月バウ千秋楽。なのに何故か『スウィート・シーズン』の話だったり。
2002年6月30日 タカラヅカ 観られるとは思ってなかった、月バウ千秋楽。
ありがとうインターネット、ありがとう某さん。
タカラヅカのさばき制度のいいところは、どんなプラチナチケットでも、定価売買が基本なところ、だと思っていたよ。
ところが最近は、ちがうんだねえ。
商売にしている人が、目につく。
ついにムラにもダフ屋の魔の手が? つーか、一般人がにわかダフ屋化してる?
今回のチケットも、わたしが知る限り、定価のさばきはなかった。3倍以上の値をつけるって、いくらなんでもひどいんじゃない?
劇場ロビーで商売されたら、いくら田舎者な歌劇団でも、怒って「さばき行為全面禁止、発見次第警察へ通報」とか言い出すかもよ?
それでこまるのはわたしたち一般人だしさー。やな感じだ。
かねすきさんにしろ、殿さんにしろ、『追憶のバルセロナ』にはご立腹だ。
とくにかねすきさんは、唾棄すべき駄作だと気炎をあげていた。
わたしは正塚ファンだから弁護はするけど、否定はできないのがつらいところ。
途中まではいいんだよね。
フランシスコが目覚める前、までは。
あのあとはすべて、ぶっこわれてる。
いったいいかなる横槍が入って、あの物語は壊れたのだろう?
まさか最初から、あんなに壊れていたとは思いたくない。
少し前のドラマで、『スウィート・シーズン』という大好きなドラマがあった。
いちおー「不倫」という明確なテーマはあったんだが、それはただの名目で、そこにあったのは真摯な恋と、家族問題だった。
父の不倫が原因で兄が死んだ、だから父を許せない、不倫が許せない。そんなヒロインが愛したのは、妻のある男だった……こんな二律背反を抱えるヒロインの、成長と家族の再生。
とても丁寧に誠実に構築された物語を、たのしんでいたんだが。
この物語はとてもわかりやすく、ぶっこわれた。
「ただの不倫もの」に堕ちたんだ。
「不倫もの」っていうと、どんな話を想像する?
ドロドロのベタベタでしょ?
愛人がヒロインなら、妻が髪振り乱して包丁持って現れる、とか、「この泥棒猫!」と愛人の髪を掴んで引きずり倒すとか。
夫は優柔不断にふたりの女の間をふらふら、「彼女は僕がいないと生きられない女なんだ」とか言って不誠実さを正当化、勝手に苦悩してたりな。
愛人は愛人で「わたしが身を引けば、みんなしあわせになれる」とこれまた自己完結、やってきたことの責任なんかいっさい取らずに逃げようとする。自分が悪人になるのが嫌なだけ。
まー、そーゆーのが定番だわな。定番ってのは、つまりそーゆーのを好きな人たちが、世の中多いってことでしょう。
『スウィート・シーズン』は、「恋愛もの」であったにもかかわらず、いきなりこの、べったべたな「不倫もの」にシフトチェンジしたんだわ。
突然だったから、おどろいたよ。
いきなり、登場人物の人格が変わってるの。さばさばした気っぷのいい姉御肌のおねーさんが、ドロドロの粘着気質のストーカー女に変身。彼女に常識はずれな行動を取らせ、ドラマを盛り上げる。
いちばん笑えるのは、男がなんの脈絡もなく「記憶喪失」になったこと。夢オチと記憶喪失って、禁じ手の代表格でしょうが。またこれがストーリー的にもなんの意味もなく終結。
いったい、視聴者の手の届かないところで、なにがあったんだろう?
『スウィート・シーズン』は、はじめからかなり、おかしな作りをしていた。
宣伝と内容が、あまりにかけ離れていたんだな。
宣伝は「今流行りの不倫ものです! ドロドロしてまっせ! 抱腹絶倒、『真珠夫人』路線ですぜ! 見てちょーだいよ!!」と言っていた。新聞に載るサブタイトルなどを見ていると、まさにそう。
ところがどっこい、本編は、センシディヴな純愛もので、家族の再生がテーマときた。
宣伝を見て「おもしろそうだわ」と思う人は、本編を見て「なにこれ、退屈。いつ奥さんは逆ギレして包丁を振り回すのよ? ぜんぜんそんなシーンないじゃない」と思うだろう。
また、繊細な心理をたのしむのが好きな人は、あの宣伝じゃあ、はじめからバカにして本編を見ることはないだろう。
制作者側は、『真珠夫人』系をやらせたかったんだよね。バカバカしく派手な、いつも誰かが絶叫しているよーな不倫もの。
だけど現場スタッフは、センシティヴな純愛がやりたかったんだな。
それで純愛をこつこつやっていたが、視聴率がふるわない(当たり前だ)、制作側から「たわしコロッケぐらいのことはやれ!」と横槍が入る。
んで、途中で路線変更、宣伝に偽りないドロドロの不倫ものになる。
奥さんは絶叫し、ヒロインは泣き崩れ、男は意味もなく記憶喪失になったりもする。
ここまでわかりやすく路線変更して、ぶっこわれたドラマは、ある意味興味深い。
んで、ぶっこわれた後の方が、視聴率はよかったのかい? 数字的な結果なんか、わたしは知らないけどさ。
ただ、わたしがこのドラマを評価しているのは、ヒロインの恋愛事情は「みんなが期待しているドロドロの不倫もの」に落としたけれど、当初の目的のひとつだった「家族の再生」だけは、きちんと描ききったこと。
譲歩したんだね。「ドロドロの不倫もの」にしたかわりに、「家族の再生」だけは譲らずに真っ向勝負で描写、おかげで最後は「家族もの」になってたぞ。恋愛周辺の話がトンチキ系になってるだけに、家族周辺の話の繊細さがより際だってますがな。
「商品」である以上、作家は「創りたいもの」だけを創るわけにはいかないんだ。
こんなバカバカしい横槍にも、唇噛んで耐えるしかないんだ。
「大人ってキタナイ」と、いつまでもコドモなわたしは、思うけどさ。
完璧な形で見たかったよ、『スウィート・シーズン』。
てなことが、世の中往々にしてあるわけだから。
『追憶のバルセロナ』には、なにがあったんだ?
なにゆえに、物語は壊れたんだ?
『SLAPSTICK』も、かねすきさんたちにはボロクソに言われてました。
主人公に物語がないのは、たしかに致命的。
それはわかるが、わたし的には、あの物語が「主人公の死の間際の夢」であることが大きいかな。
老人の回想だから、自分自身のいちばんドロドロした部分には触れず、美しい部分だけをクローズアップ、友人の悲劇には着目、そしてそれらの痛みも苦労も悲しみも、なにもかもがただ美しい、ゴールデンデイズ。
つーことで、わたし的にはぜんぜんOKよん。
……いや、きりやんだったから、OKなんだとは思うが。へたっぴな人がやってたら、えらいことになってた脚本だとは思うよ、うん。
千秋楽は客席降りがありました。舞台に階段が設置されてたし、休憩時に、係のおねーさんに荷物を通路に置かないよう注意されたので、「これはアルな」と思っていたけど、あるある、ありましたよ。
ビバ通路際。
わたしの真横はのぞみちゃんだー!! 笑いかけてもらいましたさ、やっほう。
ありがとうインターネット、ありがとう某さん。
タカラヅカのさばき制度のいいところは、どんなプラチナチケットでも、定価売買が基本なところ、だと思っていたよ。
ところが最近は、ちがうんだねえ。
商売にしている人が、目につく。
ついにムラにもダフ屋の魔の手が? つーか、一般人がにわかダフ屋化してる?
今回のチケットも、わたしが知る限り、定価のさばきはなかった。3倍以上の値をつけるって、いくらなんでもひどいんじゃない?
劇場ロビーで商売されたら、いくら田舎者な歌劇団でも、怒って「さばき行為全面禁止、発見次第警察へ通報」とか言い出すかもよ?
それでこまるのはわたしたち一般人だしさー。やな感じだ。
かねすきさんにしろ、殿さんにしろ、『追憶のバルセロナ』にはご立腹だ。
とくにかねすきさんは、唾棄すべき駄作だと気炎をあげていた。
わたしは正塚ファンだから弁護はするけど、否定はできないのがつらいところ。
途中まではいいんだよね。
フランシスコが目覚める前、までは。
あのあとはすべて、ぶっこわれてる。
いったいいかなる横槍が入って、あの物語は壊れたのだろう?
まさか最初から、あんなに壊れていたとは思いたくない。
少し前のドラマで、『スウィート・シーズン』という大好きなドラマがあった。
いちおー「不倫」という明確なテーマはあったんだが、それはただの名目で、そこにあったのは真摯な恋と、家族問題だった。
父の不倫が原因で兄が死んだ、だから父を許せない、不倫が許せない。そんなヒロインが愛したのは、妻のある男だった……こんな二律背反を抱えるヒロインの、成長と家族の再生。
とても丁寧に誠実に構築された物語を、たのしんでいたんだが。
この物語はとてもわかりやすく、ぶっこわれた。
「ただの不倫もの」に堕ちたんだ。
「不倫もの」っていうと、どんな話を想像する?
ドロドロのベタベタでしょ?
愛人がヒロインなら、妻が髪振り乱して包丁持って現れる、とか、「この泥棒猫!」と愛人の髪を掴んで引きずり倒すとか。
夫は優柔不断にふたりの女の間をふらふら、「彼女は僕がいないと生きられない女なんだ」とか言って不誠実さを正当化、勝手に苦悩してたりな。
愛人は愛人で「わたしが身を引けば、みんなしあわせになれる」とこれまた自己完結、やってきたことの責任なんかいっさい取らずに逃げようとする。自分が悪人になるのが嫌なだけ。
まー、そーゆーのが定番だわな。定番ってのは、つまりそーゆーのを好きな人たちが、世の中多いってことでしょう。
『スウィート・シーズン』は、「恋愛もの」であったにもかかわらず、いきなりこの、べったべたな「不倫もの」にシフトチェンジしたんだわ。
突然だったから、おどろいたよ。
いきなり、登場人物の人格が変わってるの。さばさばした気っぷのいい姉御肌のおねーさんが、ドロドロの粘着気質のストーカー女に変身。彼女に常識はずれな行動を取らせ、ドラマを盛り上げる。
いちばん笑えるのは、男がなんの脈絡もなく「記憶喪失」になったこと。夢オチと記憶喪失って、禁じ手の代表格でしょうが。またこれがストーリー的にもなんの意味もなく終結。
いったい、視聴者の手の届かないところで、なにがあったんだろう?
『スウィート・シーズン』は、はじめからかなり、おかしな作りをしていた。
宣伝と内容が、あまりにかけ離れていたんだな。
宣伝は「今流行りの不倫ものです! ドロドロしてまっせ! 抱腹絶倒、『真珠夫人』路線ですぜ! 見てちょーだいよ!!」と言っていた。新聞に載るサブタイトルなどを見ていると、まさにそう。
ところがどっこい、本編は、センシディヴな純愛もので、家族の再生がテーマときた。
宣伝を見て「おもしろそうだわ」と思う人は、本編を見て「なにこれ、退屈。いつ奥さんは逆ギレして包丁を振り回すのよ? ぜんぜんそんなシーンないじゃない」と思うだろう。
また、繊細な心理をたのしむのが好きな人は、あの宣伝じゃあ、はじめからバカにして本編を見ることはないだろう。
制作者側は、『真珠夫人』系をやらせたかったんだよね。バカバカしく派手な、いつも誰かが絶叫しているよーな不倫もの。
だけど現場スタッフは、センシティヴな純愛がやりたかったんだな。
それで純愛をこつこつやっていたが、視聴率がふるわない(当たり前だ)、制作側から「たわしコロッケぐらいのことはやれ!」と横槍が入る。
んで、途中で路線変更、宣伝に偽りないドロドロの不倫ものになる。
奥さんは絶叫し、ヒロインは泣き崩れ、男は意味もなく記憶喪失になったりもする。
ここまでわかりやすく路線変更して、ぶっこわれたドラマは、ある意味興味深い。
んで、ぶっこわれた後の方が、視聴率はよかったのかい? 数字的な結果なんか、わたしは知らないけどさ。
ただ、わたしがこのドラマを評価しているのは、ヒロインの恋愛事情は「みんなが期待しているドロドロの不倫もの」に落としたけれど、当初の目的のひとつだった「家族の再生」だけは、きちんと描ききったこと。
譲歩したんだね。「ドロドロの不倫もの」にしたかわりに、「家族の再生」だけは譲らずに真っ向勝負で描写、おかげで最後は「家族もの」になってたぞ。恋愛周辺の話がトンチキ系になってるだけに、家族周辺の話の繊細さがより際だってますがな。
「商品」である以上、作家は「創りたいもの」だけを創るわけにはいかないんだ。
こんなバカバカしい横槍にも、唇噛んで耐えるしかないんだ。
「大人ってキタナイ」と、いつまでもコドモなわたしは、思うけどさ。
完璧な形で見たかったよ、『スウィート・シーズン』。
てなことが、世の中往々にしてあるわけだから。
『追憶のバルセロナ』には、なにがあったんだ?
なにゆえに、物語は壊れたんだ?
『SLAPSTICK』も、かねすきさんたちにはボロクソに言われてました。
主人公に物語がないのは、たしかに致命的。
それはわかるが、わたし的には、あの物語が「主人公の死の間際の夢」であることが大きいかな。
老人の回想だから、自分自身のいちばんドロドロした部分には触れず、美しい部分だけをクローズアップ、友人の悲劇には着目、そしてそれらの痛みも苦労も悲しみも、なにもかもがただ美しい、ゴールデンデイズ。
つーことで、わたし的にはぜんぜんOKよん。
……いや、きりやんだったから、OKなんだとは思うが。へたっぴな人がやってたら、えらいことになってた脚本だとは思うよ、うん。
千秋楽は客席降りがありました。舞台に階段が設置されてたし、休憩時に、係のおねーさんに荷物を通路に置かないよう注意されたので、「これはアルな」と思っていたけど、あるある、ありましたよ。
ビバ通路際。
わたしの真横はのぞみちゃんだー!! 笑いかけてもらいましたさ、やっほう。
コメント