喪失って、禁じ手の代表格でしょうが。またこれがストーリー的にもなんの意味もなく終結。

 いったい、視聴者の手の届かないところで、なにがあったんだろう?

 『スウィート・シーズン』は、はじめからかなり、おかしな作りをしていた。
 宣伝と内容が、あまりにかけ離れていたんだな。
 宣伝は「今流行りの不倫ものです! ドロドロしてまっせ! 抱腹絶倒、『真珠夫人』路線ですぜ! 見てちょーだいよ!!」と言っていた。新聞に載るサブタイトルなどを見ていると、まさにそう。
 ところがどっこい、本編は、センシディヴな純愛もので、家族の再生がテーマときた。
 宣伝を見て「おもしろそうだわ」と思う人は、本編を見て「なにこれ、退屈。いつ奥さんは逆ギレして包丁を振り回すのよ? ぜんぜんそんなシーンないじゃない」と思うだろう。
 また、繊細な心理をたのしむのが好きな人は、あの宣伝じゃあ、はじめからバカにして本編を見ることはないだろう。

 制作者側は、『真珠夫人』系をやらせたかったんだよね。バカバカしく派手な、いつも誰かが絶叫しているよーな不倫もの。
 だけど現場スタッフは、センシティヴな純愛がやりたかったんだな。
 それで純愛をこつこつやっていたが、視聴率がふるわない(当たり前だ)、制作側から「たわしコロッケぐらいのことはやれ!」と横槍が入る。
 んで、途中で路線変更、宣伝に偽りないドロドロの不倫ものになる。
 奥さんは絶叫し、ヒロインは泣き崩れ、男は意味もなく記憶喪失になったりもする。

 ここまでわかりやすく路線変更して、ぶっこわれたドラマは、ある意味興味深い。
 んで、ぶっこわれた後の方が、視聴率はよかったのかい? 数字的な結果なんか、わたしは知らないけどさ。

 ただ、わたしがこのドラマを評価しているのは、ヒロインの恋愛事情は「みんなが期待しているドロドロの不倫もの」に落としたけれど、当初の目的のひとつだった「家族の再生」だけは、きちんと描ききったこと。
 譲歩したんだね。「ドロドロの不倫もの」にしたかわりに、「家族の再生」だけは譲らずに真っ向勝負で描写、おかげで最後は「家族もの」になってたぞ。恋愛周辺の話がトンチキ系になってるだけに、家族周辺の話の繊細さがより際だってますがな。

 「商品」である以上、作家は「創りたいもの」だけを創るわけにはいかないんだ。
 こんなバカバカしい横槍にも、唇噛んで耐えるしかないんだ。
 「大人ってキタナイ」と、いつまでもコドモなわたしは、思うけどさ。
 完璧な形で見たかったよ、『スウィート・シーズン』。

 てなことが、世の中往々にしてあるわけだから。
 『追憶のバルセロナ』には、なにがあったんだ?
 なにゆえに、物語は壊れたんだ?

 『SLAPSTICK』も、かねすきさんたちにはボロクソに言われてました。
 主人公に物語がないのは、たしかに致命的。
 それはわかるが、わたし的には、あの物語が「主人公の死の間際の夢」であることが大きいかな。
 老人の回想だから、自分自身のいちばんドロドロした部分には触れず、美しい部分だけをクローズアップ、友人の悲劇には着目、そしてそれらの痛みも苦労も悲しみも、なにもかもがただ美しい、ゴールデンデイズ。
 つーことで、わたし的にはぜんぜんOKよん。
 ……いや、きりやんだったから、OKなんだとは思うが。へたっぴな人がやってたら、えらいことになってた脚本だとは思うよ、うん。

 千秋楽は客席降りがありました。舞台に階段が設置されてたし、休憩時に、係のおねーさんに荷物を通路に置かないよう注意されたので、「これはアルな」と思っていたけど、あるある、ありましたよ。
 ビバ通路際。
 わたしの真横はのぞみちゃんだー!! 笑いかけてもらいましたさ、やっほう。

 

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